メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.05.22

日本は韓国にWTOで敗訴したのか?~原発事故の被災地からの水産物の禁輸。日本がこれからとるべき道は?~

論座 に掲載(2019年5月7日付)

 福島第一原発事故の被災地からの水産物輸入を禁止した韓国政府の措置を日本がWTO(世界貿易機関)に提訴した事件で、第一審に当たるパネルは日本の主張を認めたものの、上級審に当たる上級委員会はこの判断を覆した。この結果、韓国の禁輸措置が継続されることとなった。

 この結果について、菅官房長官は「敗訴の指摘は当たらない」と主張し、その理由に「日本産食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準を十分クリアするとの第一審の事実認定は維持されている」ことを挙げた。

 これが国際経済法学者から誤りだと指摘され、物議を醸している。「日本産食品は科学的に安全」という記載は第一審の報告書にはなかったとも指摘されている(4月23日朝日新聞1面)。

 本件に関する報道や専門家の解説記事を読む限り、私は「敗訴の指摘は当たらない」という日本政府の主張には同意するが、その理由として挙げたものは上級委員会報告を正確に理解したものではなかった。その限りで国際経済法学者の批判は当然だと考える。

 その根拠を以下で解説するが、むしろ問題は、敗訴していないのに、韓国がWTOに違反しているおそれが高い禁輸措置を継続できることになったことである。


食の安全とWTO・SPS協定

 WTOが食の安全と貿易について規律するようになった経緯について簡単に説明しよう。

 食品・動植物の輸入を通じた病気や病害虫の侵入を防ぐため導入される衛生植物検疫措置―これをSPS措置という―は国民の生命・身体の安全や健康を守るための正当な手段である。

 他方、我々は、貿易によって世界中からさまざまな食品を輸入し消費している。国際交渉によって関税が引き下げられるなど伝統的な産業保護の手段が使いにくくなっている中で、これに代わってSPS措置が国内農業の保護のために使われるようになってきた。貿易の自由化の観点からは、保護貿易の隠れ蓑となっているSPS措置の制限・撤廃が求められる。

 しかし、真に国民の生命・健康の保護を目的としたSPS措置であっても、貿易に対して何らかの効果を与える。生命・健康の保護を目的とした真正の措置と貿易制限を目的とした措置との区分は容易ではない。

 このため、食の安全という利益と食品の貿易・消費の利益の調和が必要になる。

 このような二つの要請のバランスを図ろうという試みが、1986年から開始されたガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の一環として行われた。その結果1994年合意されたWTO・SPS協定は、この問題の解決を「科学」に求めた。科学的根拠に基づかないSPS措置は認めないとしたのである。

 生命・健康へのリスク(危険性)が存在すること、そして当該SPS措置によってそのリスクが軽減されることについて、科学的根拠が示されないのであれば、その措置は国内産業を保護するためではないかと判断したのである。

 そのうえで、各国のSPS措置を国際基準と調和(ハーモナイゼイション)することを目指している。各国の規制が統一されている方が、貿易の円滑化に資するからだ。


WTO・SPS協定の仕組み

 簡単にSPS協定の仕組みを解説しよう。

 まず、各国は適切な保護の水準(ALOP:appropriate level of protection)を設定することができる。ALOPとは、1万人に一人の死亡まで認めるか、1億人に一人の死亡しか認めないのか、つまり、どこまでのリスクを許容するかということである。ALOPは"acceptable level of risk"(受け入れられるリスクの水準)とも定義されている。ALOPをどのような水準に設定するかは各国の主権的な権利である。以下のSPS協定の規定に整合的なら、ゼロ・リスクとすることも可能である。

 ただし、異なる状況において恣意的または不当な区別を設けることが、国際貿易に対する差別または偽装した制限をもたらすことがないようにしなければならない(5.5条)。整合性の原則であり、同じようなリスクに対して、ある時は保護の水準を低くして緩やかな措置を許容し、ある時は保護の水準を高くして厳しい措置を要求してはならないということである。

 ALOPを定めたら、各国は科学的な評価(これをリスクアセスメントという)に基づきSPS措置を決定する。下の図では、この関係を簡単に理解できるよう、縦軸にリスクの程度(X人に一人死亡)をとり、横軸に措置(どれだけのハザード(危害)を摂取するか)をとり、両者の関係を右上がりの直線で示している。原点に近いほど許容できるリスクが小さい、つまり健康保護の水準が高くなる。これに伴い、許容できるハザード摂取量も減少する。ALOPが目的ならSPS措置は手段である。SPS措置に対しては科学的根拠が要求されるが、ALOPに対しては要求されない。政治的または政策的にALOPを決めると、SPS措置はALOPとリスクアセスメントによって決定される。


