メディア掲載 グローバルエコノミー 2019.03.18
北朝鮮の非核化を巡る米朝首脳会談は決裂した。
トランプ大統領の説明によると、北朝鮮が一部(寧辺)核施設の廃棄の見返りに制裁の全面解除を求めたからだという。しかし、北朝鮮が全面的な核廃絶に応じることはありえないことは、大方の認識だったし、現に事務方の協議は難航していた。
国内での人気回復を焦るトランプ大統領は、ディールできるトップ同士ならなんとか打開・妥協できると楽観的に考え、一定の成果を得ようとして米朝首脳会談をセットした。しかし、金正恩委員長はディールに応じる用意がなかったと言いたいのだろう。
金委員長からすれば、米国民に対してアピールできれば、国内政治の状況からトランプ大統領は中身の乏しいディールにも応じるはずだという認識から、上記の提案を行ったのだろう。これは、トランプ大統領が会談前に非核化は急いでいないというハードルを下げるような発言を行っていたことからすれば、間違った認識ではなかったと思われる。
会談前は、双方とも大きなディールは考えていなかったはずである。
おそらく、両者の思惑を裏切る原因となったのは、トランプ大統領の元顧問弁護士マイケル・コーエンが米朝首脳会談の初日に当たる2月27日の米下院の公聴会で行った証言だろう。
コーエンは、脱税や選挙資金法違反の罪で連邦捜査局(FBI)と、ロシア疑惑に関する米議会への偽証についてモラー特別検察官と、それぞれ司法取引に応じてきた。そのコーエンを、これまでトランプは、罪を軽くしてもらうために、ウソをついているとツィッターで非難してきた。
トランプからすれば、コーエンも彼のために働くことで利益を得てきたのであり、いわばコーエンは裏切り者である。その裏切り者が、下院の公聴会でトランプを人種差別主義者(a racist)、詐欺師(a con man)、ペテン師(a cheat)などと激しく非難するとは思ってもいなかっただろう。
今回のコーエンの証言内容自体は既に指摘されていることばかりで、法的には特に新しい事実はなかった。しかし、報道を詳細にフォローしている訳ではない米国民からすれば大統領にあるまじき行為や事実の開陳と受け止められたし、トランプのために個人や団体を500回ほど脅迫したなどというやりとりは大きな注目を集めた。
アメリカ公共放送PBSの30分のニュース番組はほとんどをコーエンの証言に充て、初日の米朝首脳会談には1~2分程度触れただけだった。米朝首脳会談がかすんでしまったのである。
ある意味で絶妙のタイミングだった。ハノイとワシントンでは昼夜逆転している。初日の夕食をしながらの会談の後、コーエンの証言が行われた。初日の会談と二日目の会談の真ん中にコーエンの証言がスポッと入り込んだのである。
この証言が行われる前の夕食会では、トランプは「とても明日は忙しい日になる。明日の会談によって、とてもすばらしい状況になり、二国の関係はとても特別なものになるだろう」「シンガポールの会談は成功だったが、今回はそれと同じかそれを上回るほどの素晴らしい成果を挙げることができるだろう」と、米朝首脳会談について極めて楽観的な発言をしていた。
また、金正恩も「どの時よりも多くの苦しみと努力、忍耐を必要とした。すべての人が喜ぶすばらしい結果を作り出せると確信している。最善を尽くす」「非核化しなければこの場にはいない」などと応じていた。
しかし、夕食会後のコーエンの証言がゲームチェンジャーになってしまった。これとその反響を見たトランプとしては、この証言によるダメージを相殺できるほどの成果を、北朝鮮の非核化について挙げなければならなくなった。
当初考えていた中途半端な成果では逆に大きな批判を浴びてしまう。このため、交渉二日目の28日に、決裂も覚悟で交渉のハードルを一気に上げたのだろう。
これは金正恩にしては想定外だった。彼が首脳会談に向けて練りに練ったシナリオが崩れてしまったのである。
米朝首脳会談とコーエンの証言は関係ないとする外交問題の専門家もいるが、そうであれば初日と二日目の対応がなぜ大きく違ってしまったのかを説明できない。
我々は、北朝鮮の非核化、ロシア疑惑、米中貿易戦争、メキシコ国境での壁建設などは、それぞれ別の問題だと認識しているかもしれない。それぞれの問題の専門家であれば、特にそうである。
しかし、トランプにとっては全て自らの政権の評価、最終的には来年の大統領選挙で勝利できるかどうかに繋がる問題である。彼にとっては、全てが関連しているのである。
大統領であり続ければ、連邦議会からの弾劾の可能性はあるものの、司法省から刑事的な訴追は受けない。大統領でなくなれば、元ポルノ女優に口止め料を払ったことを選挙資金法違反で訴追されることになる。コーエンはこれ以外でも何件かの刑事事案を検察は検討していると証言している。
トランプにとって再選は死活問題なのである。
メキシコとの壁の建設を巡り、連邦政府の一部閉鎖という手段に出たが、国民の反発を招き、壁の建設予算は議会に認められなかった。このため大統領権限で国家非常事態宣言を行って、予算を流用して壁を作ろうとしていることに対し、16の州に裁判所に訴えられている。壁が作れなければ、選挙公約を実現できなかったとして、支持層の離反を招きかねない。
この困った状態からリカバリーショットを打とうとして米朝首脳会談をセットしたが、コーエンの証言によって想定外の結果になってしまった。今回安易な合意をしていれば、北朝鮮の非核化問題に詳しい識者や議員から、大きな批判が出ていただろう。
