メディア掲載  外交・安全保障  2019.02.05

大坂Vに思う「日本人」とは

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年1月31日)に掲載

 テニスの全豪オープン女子シングルス決勝を、テレビをつけたり消したりしながら見ていた。筆者が見始めるとなぜか大坂なおみ選手が劣勢になるからだ。心配で見ていられずテレビを消すと、その間に彼女は盛り返す。ところが再びスイッチを入れると、また負け始めるから不思議だ。4回目に見たところでようやく試合は終わった。うれしいはうれしかったのだが、どこか違和感も残った。

 そりゃそうだろう。ハイチ出身の父と日本人の母、3歳で米国に渡り、フロリダ在住の日米二重国籍保有者だから? それだけではない。日本語より英語の方が得意だし、米国を「ホーム」とも呼んでいる。日本のマスコミは「日本人で初めて米豪連続グランドスラムタイトルを取った世界ランク1位」の快挙を手放しで報じていた。こうした報道と、ハイチと日本と米国という3つの文化を代表する大坂選手の実態との間に乖離(かいり)があると感じたからだろう。

 筆者の違和感はまだある。全米オープン制覇の際、日本在住一部外国人識者が日本社会の排外主義、「ハーフ」日本人に対する差別や偏見を厳しく批判したことだ。彼女は3歳で渡米しているから、日本国内の差別とは無縁だろう。こうしたステレオタイプの日本社会批判は時代遅れではないか。外務省で27年勤務し、台湾、米国、エジプト、イラク、中国に住んだ皮膚感覚で言えば、この種の差別や偏見自体は正当化されないが、極めて人間的であり、程度の差はあれ、世界中どこでも見られるものだからだ。

 人間は弱い動物であり、自分と異なる個人や集団には攻撃的になる。それが中東でのユダヤ教徒やキリスト教徒であり、欧米でのムスリムなのだ。日本に差別がないなどとは言わないが、欧米や中東ほど恐ろしい迫害や差別は生じていない。それにもかかわらず、日本だけを取り上げてその排外主義批判を繰り返すことにも若干違和感を覚える。

 日本社会は今急速に変化しており、外国人の増加により全国、特に地方での変化は尋常ではない。関係地方自治体では、これらの外国人といかに共存を図るかにつき、鋭意努力が続けられている。日本は欧米諸国での失敗の教訓を学びつつ、現在進行しつつある社会の多人種・多文化化に対応しようとしているのだ。

 それにしても大坂選手は見事に日本を代表していた。あの全豪オープンの表彰式では、自分のことよりも、まずは対戦相手の努力と健闘をたたえ、戦えて光栄だったと素直に述べる。その話し方、内容すべてが彼女の謙虚さ、正直さ、礼儀正しさ、思いやりを象徴している。これこそ日本人の良さであり、彼女は英語でしゃべりながらも、こうした日本の美徳を体現している。それは幼い時期にしかるべき教育を受けたとしか思えない。

 彼女に比べれば、従来の自信満々だが自己中心的言動に終始する世界チャンピオンたちの発言がいかにも陳腐に思えてくる。大坂選手は単なる世界ランク1位ではなく、テニス界のすがすがしい新たな風となった。筆者が言っているのではない。テニス専門誌の米国人記者が大坂選手を評した言葉である。

 昨年の全米オープンではS・ウィリアムズ選手が主審の判断を不服とし、かっとなって暴言を吐いた後にそれを「性差別に反対する女性の行為」と正当化していた。両者を比べればどちらが美しいかは一目瞭然だろう。

 最後に一つだけ気になることがある。大坂選手は二重国籍、日本の法律では22歳までにどちらかの国籍を放棄する必要がある。彼女が米国籍を選べば、日本は全米・全豪を制した偉大なテニス選手を失うのだろうか。彼女の去就は図らずも、日本とは何か、日本人とは何かという重い問題をわれわれ日本人に投げかけているのかもしれない。