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 SPS措置について、SPS協定は、①科学的な原則に基づいてとること(2.2条、つまりリスクアセスメントを行うということである=5.1条)、②同一または同様の条件(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む)の下にある加盟国間で恣意的または不当な差別をしないこと(2.3条、同一または同様の条件にあるのに、異なる扱いをしてはならないということである)、③国際貿易に対する差別または偽装した制限となるように運用してはならない(2.3条)、④ALOPを達成するために必要である以上に貿易制限的でないこと(5.6条)という要件を課している。


WTO上級委員会の判断

 上級委員会は、パネルが行った、韓国の措置は不必要に貿易制限的である(5.6条)、韓国の措置は日本産水産物に対して差別的である(2.3条)という判断について、破棄している(以下川瀬剛志「韓国・放射性核種輸入制限事件再訪」RIETIを参照した)。

 まず、最初の5.6条違反かどうかについて、川瀬論文は次のように要約している。

 パネルは本件での韓国のALOPが「①通常の環境における食品の放射能レベルに維持すること、よって②1mSv/年を上限として、③合理的に達成可能なできるかぎり最低限(as low as reasonably achievable-ALARA)に食品の放射能汚染を維持すること」であると認定した。にもかかわらず、パネルはもっぱら②にのみ焦点を当て、3要素がそれぞれ別個であるか、それらがどのように相互作用するか、また②がALOPの質的側面である①、③を内包するのか、などの問題を検討していない。

 パネルは日本が提案する代替措置(セシウム100Bq/㎏以上の食品のみ輸入制限、これで1人当たり年間被ばく量を1mSv/年以下にできる水準)が韓国の複合的なALOPを達成できるか否かを検討する責務がある。しかし、パネルは韓国のALOPの3要素全てについて検討せず、代替措置が1mSv/年を著しく下回る被ばく量を達成できる、としか判断しなかった。

 しかし、このようなあいまいなALOPの設定は問題である。「上級委員会の先例によれば、ALOPは定量的でなくてもいいが、SPS協定の義務の実施を妨げないように「詳細な(precise)」ものでなくてはならず、SPS措置を取る国がこれを設定する専権および義務がある」(川瀬論文)からである。実際にも、このような曖昧なALOPからどのようにリスクアセスメントをしてSPS措置を決定できるのかはなはだ疑問に感じる。

 結局のところ、「上級委員会としては、ALARAおよび「通常の環境下」要件は単独では意味をなさず結局は1mSv/年基準を意味する、という結論をパネルは明確にすべきだった、ということに尽きる」(川瀬論文)。つまり、韓国のALOPが不適切であることをパネルが明示的に示さなかったことがおかしいと上級委員会は述べていることになる。これは、パネルがおかしいのであって、日本敗訴というものではない。

 第二の2.3条違反かどうかに関し、差別しているかどうかが判断される「同一または同様の条件(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む)」について、食品自体の放射能汚染のレベルだけで判断したパネルに対して、上級委員会は日本に原発事故が生じたという食品汚染に関わる生産国の環境も含めて判断すべきだとした。「食品自体の汚染水準についても、パネルは食品の実際の汚染レベルがパネルが認定するところの韓国の安全基準(セシウム100Bq/kg)を下回るかにのみ着目し、日本とそれ以外の地域での放射能汚染の状況の違いもたらす潜在的な食品汚染について検討していないことを指摘している」(川瀬論文)。

 しかし、この上級委員会の判断は疑問である。健康に影響を与えるのは、食品であり、問題なのは、それがどこで生産されたものであれ、どの程度ハザードを持っているかどうかである。存在するかどうかも分からない潜在的な汚染を、どうやってリスクアセスメントすればよいのだろうか?

 ただし、ここでも上級委員会が問題視しているのは、パネルの判断の誤りであって、潜在的な汚染を検討すればどうなるかという判断を行っているのではない。また、この論点で日本の主張が受け入れられなかったとしても、別の論点で韓国の措置がSPS協定違反だと認定されれば、日本は勝訴していた。

 いずれにしても、上級委員会はパネルが判断を誤ったと言っているにすぎず、韓国の措置がSPS協定に違反していないとも言っていない。パネルが最初の5.6条違反の点を明確に指摘していれば、韓国の措置がSPS協定違反だというパネルの結論は維持されていたと思われるのである。


日本政府の対応についての疑問

 しかし、それでも日本政府の主張やアプローチが正しかったのかどうかという問題は残る。

 第一に、これまでSPS協定に関する係争事件で、違反を多く認定されているのは、リスクアセスメントに関する2.2条、5.1条である(山下一仁「食の安全と貿易」日本評論社56ページ参照)。

 2008年までの8つの事件で、2.2条違反は申し立てた5件すべてで認定、5.1条違反は申し立てた8件すべてで認定されている。今回日本政府が違反として引用した、2.3条は1件で違反の申し立てがあったのに違反認定されず、5.6条は3件の違反申し立て中違反認定されたのは1件に過ぎない。

