メディア掲載 グローバルエコノミー 2019.03.26
前回記事「米朝決裂で優先度が高まった日米通商交渉」で述べたように、米朝首脳会談が決裂した大きな理由は、トランプ大統領の元顧問弁護士で懐刀だったコーエンによる米国連邦議会での証言にあったと思われる。これは、トランプにとっては大きなショックだった。
ハノイとワシントンの間の時差によって、コーエン証言は初日と二日目の会合の間にすっぽりはまった。この衝撃的な証言を見せられたトランプは、会談前に想定していた妥協的で小さな合意では、かえって米国内の反発を受けると判断したと思われる。
トランプは、(北朝鮮が予想しなかった)高いレベルのディール(つまり完全な非核化)が必要だし、それが実現できないと席を立つしかないと、金正恩に主張したのだろう。
トランプは帰国後、海外で指導者が重要な交渉を行っている最中に、このような証言をぶつけるのはとんでもないと民主党を強く批判した。これは、コーエン証言にトランプが動揺し、米朝首脳会談が影響を受けたことを示している。
3月3日、ホワイトハウスで安全保障政策を担当するボルトン大統領補佐官は米朝首脳会談を「失敗ではなく、成功だった」と強調した。しかし、ノー・ディール、決裂が成功なら、わざわざ首脳会談など開く必要はなかった。これはボルトンの立場からすれば、安易な妥協をトランプがしなくて良かったというものだろう。
コーエン証言後首脳会談でのアメリカの主張は、トランプが妥協しようとしたものから、ボルトンやポンペイオ国務長官が主張していた完全な非核化へ変化したと思われる。本来トランプだけで行うことが想定された最後の会合にも記者会見にも、ポンペイオが同席した。首脳同士の一対一(テタテ)のディールの場ではなくなったのである。
ボルトンたちとは異なり、会談前には、トランプは明らかに金正恩と合意をしようとしていた。そうでなければ、長旅が嫌いと言われるトランプが、わざわざハノイまで行くはずがない。内政の失敗を外交で埋め合わせしようとしたのである。
国家の安全保障を考えるボルトンたちと次の大統領選挙の勝利を考えるトランプとでは、発想の原点が全く異なる。ボルトンには成功でも、コーエン証言によって米国民にアピールしようとした米朝合意を反古にされたトランプにとっては、米朝首脳会談は明らかな失敗であり、コーエン証言を首脳会談にぶつけてきた民主党に怒り心頭となったのは当然だろう。
コーエンはトランプを詐欺師などと呼び、トランプを擁護する共和党議員たちにあなた方も私のようにいつか後悔するだろうという厳しい言葉を浴びせた。ある政治評論家がテレビ番組で述べたように、コーエンは派手な(flashy)証言者だったし、トランプを自分の利益や欲望を優先し、国家のことなど微塵も考えていない最も大統領にふさわしくない人物だという評価を、テレビを通じて全米にアピールした。トランプは、コーエン証言と米朝首脳会談失敗の二重のダメージを受けて帰国した。
コーエン証言はトランプだけではなく、その支持者たちにも大きな影響を与えたように思われた。トランプの国家非常事態宣言に対する連邦議会の反対決議である。
トランプは大統領選挙中から不法移民対策としてメキシコとの国境に壁を作るべきだと主張してきた。そのために連邦政府の一部閉鎖を行ってまで必要な予算が確保できるよう目指したが、世論の反発を受けるとともに、中間選挙の結果下院の多数を占めるようになった民主党に拒否された。
その後の民主党と共和党の合意による予算でも、トランプが主張するような壁の予算は認められなかった。トランプにとって、米朝首脳会談はこの失点を挽回するという意味を持っていた。
しかし、米朝首脳会談は失敗した。壁が建設できないとトランプは最大の選挙公約を果たせない。これは来年の大統領選挙に不利に働く。
このため、トランプは大統領権限で移民の流入を国家非常事態だと宣言して、防衛予算の一部を壁の建設予算に流用しようとしたのである。この宣言に反対する決議を下院は245-182の大差で可決した。民主党議員だけではなく、トランプの与党の共和党の議員13名が造反して、この決議支持に回った。
注目されるのは、共和党が多数を占める上院の対応である。上院多数党のリーダーであるマコーネル共和党院内総務は、共和党から4名の造反者が出て、決議は51対49で可決されるだろうとの見通しを述べている。もちろん反対する決議が可決されても、トランプは大統領の拒否権を発動するので、壁は建設できる。
しかし、私にはコーエン証言でとうとうトランプは共和党の支持まで失うようになったのかと思われた。このような見立てが正しいのかどうか、何人かのアメリカの友人に聞いてみた。ある大学教授はアメリカ政治専門の同僚にも意見を聞いてくれた。私には想定していなかった返事が返ってきた。しかも彼らの回答は大きな点で一致していたのである。
まず、共和党の造反は、予算の配分は憲法上議会が行うべきで大統領権限でこの権限を否定するようなことは許されないという主張によるもので、ある意味共和党対民主党という党派的な対立と言うよりは、立法府対行政府の対立ととらえるべきだというものである。マコーネル共和党院内総務自身、税制の見直しや最高裁判事任命の承認については、トランプに協力してきたが、今回の国家非常事態宣言についてはしない方がよいとトランプにアドバイスしていた。
また、共和党上院議員の造反者4人について、スーザン・コリンズ(メイン州選出)、リサ・マコウスキー(アラスカ州選出)は、マコウスキーがカバノー氏の最高裁判事任命の承認に反対するなど、従来からトランプの政策に反対してきた。スーザン・コリンズとトム・チリス(ノース・カロライナ州選出)の選挙区州は共和党色の強いレッド(赤)の州ではなく、大統領選挙でどちらに転ぶか分らないスイング・ステイトである。ランド・ポール(ケンタッキー州選出)は主義主張(principle)から反対しているのだろう。
