この原稿は米西部ロッキー山脈麓にあるデンバー市内のホテルで書いている。昨年はインディアナ州とワシントン州で在米「日米協会」関係会合の講演を行ったが、今回はそのコロラド州版だ。デンバーは標高1マイル(1609メートル)で年間晴天300日という自然の美しい町だが、今回は筆者の行いが悪いのか、到着早々大雪が降り始めた。
コロラド州と日本の関係は極めて良好だ。当地日米関係者によれば、それは1941年の真珠湾攻撃当時、同州知事だったラルフ・カーのおかげだという。当時米国内では極端な排日主義が吹き荒れていたが、カー州知事は米国市民権を持つ日系2世米国人の基本的人権侵害と不当な強制収容に反対しただけでなく、米国憲法に基づき、当時各地で迫害を受けていた多くの日系人をコロラド州内に受け入れたのだそうだ。涙が出るような話ではないか。
筆者も米国での日系移民の物語には強い関心がある。90年代前半のワシントン在勤時代は、暇さえあれば収容所体験を持つ日系人の魂の話を聞いて回ったものだ。その筆者も、コロラド州カー知事の話は不覚ながら忘れていた。全米広しといえども、コロラド州ほど日本人にとって居心地の良い場所はない。
今でもデンバー市内には仏教の寺院があり、英語と日本語で説教が行われる。「桜スクエア」という日本人町が残っている。年に1回は当地在住の日系米国人と在留邦人が仲良く半日かけて「紅白歌合戦」を開催する。NHKの番組を放映するのではない。日系人と在留邦人が本当に「歌合戦」をするのだ。金髪の日系3世の女の子がおばあちゃんや在留邦人と演歌を熱唱する。これが44年も続いているのだから驚く他ない。
こうした話を旧知の当地日本総領事から聞いていたら、ふとノーマン・ミネタ元運輸長官の言葉を思い出した。ミネタ氏はカリフォルニア州サンノゼ出身、ワイオミング州にあった強制収容所の経験もある日系人社会の出世頭の一人だ。93年にワシントンのある日系人の集まりで会った彼は筆者に言った。ニューヨークの世界貿易センター爆破事件直後のことだ。「先日FBIがアラブ系・イスラム系米国人に対する検査強化につき説明に来たが、自分は断固反対した。彼らはアラブ系などの保護のためと説明するが、それは日系人強制収容所の時に使った口実と全く同じだった」。さすが、ミネタ氏の人種差別反対は筋金入りだ。
コロラドに縁のある日系人をもう2人紹介しよう。1人目はミノル・ヤスイ氏、日系移民に対する強制収容の不当性を争い、当初は有罪となった日系2世の弁護士だ。その後デンバーに移住し活動を続けた結果、86年に有罪判決を覆した。当時ヤスイ氏の活動を支えたのがデンバー地元紙編集者、ビル・ホソカワ氏だった。彼の努力もあり、最終的に88年、連邦政府が日系人に対する強制収容に対し、公式に謝罪している。こう考えれば、デンバーが日系人の名誉回復にいかに大きな役割を果たしたかわかる。だが、話はこれで終わらない。
翌日の講演の前にデンバー市内のミノル・ヤスイ・プラザに必ず行くと心に決めた。でも誤解しないでほしい。筆者がカー知事、ミネタ長官、ヤスイ弁護士を称賛するのは、彼らが日本のために尽力したからではない。彼らが米国憲法の精神に忠実であるだけでなく、いかなる人種差別とも闘う勇気ある米国市民だと思うからだ。ミネタ氏が指摘したように、今も米国内での反イスラム・反アラブ差別は収まっていない。それどころか白人至上主義や反ユダヤ主義が米国各地で顕在化し始めているのが現状だ。今こそ、コロラド州の価値が見直されるべき時だろう。デンバーはただの観光地ではないのだから。