メディア掲載  外交・安全保障  2019.04.15

新元号「令和」に思う

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年4月11日)に掲載

 1日、新元号が発表された。たまたま当日は朝から夜の講演用スライド作成に没頭しており、「令和」に決まったことは職場の同僚から聞いた。

 新元号は国民の好奇心の的だったが、多くは「令和」に好意的なようだ。それでも巷(ちまた)の報道ぶりは異常で、街には号外が飛び交い、テレビでは特別番組が続いたが、メディアの大騒ぎ、筆者にはむしろ興ざめだった。30年前の印象が強いせいか、新元号はもう少し厳粛に迎えたかったのかもしれない。

 とはいえ、個人的に「令和」は気に入っている。それどころか、国家の一体感と国民の健全な価値観を象徴し、体現する現在の皇室にはいつも頭の下がる思いだ。

 でも筆者は天邪鬼(あまのじゃく)、今回は新元号を取り上げたい。

 それにしても、日本には元号の専門家がこんなにいたとは知らなかった。失礼ながら、漢字でわずか2字の組み合わせながら、かくも豊富な故事、由来、歴史などについて滔々(とうとう)と語れる識者には脱帽するしかない。ああ、もう少し日本史を勉強しておけばよかったと後悔しても、後の祭りだ。

 同時に驚いたのは、恐らく外国系メディアの一部だろうが、「れい」を命令や指揮の意と誤解し、およそ日本人では思いもつかない「令和」の解釈が英語の世界に垂れ流されたことだ。

 記事を書いた記者の漢字の知識は小学生並みなのか。さらに、あるケーブルニュースは「元号は時に政治的となり得る」と報じて昭和ナショナリズムに言及していた。当然ながら日本の外務省はこうした解釈を否定している。

 恐らく今回の新元号で最も意外だったのは、令和の出典が日本最古の歌集である万葉集であり、これまでの伝統だった中国古典ではなかったことだ。

 それだけではない。今回は中国古典を推す国民の声もほとんど聞かれなかった。30年前の改元は1989年1月、あの天安門事件の5カ月前だ。やはり、あれから日本国民の対中観は大きく変わってしまったのだろう。

 今回が30年前と最も異なるのは世間の雰囲気がまるで違うことだ。当時は昭和天皇崩御に伴う改元だった。国民全体が喪に服し、歌舞音曲は自主規制された。

 そうした静かで厳かな新体制への移行とは異なり、今回は喜びとお祝いのムードが前面に出ている。「令和」という名の商品は飛ぶように売れ、社会は明るい雰囲気であふれている。

 筆者が最も気になるのは「令和」の将来だ。元号が変われば確かに雰囲気も変わるだろう。だが、それで国民生活の実態や国際紛争の原因が大きく改善するわけではない。「令和」の時代を形作るのは政府ではなく、あくまで国民一人一人だからだ。

 振り返ってみれば、明治以来、過去4代の元号はそれぞれ特徴を持っている。明治時代の日本は若い開発途上国だった。西洋列強に追いつくべく、植民地化されなかった幸運の中で近代化を進め大きな成果を上げた。大正の日本は短かったが、東アジアで初めての議会制民主主義が花開いた時代だ。

 その後、激動の昭和が始まり、壮年期の日本は天国と地獄を味わい、多くの教訓を得た。さらに、平成の30年間で日本は円熟の時代を迎えたが、今われわれは人口減少と経済の停滞に直面している。

 来るべき「令和」の時代、われわれがすべきことは東アジア最古の議会制民主主義国家を再活性化することしかない。国民が一致して同事業に取り組める新時代の到来を期待したい。