ランド・ポールは10人くらい造反者が出るだろうと発言している。ラマー・アレクサンダー(テネシー州選出)の名前も出ているが、彼は次の選挙に出馬しないと表明しており、選挙を気にしないで良心に従って行動できる。州自体がレッドからブルー(民主党)に変わりつつあるコロラド州選出のコリー・ガードナーは、来年選挙を控えており、また最も落選しそうな議員とも言われており、決議に賛成するかもしれない。これ以外にも、ミット・ロムニー元大統領候補(ユタ州選出)やマーコ・ルビオ(フロリダ州選出)の名前も挙げられている。
(注:3月14日上院はこの決議を59対41で可決した。共和党からは12人の造反者が出た。上記のうちガードナーは造反しなかった。これに対してトランプは拒否権を発動した。しかし、3月26日の下院での票決では、これを覆すために必要な2/3以上の票は集まらなかった。)
日本の国会と異なり、党派による議決拘束がないアメリカでは、与党行政府の提案に対し、与党議員でも反対するし、野党議員でも賛成する。これは、日常茶飯事である。個々の議員がどのような議案に賛否どちらの投票を行ったかは公表され、選挙区民たちの批判や評価を受ける。もちろん、これは次の議会選挙での選挙民の投票行動を左右する。このため、議員は地元の利益や意向を常に意識しながら議会で投票することになる。自由貿易に賛成のはずの共和党議員でも、選挙区に輸入品と競合する産業が多ければ、自由貿易に反対の投票を行うことになる。
投票に党議拘束がないため、議案ごとに、態度を決めかねている議員に対して賛成派、反対派入り乱れての激しいロビー活動が行われる。国家非常事態宣言に対する議決も、一見トランプへの支持が弱まっていることを示しているようにも見えるが、このような議案の一つにすぎない。これにコーエン証言の影響はないというのが、私の友人たちの共通した見立てである。
むしろ今回の国家非常事態宣言は議会の予算権限を侵すものなので、本来なら議員のほとんどが反対すべきなのに、そうしない。それはトランプの支持がなければ、共和党の予備選を勝ち上がって本選の候補になれないからである。逆に、トランプ支持の対立候補が出てくれば予備選で敗北する。サウス・カロライナ州選出で同州の知事も務めたマーク・サンフォード下院議員は共和党予備選でトランプ支持の対立候補に負けて、本選に進めなかった。その対立候補も本選で民主党候補に敗れている。よほどの信念や事情がない限り、共和党議員はトランプの政策に反対票を投じられない。
もちろん、共和党議員がトランプを恐れるのは、トランプに対する共和党員の岩盤のような支持があるからだが、その支持はコーエン証言でも全く揺らいでいない。3月3日のある調査では依然89%であり、共和党員の9割がトランプを支持している現状に変わりない。
悪役だったコーエン自身にいかがわしさがあり、証言内容を割り引いて評価しなければならないと判断した人たちも多かっただろうが、それにしてもトランプのために500回ほど脅迫したなどと言うコーエン証言は衝撃的だった。にもかかわらず、どのような事実を突きつけられても、共和党員の彼らは、税制改革、最高裁判所での保守系判事の任命などについて、成果を出してくれたトランプを支持し続けている。
また、社会の分断が際立つようになったアメリカでは、トランプが民主党やその支持者たちを攻撃すればするほど、トランプ・共和党支持者は快哉を叫び、トランプに対する支持を強固なものとする。トランプが白人至上主義者を擁護するような発言をしても、トランプ支持の多くの白人たちからは好意的に受け止められる。税制等で期待に応えたトランプがどのようにスキャンダルにまみれた人物でも、彼について行く。
民主党支持者の友人は、これをストックホルム・シンドローム(誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。1974年のパトリシア・ハースト事件などがある。)の新型だと言った。
コーエン証言が明らかにしたのは、党派の対立の激しさである。コーエン証言に対し、質問した共和党議員の中で証言の内容について言及したのは一人だけ(しかもケビン・マッカーシー下院共和党院内総務のトランプは何も悪いことはやっていないという発言)で、あとは全てコーエンの証人としての適格性や信憑性を追及するものだったという。
はっきりしたのは、共和党議員のトランプに対する忠誠である。コーエン証言は党派対立をより強固なものにすることになったという評価もある。
来年の大統領選挙に向けてトランプが恐れるのは、岩盤支持の揺らぎである。その中でも伝統的に共和党を支持してくれてきた農民票は手放せない。中国のアメリカ産大豆関税引き上げで中西部の農家は影響を受けている。米中貿易協議で中国が農産物の関税を撤廃することが重要だと発言し始めたのは、そのためだろう。
トランプは、壁では民主党と対立しても、同じく保護貿易主義の立場に立つ貿易問題では対立しない。米朝会談の失敗の後、トランプの関心は通商交渉に向くだろう。
ただし、貿易問題についても、今回の国家非常事態宣言に対する連邦議会の対応と同じく、立法府対行政府の対立という要素がある。本来通商問題を扱う権限は、合衆国憲法上は大統領ではなく議会が持っている。議会はその権限を特別の法律で行政府に授権しているだけである。それなのに、トランプが通商拡大法232条などを利用して、鉄鋼やアルミの関税を引き上げ、さらには自動車の関税までも自由に引き上げようとしていることなどについて、議員たちは快く思っていない。232条について安全保障上の脅威があるかどうかを判断するのは、商務省ではなく国防総省であるべきだ等とする法案が提出されている。これには党派を超えた理解があるという。連邦議会の動きにも注意が必要だろう。