交渉を中止して、北朝鮮の要求に応じなかったことは、ダメージコントロールとしては優れていた。野党民主党のペロシ下院議長も安易な妥協をしなかったことを評価している。
次にトランプが考えるリカバリーショットは通商交渉となる。
しかも、保護貿易主義のトランプは野党民主党からの批難を受けない。むしろ自由貿易派の共和党からの反発が大きいはずだが、その共和党が変質している。通商交渉については、超党派の支持があるので、国内的には得点を稼ぎやすい。詳しく説明しよう。
これまで述べてきたとおり、トランプの通商交渉は、TPPからの脱退を含め、古くからある保護主義的な民主党の主張に乗っかっているもので、自由貿易を主張してきた伝統的な共和党の主張とは異なる。不思議なことに、貿易政策に関する限り、トランプの主張は、社会民主主義を標榜する民主党左派のバニー・サンダース上院議員(バーモント州選出)の主張と同じく保護貿易主義である。
これに対して、共和党の主流派の政治家たちは、トランプが予備選挙で勝利しても大統領候補は別の人物を立てようとしたことに見られるとおり、トランプが大統領になるまで彼と彼の主張を嫌悪してきた。
ところが、昨年11月の中間選挙では、2016年の大統領予備選挙でトランプを激しく攻撃し最期まで共和党の大統領候補指名を争ってきたテッド・クルーズ上院議員(テキサス州選出)が、トランプの選挙応援を求めるため、過去のいきさつを忘れたかのようにトランプにすり寄り、彼を全面的に支持するようになった。クルーズはトランプの支持のおかげで辛くも勝利できた。
クルーズに限らず、共和党の主流派は、メキシコとの国境の壁の建設でも、貿易政策でも、従来の主義・主張をなげうって、トランプの政策を支持している。政治家だけでなく、共和党の支持者のほとんどがトランプを支持している。そもそも、ロシア疑惑やポルノ女優との不倫のもみ消しなどスキャンダルまみれのトランプは、キリスト教を信じる謹厳な共和党の道徳観とは相いれないように思われるにもかかわらずである。
結果的に、貿易政策については、トランプ政権と民主党の政策が変わらなくなっているばかりか、共和党も保護主義的なトランプ政権の政策に異を唱えなくなっている。壁の建設に代表される移民政策については、トランプ政権と民主党は激しく対立し、政府機関の一部閉鎖という異常事態を招いたが、貿易政策については党派的な対立は見られないのである。
これはどうしてなのだろうか? この素朴な質問を何人かのアメリカの友人にぶつけてみた。
共和党の政治家たちがトランプを支持する理由として、ほとんどの人が挙げたのは、共和党の予備選の存在である。連邦議会の選挙に出るためには共和党の予備選挙に勝って候補者としての指名を受けなければならない。勝手に立候補できないのである。そのときに共和党の支持者からの圧倒的な支持を受けるトランプの支持が得られれば、指名は確実になる。
逆にトランプを敵に回すと、指名は困難となる。予備選挙でトランプから対立候補を立てられれば、敗北は必至である。トランプが大統領になってからも彼と対立してきたアリゾナ州選出のジェフ・フレーク上院議員が、中間選挙での立候補を断念したのは、このためだと言われている。トランプの政策に反対すればするほどフレークの支持率は低下し、昨年7月には支持率18%、不支持率51%になってしまった。
では、共和党の支持者はどうなのだろうか?
トランプは有権者の35%、共和党支持者の8割という岩盤のような支持を持っている。
ある人は、共和党支持者にとって最も重要なことは、税の負担軽減と規制緩和、つまり小さな政府であり、自由貿易は大きなイッシューではないと答えた。つまり、これまで自由貿易は共和党、保護貿易は民主党という、大まかな色分けはあったものの、トランプ政権が保護貿易に傾斜しても、小さな政府を志向する限り、支持を続けるというのだろう。
現代の政治はさまざまなイッシュ―を抱えている。ある政党を大きな課題で支持していれば、別のイッシュ―でその政党の政策を支持していなくても、政党自体への支持は変わらない。
特に、今のアメリカは、女性、マイノリティ、若者、リベラル派は民主党、白人男性、保守派は共和党という風に、分裂してしまっている。白人の男性なら、ラストベルトのブルーカラーもコーンベルトの農民も、トランプの貿易政策が思うようにいかなくても、あるいはこれで多少被害を受けたとしても、トランプや共和党を支持する。
安倍政権がTPP政策を推進しても、農協や農家が自民党を支持するようなものである。しかし、大きな影響が心配されるような事態が起きれば、農民も黙ってはいない。1980年代後半の牛肉かんきつ交渉では、山中貞則、江藤隆美、檜垣徳太郎といった畜産・ミカン地帯の大物農林族議員が落選の憂き目に遭った。
米朝首脳会談の前、米中の貿易協議で進展が見られたとして、トランプは自分で設定した3月1日の対中関税引き上げを延期し、トランプと習近平間の首脳会談で最終的に決着することになった。
米中が決着すれば、次はEUとの交渉ではなく日本との交渉になりそうだ。すでに中西部の農家は中国の大豆関税引き上げで大きな影響を受けている。米国産農産物はTPP11や日EUの自由貿易協定で影響を受けている。その日本市場での失地回復のため、アメリカはできる限り早く日米交渉を開始する必要があるのである。
それができなければ伝統的に共和党を支持してきた中西部の農民票を失い、トランプの大統領再選は危うくなる。トランプにとっては、北朝鮮の非核化も日米交渉もすべて大統領再選につながっている。