メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.02.18

「国境管理してEU離脱」しか道はない - 英議会はメイ首相とEUの合意案になぜ反発するのか。それを理解すれば解決策が見える-

WEBRONZA に掲載(2019年2月4日付)
「根本にある問題」を理解していないブレグジット報道

 昨年末から、私はブレグジットについての小論をWEBRONZAで書き始めた。NHKや主要な全国紙でさえ、イギリスでの報道をそのままオウム返しに伝えているだけで、なぜメイ首相とEUがこういう内容でしか合意できなかったのか、なぜイギリス議会でこの合意案に反発が強いのかという"根本にある問題"を理解して報道しているように思えなかったからである。

 この"根本にある問題"を分析して正確かつ適切にブレグジットを報道するためには、イギリスとEUとの歴史的な関係はもとより、関税同盟と自由貿易協定はどの点が違うのかといった通商問題の基本、関税同盟と単一市場というEUの根幹を形成する制度について、十分に理解していなければならない(参照「ブレクジットを理解したいあなたへ」)。これらはブレグジットを理解する上で、基本中の基本、日本語で言うとイロハ、英語だとABCである。

 逆に言うと、これを正確にかつ十分理解していれば、ブレグジットについてなぜ問題や対立が起きるのか、状況が変化しても正しい分析に基づく報道を行うことができる。

 ただし、イギリスの欧州懐疑主義、通商問題、EUの制度的特徴の全てについて、基本的な理解が必要となる。特定の分野だけの専門知識があるだけでは、正しいアプローチはできない。

 マスコミだけではない。ある大学教授によるブレグジットの解説記事を読んだが、この基本の基本であるツボに触れながら本質的な部分について解説しているようには思えなかった。ある政府機関の資料も経緯の説明や合意内容や事実を羅列しているだけである。これでは何がどうして問題となるのか、さっぱり分らない。


「国境管理せず」を優先し「完全な離脱」を諦めた離脱案

 1月29日イギリス議会は、メイ首相とEUが交渉した離脱案の中のバックストップ(2020年末に終わる移行期間後のあり方について交渉がまとまらなかった時に採られるセイフティネット)条項について再交渉するよう求めた。これに対して、メイ首相の交渉相手のユンケル欧州委員会委員長らEU側は絶対に応じられないと直ちに拒絶した。

 それはなぜなのか、日本のマスコミは正確に分析して報道できるのだろうか。

 もちろん、イギリス政府とEUが長期間交渉した結果の合意であり、また他のEU加盟の27カ国の了承を採っているので、いまさらこれを覆せないという、一般に行われている表面的な見方を日本に伝えることならできるだろう。

 しかし、EUとしては、"根本にある問題"を解決するためにはこれ以外のバックストップ案はないから、拒否しているのである。

 その"根本にある問題"とは、アイルランド紛争を再び招かないためにアイルランドと英領北アイルランドの間で国境管理(ハード・ボーダー)を実施しないという要請と、イギリスがEUの関税同盟・単一市場から離脱・独立するというブレグジットが、そもそも両立しないということなのだ。

 「ブレクジット解決の唯一の道は?」で書いたように、完全に離脱したいのなら全く別個の経済地域となるので(日本が外国との間で設けているような)厳しい国境管理が必要だし、現状通り国境管理をなくしたままにしたいならEUと同じ経済地域となるようにEUの関税同盟と単一市場の中に留まるしかなく完全な離脱は諦めるしかない。

 どちらかをとるなら、他方を犠牲にするしかないのだ。

 メイ首相とEUが交渉した離脱案は、国境管理を実施しないということを優先して、本来ブレグジットが求めるEUの関税同盟・単一市場からの離脱・独立をほとんど諦めてしまった。イギリス議会のブレグジッター(EU離脱派)が反対するのは当然である。


