メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.05.07

日米貿易交渉「日本が攻められている」という妄信~切羽詰まっているのは米国だ。日本は圧倒的有利にあることを認識すべきだ~

論座 に掲載(2019年4月15日付)
日本は圧倒的有利なのに

 日米貿易交渉が4月15~16日にワシントンで開催される。

 海の向こうのアメリカから伝わってくる情報は、日本に厳しい要求ばかりである。ムニューシン財務長官は、日本が円安に導入してアメリカへの輸出を増やさないようにするという為替条項を入れるべきだと主張する。パーデュー農務長官は、農産物の関税等でTPP以上の譲歩を日本に要求するとか、農産物だけ切り離して先行合意すべきだと主張する。

 問題は、一部の報道を除いて、これが実際の交渉担当者とか業界とかに裏付け的な取材をされることなく、そのまま報道されていることである。

 日本からの発信も同じだ。ある主要紙は3月29日、TPP11や日・EU自由貿易協定の発効でこれらの協定参加国の関税が低下したことにより、日本市場でアメリカ産の牛肉や豚肉のシェアが減少していると報じ、アメリカの生産者の不満はトランプ政権への圧力となり、4月にも始まる物品貿易協定交渉で日本への風圧が強まる可能性があると結論づけている。

 報道している側も、日本が一方的に攻められているという構図を信じているようだ。これは日本政府も同じだろう。

 しかし、これまで何度も本誌で論じたとおり、日本は圧倒的に有利な立場にある。それなのに、一方的にアメリカから押しまくられた過去の日米通商交渉のトラウマから、日本は常に受け身でアメリカの要求をどうしたらしのげるかという発想しかできないのである。


焦っているのは米国だ

 第一に認識すべきことは、日本はアメリカと自由貿易協定を結ぶ必要は全くないことである。

 アメリカがTPPから抜けたことで、日本はアメリカ市場へのアクセスを失ったと考える人もいるかもしれないが、アメリカ市場へのアクセスという点では日本はTPPでほとんどといってよいほど勝ち取ったものはない。

 日本の自動車に課される2.5%の関税も、フォードなどの反対で、なくなるまで25年もかかることになってしまった。TPPがなくても、日本の輸出産業は、これまで通り輸出している。

 第二に、焦っているのはアメリカである。

 TPP11や日・EU自由貿易協定の発効で、日本市場において、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、EUという農産物輸出のライバル国との競争条件は決定的な差がついてしまった。4月からこれら諸国産の牛肉関税は26.6%に下がり、14年後には9%になる。これに対して、アメリカ産牛肉への関税は38.5%のままである。既に10%以上の関税差がついており、時間が経てば立つほど、これが拡大していく。これは、小麦、乳製品、ワインなど他の農産物についても同様である。

 私はこれまで10年間ほどアメリカ農務省が毎年2月に開催するアウトルック・フォーラムという会合に出席している。これまでこのフォーラムで話題になり議論されるのは、いかに中国市場が重要かという話ばかりだった。それが今年ばかりは違った。わざわざ日本の農産物市場に関する特別セッションを設けて、アメリカの食肉業界、小麦業界の関係者が、いかに日本市場が重要かを力説したのである。

 このなかで、食肉業界の代表は、飼料としてとうもろこしや大豆を使用する食肉の輸出が不振となれば、すでに米中貿易戦争で打撃を受けている中西部コーンベルトのとうもろこしや大豆の生産者に、150~200億ドル(1兆8千億円~2兆4千億円)の被害を与えることになると主張していた。

 私が本サイト「愚かなアメリカが沈めるTPP(2016年9月13日付)」でアメリカ抜きのTPP(TPP11)を実現すべきだと主張したと同様の事態が実現したのである。

 当時は私の発想に反対した安倍総理以下の日本政府の担当者は、TPP11がなければ今頃アメリカからの要求に立ち尽くしているしかなかったはずである。

 本サイト「日米貿易協定交渉は日本が圧倒的有利なはずだ(2018年12月28日付)」の文を再掲しよう。


 交渉ポジションは圧倒的に日本に有利だと言うことである。

 アメリカは交渉を妥結しないと農業に影響が生じる。トランプが再選される条件は、ラストベルトでもありコーンベルトでもある中西部で勝利し、なおかつフロリダやオハイオなどの帰趨が不明確なスイングステートで勝利することである。コーンベルトの農業票を逃がしてしまえば、トランプの再選はない。

 これに対して、日本は交渉を妥結しない方がよい。中西部の農業票が欲しいなら、TPPに戻ってきなさいとアメリカに言えば良いだけである。

 為替条項も非市場国条項も、どうしてもアメリカとFTAを結ぶ必要があったカナダやメキシコは、アメリカの要求に屈せざるを得なかった。アメリカとFTAを結ばなくてもこれまで通り輸出できる日本は、USMCAの非市場国条項に付合う必要はない。要するに、カナダやメキシコと異なり、日本は優位な地位にあるのである。


