メディア掲載  財政・社会保障制度  2019.06.11

【半歩先を読む経済教室】MMT(現代金融理論)が見落としているもの...財政の民主的統制の難しさ

Business Journalに掲載(2019年6月4日付)

 ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授などが「MMT(現代金融理論)」という理論を提唱し、アメリカを中心に徐々に広がりを見せ始めている。日本でも、経産官僚の中野剛志氏(現、経済産業省商務情報政策局の情報技術利用促進課課長)が、MMTを日本に紹介するため、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』(ベストセラーズ)等を出版し、一部の間で話題となっている模様である。

 一方で、アメリカのハーバード大学のケネス・ロゴフ教授やサマーズ元米財務長官といった主流派の経済学者は、「MMTは様々なレベルで間違っている」とし、MMTの理論的な妥当性を強く批判している。

 どちらの見解が正しいのだろうか。中野氏の書籍を読むと、MMTが正しいと判断する読者もいようが、ロゴフ教授やサマーズ氏らの指摘のほうが正しい。理由は、MMTは、財政の民主的統制の難しさを深く考察していないためである。以下、順番に概説する。


MMT(現代金融理論)とは何か


 まず、議論を簡略化するために閉鎖経済で考えよう。このとき、「民間貯蓄(S)=民間投資(I)+財政赤字(G-T)」というISバランスが成立するが、経済学の正統派ではISバランスが成立しない場合、市場原理で金利が変動し、ISバランスが自動的に成立するものとする。しかし、MMTでは、完全雇用のときの民間純貯蓄(S-I)は構造的に決まっており、市場メカニズムのみではISバランスが成立しないケースがあり、その場合では財政赤字が必要になると主張する。

 この主張は、有効需要の原理を重視する伝統的なケインズ派の理論に近く、別に目新しいものではない。むしろ、目新しいのは財政赤字を賄う財源として法定通貨の発行を主張することであろう。

 すなわち、「財政ファイナンス」の積極的な活用である。このため、MMTでは、(1)政府支出の拡大や減税=法定通貨の新規発行、(2)増税や政府支出の削減=法定通貨の回収を意味し、完全雇用のときの民間純貯蓄(S-I)にマッチするように、財政赤字(G-T)を制御する政策を提案する。

 そもそも、今の日本のように、失業率が低く、コンビニ等の労働力不足が懸念される状況で本当に有効需要の原理が機能する否かという考察も極めて重要だが、この財政ファイナンスを積極的に活用する発想は本当に目新しいのか。

 実は、ブキャナンとワグナーの名著『赤字の民主主義-ケインズが遺したもの』(日経BPクラシックス)(原題はBuchanan and Wagner1977), Democracy in Deficit: the Political Legacy of Lord Keynes, New York : Academic Press)で、ブキャナンらがすでに約40年前に指摘しており、これも目新しいものではない。

 例えば、同書の76-77ページには以下の記述がある(下線は筆者)。

意図的な財政赤字の創出―支出はするが課税はしないというあからさまな決定-は、ケインズ政策の特徴だが、(略) ケインズ派が-大半のケインズ派が-通貨の増発を選ばず、古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは、今もって意外である(略)需要不足という環境では、 政府の追加支出の機会費用は完全にゼロである。これは直ちに、必要な財政赤字を補てんするために通貨を創造しても、 純コストは発生しない-つまりインフレの恐れはない-ことになる。したがって、政治・制度上の制約がない場合は、意図的に財政収支を赤字にし、通貨発行だけで赤字を補てんすることが、ケインズ派の理想的な景気対策になるはずだ>

 財政学者であれば周知の事実だが、ノーベル経済学賞を受賞したブキャナンらは「ケインズがいなければ、1960~70年代の政治家がこんなに節度を失うことはなかった」とし、アメリカの財政赤字や通貨膨張、政府部門の肥大化の主な原因をケインズ派の理論にあると批判するために執筆したのが同書(『赤字の民主主義』)である。

 同書において、財政規律を重視するブキャナンらが「ケインズ派が-大半のケインズ派が-通貨の増発を選ばず、古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは、今もって意外」とする記述は、ケインズ派に対する「強烈な皮肉」を投げかけるものである。


予算膨張と減税の政治圧力をどうコントロールするのか


 MMTでは、財政赤字が害をもたらすとわかれば、その時点で適切な水準に財政赤字を縮小すればよいという発想だが、民主主義の下で政府支出の削減や増税を迅速かつ容易に行うのは極めて難しい。政府が財政赤字の縮小を迅速に行えるという仮定は、ケインズ理論が仮定する「ハーヴェイロードの前提」に近いものだが、政府支出の削減や増税は現実の政治プロセスで行うのは容易ではない。

 例えば、1997年に消費税率は3%から5%に引き上がったが、2014年に消費税率が8%に引き上がるまで17年もの時間がかかったのが一つの証である。本丸の社会保障改革もなかなか進まない。日本をはじめ各国では財政赤字の問題に長年悩んできたが、社会保障費の削減や増税が政治的に容易に可能ならば、今ごろ日本では財政再建が終了しているはずである。

 政治家は票を求めて選挙で競争を行う。その際、有権者や利益団体の要求に応じて予算は膨張するメカニズムをもつ一方、政治家は有権者に税を課すことは喜ばない。むしろ、減税こそが歓迎される。

 つまり、財政民主主義の下では、財政は予算膨張と減税の政治圧力にさらされることになり、現在の政治家と有権者には財政赤字が膨れ上がるメカニズムを遮断するのは簡単なことではない。このため、ブキャナンらは「民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない」と主張する。

 なお、財政赤字を法定通貨の新規発行で賄うリスクは、第1次世界大戦後のドイツや第2次世界大戦後の日本などでも経験しており、その歴史的教訓から、中央銀行の独立性を高め、財政法で財政ファイナンスを禁止しているということも忘れてはいけない。

 この意味で、『赤字の民主主義』の216-234ページの以下の指摘が現代の我々に突きつけるメッセージを深く理解することが望まれる(下線は筆者)。

<政府は公債発行の権利よりも通貨発行の権利を厳しく制限されてきた。選択が許される場合、政府が課税よりも通貨の膨張(水増し)に傾く傾向があることは、 経済史の無数の例が示している。(略)選挙で選ばれる政治家は公的支出を承認し、有権者に課税する。もし予想される歳出を歳入と均衡させることが政治家の義務でない場合は、そんなことはしない。政治家の行動が必然的にインフレを招いても、有権者から直接責任を問われることはないからだ。(略)教科書通りのケインズ理論を鵜呑みにした有権者や政治家から見れば、財政赤字の削減で総支出のペースが落ちれば、雇用と実質生産がいつ減少してもおかしくない>