メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.04.25

ブレクジットは何が問題なのか

NHK第一ラジオ 三宅民夫のマイあさ!「経済展望」 のコーナー(2019年4月25日放送原稿)

1.イギリスのEU離脱問題、どうしてなかなか結論が出せないのでしょうか?

 日本でもブレクジットは大きく報道されています。イギリスのメイ首相がEUと合意した離脱協定案に与党である保守党の一部が反対して三度にわたって否決されたり、考えられる8つの案について議会が独自に採決したのに全て否決されたり、この結果離脱の期限が3月29日から10月31日に延期されたりするなど、イギリスの政治が大変混乱しているということはよく分かります。 しかし、EUの中にあったイギリスがEUの外に出るだけなのに、なぜもめるのでしょうか?イギリスがEUに残るべきか離脱すべきかを国民投票にかけたとき、ほとんど全てのイギリスの国民や政治家たちは、EUの中に残るか外に出るかという簡単な問題だと考えたはずです。

 しかし、イギリスのある特殊な事情が、簡単な問題を迷路に入り込んだようなものにしてしまいました。


2.特殊な事情とは、何でしょうか?

 イギリス領の北アイルランドとアイルランドとの間の国境問題です。

60年代から90年代にかけて北アイルランドで大変な紛争が起きていたことを覚えている方も多いと思います。ハリソン・フォード主演の映画「パトリオット・ゲーム」はこの紛争がテーマです。アイルランドの人たちの多くはカトリックです。しかし、北アイルランドには、イギリスと同様プロテスタントの人たちが多く住んでおり、カトリック系住民は差別されていました。このため、イギリス残留を望むプロテスタント系住民と、イギリスからの独立とアイルランドとの統一を目指すカトリック系住民との間で、テロによる流血事件が発生しました。ところが、イギリスもアイルランドもEU加盟国となり、アイルランドと北アイルランドの国境検査が撤廃され、ヒトやモノが自由に移動するようになると、北アイルランドを巡る紛争は下火になっていきました。こうして両者の間で和平合意が1998年成立しました。

 ブレグジットとは、イギリスがEUの外に出るということなので、日本が他の国からのヒトの入国やモノの輸入に入国審査や税関審査を行っているように、アイルランドとイギリス領北アイルランドの間に再び検問所による国境管理が実施され、ヒトやモノの移動が規制されことになります。そうなると紛争が再発するのではないかという悪夢が蘇ってきたのです。


3.メイ首相とEUの間の合意案では、どのようになりましたか?

 北アイルランド問題を考えると国境管理はない方が良いことになります。しかし、離脱してEUの外国になるのに国境管理をしないということはできません。つまり、ブレクジットと北アイルランド問題はあっちを立てればこっちが立たないという両立できないものなのです。

 メイ首相とEUの間の合意案では、ブレクジットを犠牲にして北アイルランド問題の再発防止を優先しました。中途半端なブレクジットになったのです。このため、ブレクジットを主張してきた与党である保守党の人たちは、この案に猛然と反対しました。


4.具体的には、どのようなものですか?

 モノの貿易の面で国境管理には二つの仕事があります。

 一つは関税のチェックです。離脱後にイギリスとEUが自由貿易協定を結べば、関税がなくなるので、これが必要でなくなるように思われるかもしれません。そのような報道もあります。しかし、これでは不十分です。EUは域外の国に対して関税をかけて域内の産業を保護しています。しかし、イギリスがアメリカと自由貿易協定を結んで、アメリカから来る小麦の関税をゼロにしたとします。すると、イギリスはEUとも関税なしの自由貿易協定を結んでいるので、アメリカ産の小麦が関税なしでイギリスに入り、その後また関税なしでEUに入ってしまいます。これではEUの小麦農家を保護できないので、EUはイギリスから来る小麦はイギリス産のものでないと関税なしでの輸入は認められないとします。これが原産地証明と言われるものですが、イギリス産かどうかをチェックするためには、国境管理が必要です。つまり、イギリスとEUが自由貿易協定を結んで関税をなくしても、国境管理が要るのです。

 これはイギリスが外国にかける関税とEUが域外の国にかける関税が違うために、起こる問題です。もし、イギリスがアメリカなどのEU以外の国に対してもEUと同じ関税をかけるようにすれば、この問題は解決できます。これを関税同盟と言います。実は、これは今と同じ姿です。イギリスもEUの関税同盟に入って、外国からの輸入には同じEU共通の関税をかけています。

 しかし、関税はEUで決まられ、イギリスは決められないことになります。ブレクジットで関税自主権を回復しようとしたのに、イギリスは関税自主権を取り戻すことはできなくなります。また、イギリスはEU以外のアメリカや日本などの国と関税を下げて自由貿易協定を結ぶということはできなくなります。これがEU離脱派の怒りを買いました。

 次に、国境管理の仕事として、EUに入る物品について、その規格や基準がEUの規則にあっているかどうかの審査が国境で必要です。これをなくすためには、イギリスもEUと同じような規則を採用しなければなりません。しかし、離脱後は、自分たちはEUの外に出てしまうので、これまでのようにEUに代表を送ってEUの規則を決定することができなくなるのに、それを守らなければならないことになります。これもブレクジットで主権の回復をするはずだったのに、むしろ今よりも主権が制限され、逆のことになってしまったと、EU離脱派の怒りを買いました。


5.今後、どうなるのでしょうか?

保守党内の強硬派を抑えきれないメイ首相は、緩やかな離脱の方がよいと考える野党の労働党と協議して、妥協案を探ろうとする方向に転換しました。これができない場合には、国民投票をやり直して離脱を撤回することも考えられます。もちろん、EUとの合意なき離脱(協定なくして単にEUの外に出てしまう)もやむをえないという人たちもいます。その時には経済的な混乱だけでなく、北アイルランド問題を覚悟しなければなりません。