メディア掲載  外交・安全保障  2019.07.18

ボルトン氏は最後の希望か

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年7月11日)に掲載

 米国大統領は統治していない。あまりに自明であり、「不安を拡散する」彼の外交は「稚拙で不適切」と断じた在米英国大使の極秘電報を引用するまでもないだろう。

 ワシントンの友人も、「(大統領は)サプライズと予測不能性を好み、官僚の政策提言には思い付きで対応し、本能を信じ、対外関係ではカオスの中で揺れることを楽しむ」と書いた。この分析自体誤りではない。

 ちなみに、英外務省は「英国民は各地の英国大使が任国について、ありのままの正直な分析を外相に報告するよう望んでいる」との声明を発表した。万一東京で同様の報道があれば、日本外務省は同様の矜持(きょうじ)を示せるだろうか。

 それはともかく、トランプ氏は2015年6月の出馬表明以来、1日24時間、一貫して選挙キャンペーンのみやってきた。大阪での20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)から、朝鮮半島の非武装地帯での米朝首脳会談まで、今回はこの米国の悲劇を再確認させられた。

 米大統領が統治に関心のないことは分かっている。今の最重要問題は、彼の側近が何をしているかだ。彼らの仕事は大統領の統治を支援することのはず。だが、最近の一連の報道は、ホワイトハウスの実態がそれには程遠いことを暗示する。現時点での筆者の見立ては以下の通りだ。筆者が間違っていればよいのだが。

 トランプ氏は一貫している。彼の最大関心は大統領再選であり、全ての判断と活動はそのためにある。サプライズと予測不能性は票を生むカリスマ性を作り出す。大統領の政策不在を批判するのは容易だが、この一貫性こそがトランプ氏の政治力の根源なのだ。その意味で彼は希代の天才的ポピュリストである。

 これに対し、側近の外交安保チーム内は割れている。彼らが無能だからではなく、大統領がそれを望むからだ。対外政策決定で彼が好むカオスは、選挙に最も適する大衆迎合的外交措置を自ら選別するためのプロセスにすぎない。

 ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官はいわゆるタカ派のネオコンだ。選挙に関心のない彼は「完全、検証可能、不可逆的な非核化」政策の実現に向け「統治」を試みる数少ない側近の一人だ。その真骨頂が本年2月末のハノイ米朝首脳会談の「決裂」だろう。

 ボルトン氏に比べれば、ポンペオ国務長官は統治とも選挙とも距離を置く日和見主義者に見える。彼の行動基準は大統領が望む、すなわち選挙に資する外交政策を立案・実現できるか否かだ。ポンペオ氏は国務長官就任前から北朝鮮問題に実質的に関与してきた。されば今回の第3回米朝首脳会談以降、米の対北朝鮮外交では、ポンペオ氏を中心とする柔軟路線が再び主導権を握る可能性が高い。

 米国が現在直面する核拡散問題は2つ、北朝鮮とイランである。だが、両国の最大の違いは、北朝鮮が核兵器を持つのに対し、イランが未入手であることだ。されば、優先順位も当然決まってくる。トランプ氏が北朝鮮よりイランを優先する可能性は高い。

 トランプ政権内でボルトン氏は「最後の希望」だろうか? 答えはイエスとノーの両方だ。確かに、北朝鮮政策に関しては日本とボルトン氏との間に共通点が多い。その意味でボルトン氏は最後の希望かもしれない。だが、イランに関しボルトン氏は挑発もいとわない最強硬派であり、万一イランが誤算すれば、湾岸地域全体が不安定化しかねない。その意味でボルトン氏は劇薬でもあるのだ。どちらに転んでも、日本は難しい判断を迫られるだろう。