ブレグジッターが重視した「関税自主権の回復」

 くどいようだが、もっと分りやすく説明しよう。

 ブレグジッターが求める本来のブレグジット"完全な離脱"とは、日本を例にとると、九州と愛媛県が"その他日本"から独立した国になるようなものなのだ。

 モノの貿易についてみると、九州・愛媛連合国は独立国なので、"その他日本"とは異なる食品や自動車などの基準や環境や労働の規制・政策を実施できるし、独自の通商・貿易政策を採ることもできる。具体的には、外国に対して"その他日本"が適用する関税と異なる関税も課す(例えば、牛肉の関税を"その他日本"の38.5%に対して50%とする)ことができるうえ、"その他日本"が結んでいない国(例えば中国)と自由貿易協定を結ぶことも、"その他日本"と同じ相手国でも違う内容の自由貿易協定を結ぶこと(例えば、豪州に対して"その他日本"が牛肉の関税を9%で譲歩しても、九州・愛媛連合国は20%までしか譲歩しない)も可能である。

 九州・愛媛連合国が日本に留まる場合のように、イギリスがEUの関税同盟の中にいるなら、EU域外国に対する関税はEU共通のもので、イギリスが単独で決定することはできない。したがって、他国との間で関税を削減したり撤廃したりする自由貿易協定を、EUとは別個にイギリスだけが結ぶことはできない(日本に留まる九州・愛媛連合国が"その他日本"とは独自にアメリカと自由貿易協定を結んで関税を撤廃することはできないのと同じ)。一方、EUの関税同盟から離脱・独立するなら、イギリスは"独立した貿易政策"(independent UK trade policy)を回復することができる。ある意味で「関税自主権の回復」である。

 これこそブレグジッターが重視したものだった。

 独立した国(関税地域)なら、EUも含め外国と貿易する時には通関審査という国境管理が必要となる。日本が外国との貿易の際、通関審査をしているのと同様である。しかし、これは、アイルランドと北アイルランドの間で国境管理を実施しないという要請と対立する。


英国・EU間の関税撤廃だけでは国境管理はなくならない

 では、イギリスがEUと自由貿易協定を結んで全ての関税を撤廃したら、通関審査のための国境管理は必要ではなくなるのだろうか。そうではない。

 関税同盟から離脱すれば、イギリスは全世界に対してEUより低い関税を適用したり、他国(例えばアメリカ)と自由貿易協定を結んでその国に対する関税をEUより低いものとすることができる。

 小麦価格がアメリカ3ドル、イギリス8ドル、EU7ドルとする。EUやイギリスの関税が200%であれば、これら市場へのアメリカ産小麦の通関後価格は9ドル(関税分6ドル)となるので、輸入されない。ところがイギリスがアメリカ産小麦の関税を100%にすれば、アメリカ産小麦は通関後価格が6ドルとなり、イギリスを通じてEUに輸出され、EUの農家は関税による保護を受けられなくなる。

 アメリカ産が輸入されないようにするためには、イギリス・EU間の自由貿易協定を利用してEUに輸出される小麦はイギリス産しか認められないし、イギリス産であるという原産地証明が必要となる。これを審査するために、通関審査、国境管理が必要となる。

 つまり国境管理を不要とするためには、イギリスとEU間の関税を撤廃するだけでは十分ではなく、イギリスがEUと同じ関税を外国に適用することが必要となるのである。

 これは、イギリスがEUの関税同盟に留まるということに他ならない。だから、メイ首相とEUが合意した離脱案では、2020年までの移行期間中もその後のバックストップでも、イギリスはEUの関税同盟に留まるとしたのである。


