メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.06.06

日米貿易交渉の行方

NHKラジオ第1 三宅民夫のマイあさ!「経済展望」 のコーナー(2019年6月6日放送)

1.先月(5月)末の日米首脳会談で、アメリカのトランプ大統領は日米貿易交渉について「おそらく8月に良い内容の発表ができると思う」と発言しました。参議院選挙の後ということになりますが、日米貿易交渉を巡ってはどんな背景があるのでしょうか?

 最も重要な事実は、この交渉は本来日本が圧倒的に有利だということです。弱い立場にあるのはアメリカです。

 日本とアメリカはTPP(環太平洋経済連携協定)を結びましたが、トランプ大統領は就任後ただちにこれから脱退しました。TPPも自由貿易協定の一つです。自由貿易協定とは、加入した国同士の関税を削減したり撤廃したりして、貿易をより推進しようとするものです。これに参加しない国はその利益を得られない、差別されることが自由貿易協定の本質なのです。TPPから脱退したアメリカは差別されます。中でも影響を受けたのはアメリカの農業です。

 アメリカ抜きのTPP11や日本とEUの自由貿易協定が最近発効しました。このため、日本と自由貿易協定を結んでいないアメリカから見ると、日本の農産物市場で、カナダ、オーストラリア、EUというライバル国との競争条件が不利になってしまいました。

 牛肉関税を例にとると、今年の4月からこれらの国の関税は26.6%に下がり、14年後には9%になります。これに対して、アメリカ産牛肉への関税は38.5%のままです。今でも10%以上の関税差がついていて、時間が経つほど、これが拡大していきます。豚肉、小麦、乳製品、ワインなど他の農産物についても同じです。日本市場から駆逐されたくないアメリカはどうしても日本と自由貿易協定を結ばなければなりません。

 逆に、日本にはアメリカと自由貿易協定を結ばなければならない事情はありません。自由貿易協定がなくても、自動車はアメリカに輸出されています。


2.トランプ大統領は、どうして農業界の声を重視しなければならないのでしょうか?

 トランプ大統領は、来年に迫った大統領選挙に勝つことで、頭がいっぱいです。

 実は、大統領選挙でどちらの候補が勝つかは、ほとんどの州では選挙する前からわかっています。カリフォルニア州では民主党候補、テキサス州では共和党候補が勝ちます。しかし、選挙をしてみないとどちらに揺れる(スイングする)かわからないという意味で、スイングステイトと言われる州があります。これは、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニア、フロリダなど、全米50州のうち9つほどの州で、ここでの勝敗が大統領選挙を左右します。

 これと同時に重要なのが、中西部という地域です。アメリカの真ん中から北東に位置する地域で、州としては、ミシガン、オハイオ、イリノイ、アイオワ、ウィスコンシン、ミネソタ、ペンシルベニアなどがあります。ミシガン、オハイオのように一部はスイングステイトでもあります。この地域は自動車産業や鉄鋼業で栄えましたが、これらの産業が衰退したため、錆びた地域、ラストベルトと呼ばれるようになりました。ここは民主党が強い地域だったのですが、共和党のトランプ大統領は、2016年このラストベルトの労働者に雇用を取り戻すと訴えて、当選しました。就任後は、輸入を制限するため、鉄の関税を引き上げ、自動車の関税も引き上げようとしています。

 中西部は、ラストベルトであると同時に、アメリカで最も農業の盛んなコーンベルトと呼ばれる地域です。農家は伝統的に共和党支持なので、農家の票を失うと当選できません。トランプ大統領が再選されるためには、スイングステイトだけでなく、ラストベルトでコーンベルトでもある中西部で勝利することが必要となっています。


3.その中西部の選挙や農業の事情はどうなっているのでしょうか?

 昨年11月の選挙では、ミシガン、イリノイ、ウィスコンシン、ミネソタ、ペンシルベニアといった中西部の州の知事選挙で、民主党が勝ちました。民主党が盛り返しています。

 中西部の主な作物は、大豆とトウモロコシ(コーン)です。トランプ大統領が始めた米中貿易戦争で、中国がアメリカ産大豆の関税を引き上げたことから、中国への大豆の輸出が大幅に減少し、中西部の農家は大きな打撃を受けています。大豆やトウモロコシは家畜のエサなので、このうえ、牛肉などの日本市場まで失うと大変です。

 昨年9月、私はアメリカ農務省の幹部に、来年1月に日米交渉が開始されるとしたら、いつ交渉をまとめたいと思っているのかと質問しました。答えは2月でした。それだけ、切羽詰っているのです。


4.アメリカは農業についてTPP以上の条件を獲得したい、自動車でも厳しい要求をしてくるという見方がありますが、どうですか?

 日米両国がWTOに違反しないような自由貿易協定を結ぼうとすると、農業だけ、自動車だけ、という協定は作れません。全ての物品が対象となる協定でなければなりません。アメリカが農業について過大な要求をすると、日本は政治的に受け入れられないという主張をするでしょう。交渉が長引いて損をするのは、競争条件がますます悪くなるアメリカの農業です。また、自動車で交渉が難航して、全体の協定作りが遅れても、損をするのは、アメリカの農業です。

 これまでの日米交渉と違って、日本の方が圧倒的に有利なのに、聞こえてくるのはアメリカの要求ばかりで、日本がアメリカに何を要求して、何を勝ち取ろうとしているのか、さっぱり伝わってきません。

 TPP交渉では、アメリカの2.5%の自動車関税を撤廃するのに25年もかけることで合意せざるを得ませんでした。勝手にTPPから脱退したアメリカに、カナダやオーストラリアなどTPP参加国並みの農産物の関税を認めるなら、日本はその見返りに、自動車関税の即時撤廃を要求してはどうかと思います。それを認めないなら、農業でTPP参加国並みの条件は認めないと主張すれば、アメリカは必ず折れてきます。問題は、日本の交渉者にそれだけのガッツがあるかどうかです。