 さらに、中西部は今年大洪水の被害を受け、作物の作付けもままならない状況になっている。

 洪水はトランプのせいではないが、米中貿易戦争、日本市場の喪失、大洪水のトリレンマに悩まされることになる中西部の農家の怒りがトランプに向かうかもしれない。そうなると、来年に近づいたトランプの再選への希望に、とどめを刺されることになる。


米国がTPPから勝手に離脱した

 第三に、このような事態を作ったのは、アメリカがTPPから勝手に離脱したからである。

 このため、日本はTPP11という枠組みをもう一度作り直す手間をかけなければならなくなった。アメリカはTPPに復帰すれば、日本市場での不利性は解消できる。

 このような原因を作ったアメリカに何らのペナルティーも与えないで、TPP11に付合ってくれたカナダ、オーストラリア、ニュージーランドと同様の条件をアメリカに認めて良いのだろうか?

 アメリカの農務長官がTPP以上の結果を求めると言うのは、論外である。TPPの合意結果は日本が妥協できる上限であって、それがスタートラインではない。

 トランプ大統領が好きなディールに例えて言おう。

 あるアメリカ人が訪問先に飾ってあった掛け軸をとても気に入って譲ってくれと交渉したとしよう。掛け軸の持ち主(日本人)はお金には困っていない。代々伝わる宝なので、どうしても譲れないと言う。ところがアメリカ人は欲しくてたまらない。100万円をオファーしたが日本人は首を縦に振らない。1千万円でもだめだと言われたので、とうとう2千万円までオファーした。ディールとしてはアメリカ人の負けである。

 アメリカがTPP以上の農産物の譲歩を求めたり、自動車や為替条項などで無理難題を言ってきたりしても、日本は難しいと言って横になれば良いだけである。時間が過ぎて農産物の関税格差が拡大して困るのは、アメリカである。


日本は筋を通せば良い

 昨年9月、私が来年1月に交渉が開始されるとして、アメリカはいつ妥結したいのかと質問したのに対し、農務省の担当者は2月だと答えた。それほどアメリカ農業界は切羽詰まっているのである。

 また、今年の2月、農務省や連邦議会調査局の担当者たちは、関税引き下げのステイジング(段階的引き下げ)を気にしていた。仮にTPP並みの結果を獲得できたとしても、牛肉などは16年かけて9%に段階的に下げられるので、来年4月に日米協定が発効すると、アメリカに対する関税はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドに比べ、3年遅れて引き下げられることになる。その結果、先行して引き下げられるオーストラリア等との格差が16年続くことになる。これをなんとかできないかというのである。かれらはTPP以上のことなど考えていない。

 私は、こう答えた。

 「トランプ大統領から安倍総理に頼めば良い。ノーベル平和賞に推薦するくらいだから、こんなことくらい聞き入れてくれるはずだ」

 今回の協議で不思議なことがある。アメリカからの要求ばかり報道され、日本がアメリカに何を要求するのかが全く報道されていないのである。日本にとって今回の交渉は望んだものではない。それなのにアメリカの要求に応えて交渉するのであれば、当然その見返りは要求してしかるべきである。そうでないとディールにならない。自動車の関税の即時撤廃を要求すれば良い。

 また、アメリカが安全保障を理由にして自動車の関税を25%に引き上げると主張してくるなら、日本は牛肉以下の農産物関税を100%上乗せすると応じれば良い。日本はWTO違反の措置を容認するわけにはいかないと筋を通すのである。

 最後に、アメリカの政府関係者から、なぜ日本は「物品貿易協定」といってサービス分野を含むFTA(自由貿易協定)を否定するのかという質問を受ける。これが今回開かれる最初の協議のテーマ(どこまで交渉の範囲とするのか)にもなっている。

 私は、これは日本政府がアメリカとの二国間交渉(=FTA)ではないと主張するためにひねくりだした奇妙な言葉で、二国間交渉を進めることとなった以上、この論理は破綻しており、FTA交渉に応じざるをえないと答えた。かれらは、アメリカ議会との関係で、個別にばらばらと協定の承認を求めるわけにはいかないので、包括的なFTAでなければならないという意見を述べていた。この論理からすれば、冒頭のパーデュー農務長官の「農産物だけ切り離して先行合意すべき」という主張に根拠がないことがわかる。また、これはガット・WTOの自由貿易協定に関する規定にも反している。要するに、農務省の幹部が州知事出身の長官を十分教育していないのである。