 あいまいなALOPの設定から、どのようなリスクアセスメントによって全面禁輸という措置を導出したのか、この点を前面に押し出して訴えるべきではなかったのだろうか? 訴訟効率からしても、勝ちたいなら2.2条、5.1条違反を申し立てるべきだった。

 第二に、5.6条は違反を追及することが難しい条文である。

 5.6条は、ALOPを達成するための「措置」は技術的および経済的な実行可能性を考慮して必要以上に貿易制限的でないことが要求されるとしている。他により貿易制限的でない代替措置("less trade restrictive alternative measure")があるときはこの原則に違反する。健康に影響を与える残留農薬を規制するためには、トウモロコシの輸入を全面的に禁止するのも一つの方法であるが、輸出国に一定水準以下の残留農薬規制を要求し、輸入港において抜き打ち検査を行うことによって規制を遵守しているかどうかを確認するほうが、より貿易制限的でない措置である。

 ある措置が5.6条に違反するかどうかは、(ⅰ)技術的および経済的な実行可能性("technical and economic feasibility")を考慮して合理的に利用可能な("reasonably available")他の措置があるか否か、(ⅱ)適切な保護の水準ALOPを達成する他の措置があるか否か、(ⅲ)貿易制限の程度が相当小さい他の措置があるかどうか(代替措置の貿易制限の程度がある程度あっても相当なものでなければよい)、により判断される。この3つの要件は重畳的であり、ある国が採った措置が5.6条に違反するためにはこの3つを満足する代替措置があることを申立国が立証することが要求されることになる。特に、(ⅲ)については、5.6条の注で、「相当に("significantly")貿易制限的でない別の措置がないかぎり貿易制限的ではない」としている。問題となっている措置が他の措置に比べある程度貿易制限的であっても、その程度が著しくなければ、認めようということである。(山下一仁「食の安全と貿易」日本評論社101ページ参照)

 つまり、導入されている措置が少々貿易制限的でも5.6条違反を問うことは困難なのである。

 第三に、同じ整合性を問うのであれば、措置についての5.6条ではなく、ALOPに関する5.5条違反を申し立てるべきではなかったかと思われる。

 5.5条に違反する場合は、(ⅰ)異なる保護の水準が「比較可能な」異なる状況において採用されたこと、(ⅱ)保護の水準の違いが「恣意的または不当」であること、(ⅲ)保護の水準の違いが「国際貿易に対する差別または偽装された制限をもたらす」こと、という要件を満たす必要がある。

 上級委員会は、2.3条が「同一又は同様の条件の下にある加盟国の間(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む)」と規定していたために、このカッコ書きの部分に注目して、日本で原発事故が生じたという加盟国領域の生態系・環境上の事情も「条件」に含まれるとして、同条違反を認定しなかった。しかし、5.5条については、そのような文言はなく、EC・ホルモン牛肉規制事件で、パネルは、「同じ物質」か「同じ健康上の悪影響」が含まれる場合には比較可能といえるとし、上級委員会は、「異なる状況について十分に比較可能であるための共通の要素がなければ、異なる状況を比較することはできない。もし状況がまったく異なるものであれば、合理的に比較可能であるとはいえず、また異なるALOPを恣意的であるかどうかについて検討することはできない」と判定している。セシウムという共通のハザードがあるので、十分に比較可能であると思われる。

 日本が提案する代替措置(セシウム100Bq/㎏以上の食品のみ輸入制限、これで1人当たり年間被ばく量を1mSv以下にできる水準)は韓国の安全基準(セシウム100Bq/kg)と同じである。また、ALOPの1mSv以下は国際的な基準でもある。韓国が採った全面禁輸という措置は、1人当たり年間被ばく量1mSv以下というALOPではなく、ゼロ・リスクに対応するもので、日本に対する「恣意的または不当」なALOPであると主張することは可能だったはずである。


WTOや他国にも問題がある

 もちろん、WTOの紛争処理手続きに問題があることも明らかになった。

 韓国の措置はWTO協定に整合的だと認定されたわけではない。にもかかわらず、疑わしい措置が継続される。これは、WTOの上級委員会は、パネルの判断を破棄できても、自分で判定(自判)することやパネルに差し戻して判断のやり直しをさせることはできない仕組みになっているからである。

 さらに、今回の上級委員会の判断の効力は、中国や台湾など韓国と同様に禁輸措置を講じている他の国には及ばない。これで他の国の措置が正当化されるものではない。日本は、今回の上級委員会の判断を参考にして、中国等をWTOに提訴して、是正を求める道が残されているのである。

 これで全面禁輸措置がWTO違反であるという判断を勝ち取れば、韓国に是正をより強力に要求することができるだろう。