単一市場の縛りとブレグジッターの怒り

 さらに、関税同盟に留まるだけでは、国境管理を実施しないことにはならないというのがEUの立場である。

 1968年に関税同盟が確立(イギリスは1973年加盟)したのちも、EU域内の国境管理は続けられてきた。フランスとドイツの間に検問所はあったのである。

 国境管理が廃止されたのは、1992年に、ヒト、モノ、サービス、資本の域内自由化を達成する単一市場が完成されたからである。モノについて各国の規制や基準が異なれば、検問所で移出先の国の基準等に合致しているかどうかの審査が必要となる。単一市場を実現するために各国ごとの基準や規制や保護などの政策はEUとして統一され、どこの国で生産または流通しているモノも域内では自由にかつ同じ公正な競争条件(a level playing field)の下で流通できることになった。こうして域内国相互の間にある検問所は撤去された。

 アイルランド紛争を再び招かないため国境管理をしないとすれば、イギリスはEUの関税同盟と単一市場から抜けられないことになるし、それ以外の方法はない。これがユンケルなどのEUのポジションである。だから修正など応じられないという強い態度をとっているのだ。

 しかし、これはブレグジッターが受け入れられるものではない。そもそも、国境管理しないことと独立した関税地域・市場になることが両立しない以上、いつまで経っても平行のまま線が交わることはない。

 移行期間中は単一市場に留まるため、EUの基準や規制がイギリス全土に適用され、その後もバックストップにより、北アイルランドには直接これらが適用されるとともに、イギリス本土の規制もこれらと調和の図られたものでなければならないものとなり、これらに拘束される。

 しかも、法的にはイギリスは2019年3月をもってEUから離脱しているので、イギリス政府はEUの基準や規制について発言権を持たない。つまり、ブレグジッターからすれば、EUから離脱して、主権的な権利を回復するつもりが、現状以上に主権の制約を受けるという皮肉な結果となってしまった。これだと残留した方がましである。


ハード・ボーダーを伴うハード・ブレグジットしか道はない

 しかし、メイ首相に残された解決策はないのだろうか?論理的には、ないわけではない。

 そもそもバックストップについて現時点で合意する必要があるのだろうか? 移行期間後の扱いは、今後交渉すればよいだけではないか? 厳しい国境管理が嫌なイギリスは検問所に代わる案を提案できない以上、別途交渉しても今のバックストップ案に落ち着くしかないのではないだろうか? EUは欲張り過ぎたのではないだろうか? もし、EUがバックストップを棚上げすることに合意すれば、交渉は一気に決着する。私にはこれが唯一の解決策のように思われる。

 しかし、イギリスは交渉の最初の段階でこの提案を行うべきだった。時期的には遅すぎる。政治的には、既に27か国の合意を取り付けているEUとしては、簡単には舵を切れないだろう。そうなると、残された道は、離脱時期の延期による再調整(再交渉か再度の国民投票の実施)かハード・ブレグジットである。

 しかし、イギリスもEUも、より根本的な問題を解決していない。

 以上の議論は、モノの貿易についてのものである。国境管理のもう一つの目的はヒトの移動を規制するための入国審査である。しかもアイルランド等の現在のEU市民が国境管理なしでイギリス国内に入ってくるというだけの問題に留まらない。

 今回ブレグジットの大きな動機となったのは移民の問題である。

 ブレグジッターは、イギリスはEUより厳しい移民政策を行うべきだと主張する。これが実現すると、北アイルランドなどのイギリスは、アイルランドを含むEUとは別の移民政策を採ることになる。しかし、国境管理が行われなければ、緩やかな移民政策をとるEUに属するアイルランドを経由して移民が北アイルランドに侵入してしまう。不法にアイルランドに入国した移民が北アイルランドに侵入する場合だけでなく、アイルランドに入国した移民が合法的にEU市民権を得たのち、北アイルランドに入国する場合に、イギリスはどのように対応するのだろうか?

 これを認めるなら、イギリスの厳しい移民政策は尻抜けになってしまう。

 EUとは異なる移民政策を採る以上、アメリカのトランプの主張するような壁は必要ないにしても、検問所による国境管理が必要なのではないだろうか?

 そうであれば、論理的にもハード・ボーダーを伴うハード・ブレグジットしか道はないように思えるのだが、どうだろうか?