メディア掲載  財政・社会保障制度  2019.06.05

【2040年の社会保障を考える】公的年金の「財政検証」シナリオを問う

週刊エコノミスト(2019年6月4日号)に掲載
2029年以降の技術革新(TFP)の伸びが年率0.3~0.8%のシナリオでは、年金の所得代替率は50%を下回る可能性が高い。老後の防貧機能をどうするか。



 日本の公的年金制度の最大の問題は、老後の防貧機能を堅持しつつ、年金財政の持続可能性を高めていくことにある。年金財政の健全性は、法律に基づき、年金財政の健康診断に相当する「財政検証」を少なくとも5年に1度実施することで確認する。前回の財政検証は2014年であり、19年は5年ぶりに財政検証を行う年だ。14年の財政検証では、経済成長率の方向性を決定づけるTFP(全要素生産性、潜在成長率に占める技術革新の寄与割合)上昇率のほか、名目運用利回りや実質賃金の伸び等の異なる条件で8ケース(ケースA~H)を検証している。

 政府は04年の年金改革で、約100年間、年金の所得代替率(現役男性の平均的な手取り収入に対するモデル世帯での年金の給付水準の割合)を50%以上に維持すると法律に明記し、50%を割る場合は制度改正を義務づけている。14年度におけるモデル世帯の年金額は夫の年金額が年間約180万円(=月額15.4万円)、妻の年金額が年間約77万円(=月額6.4万円)で、合計約260万円(=月額21.8万円)である。14年の財政検証では、高成長(24年度以降の実質GDP成長率が0.4~1.4%)を前提とする5ケースでも、現在62.7%の所得代替率は50.6~51%に低下し、約30年後の給付水準は2割減となることを明らかにしている。14年におけるモデル世帯の年金月額21.8万円のイメージでいうならば、それから2割低い水準とは、年金月額が17万円に低下することに相当する。

 また、低成長(24年度以降の実質GDP成長率がマイナス0.4~0.1%)の3ケースでは所得代替率が50%を下回り、このうちのケースHでは、国民年金の積立金が55年度になくなり完全な賦課方式に移行するとともに、所得代替率が35~37%になる可能性も明らかにしている。

 しかも、モデル世帯の年金額は「現実の年金分布」とは相当かけ離れていることに留意する必要がある。それは、厚生労働省「年金制度基礎調査 平成24年」から読み取れる。例えば、モデル世帯との比較でみると、200万~250万円の年金を受け取る男性は19.8%程度いるものの、200万円未満の年金しか受け取っていない男性は55%もいる。150万円未満は40.4%である。

 このトレンドが19年の財政検証でどう変化するか注目されるが、19年3月上旬、厚労省の社会保障審議会年金部会「年金財政における経済前提に関する専門委員会」が開催され、19年の財政検証を実施するときの「年金財政における経済前提の報告(案)」および「同参考資料集」を公表した。

 筆者もこの専門委員会のメンバーであるが、17年7月の設置から始まり、19年3月までの間に10回の会合を開催し、報告(案)はその議論を取りまとめたものである。


TFPで初の度数分布

 14年の財政検証では、TFP上昇率の違いなどに応じ、経済前提として、8ケースのシナリオを専門委員会で定めたが、今回は6ケース(ケースⅠ~Ⅵ)のシナリオを定めている。

 では、今回の目玉は何か。それは、財政検証のコアとなる重要なパラメーター(例:TFP上昇率・物価上昇率・賃金上昇率・運用利回り)について、過去データに基づく度数分布(ヒストグラム)を同参考資料集の一部に挿入しつつ、各シナリオが度数分布のどこに位置付けられるかを明らかにしたことであろう(例:同参考資料集の28ページ、40~42ページ、65ページ)。

 度数分布の作成や挿入は筆者が提案したもので、今回の経済前提では、29年度以降のTFP上昇率について、6ケースのシナリオを設定している(表)。


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 その際、各シナリオの妥当性は、過去のTFP上昇率の分布から以下のように説明されている。
「TFP上昇率の長期(29年度~)の前提は、1.3~0.3%の範囲の設定となる。バブル崩壊後の90年代後半以降の実績が1.2~0.3%の範囲で推移しており、おおむねこの範囲で設定されたものとなる。また、過去30年間(88~17年度)の実績の分布をみると、ケースⅠの前提1.3%を上回るのは約2割(17%)である。同様に、ケースⅡの1.1%は約4割(40%)、ケースⅢの0.9%は約6割(63%)、ケースⅣの0.8%は約7割(67%)、ケースⅤの0.6%は約8割(83%)、ケースⅥの0.3%は10割(100%)がカバーされるシナリオに相当する」(同報告〔案〕6ページ)。

 この説明に登場する数値の意味については、補足的な説明が必要である。例えば、TFP上昇率が0.9%のケースⅢで考えてみよう。

 まず、「過去30年間(88~17年度)の実績の分布でみると、ケースⅢの0.9%は約6割(63%)がカバーされるシナリオに相当する」という意味は、過去30年間(88~17年度)のTFP上昇率のうち、TFP上昇率が0.9%以上になった年は全体の63%になったという意味である。

 しかしながら、これはケースⅢのシナリオが63%の確率で実現することを示すものではない。今後のTFP上昇率の分布がこれまでの分布と変わらないと仮定しても、ケースⅢのシナリオは63%の確率では実現しない。理由は単純で、ケースⅢは29年度以降のTFP上昇率が必ず毎年度0.9%以上であることを想定するもので、1年でもTFP上昇率が0.9%を下回ればケースⅢの前提を満たさないためである。

 これは次のような簡単なケースで明確に分かるはずだ。1年目のTFP上昇率が0.9%以上で、2年目のTFP上昇率も0.9%以上である確率はいくつか。数学のテストで、「63%の確率」と回答する学生がいるならば、「落第」である。各年度におけるTFP上昇率の確率変数が独立とすると、39.7%(=0.63×0.63)が正しい確率になる。


所得代替率50%割れも

 では、今後のTFP上昇率の分布がこれまでの分布と変わらず、毎年度におけるTFP上昇率の確率変数が互いに独立するとしよう。このとき、29年度以降の50年間で、各シナリオが想定するTFP上昇率の経路が実現する確率はいくらか。50年間で連続してTFP上昇率が0.9%以上を超える確率はおおむねゼロ(=0.63の50乗)で厳し過ぎるため、例えば、50年間のうち35年以上にわたってTFP上昇率がケース3の0.9%以上となる確率を計算してみると、その確率は19.1%となる。同様に、他のケースも試算した結果が表の下段である。

 表から一目瞭然だが、ケースⅠからケースⅢのシナリオが想定するTFP上昇率の経路が実現する確率は極めて低い。財政検証では毎回どのシナリオの妥当性が高いか論争になるが、政府は明らかにしていない。しかし、実現する確率を考えれば、ケースⅢよりも慎重なシナリオであるケースⅣ・ケースⅤ・ケースⅥを想定するのが妥当であり、現在62.7%の所得代替率は50%を下回る可能性が高いことが読み取れよう。