メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.01.28

ブレグジット協定案の否決後に起きること - 合意なしEU離脱はデメリットばかりなのか?-

WEBRONZA に掲載(2019年1月13日付)
ハード・ブレグジットで関税自主権回復?

 英国議会はテリーザ・メイ首相がEUと合意したブレグジット協定案を否決した。3月29日がEUからの離脱日なので、このままいくと"合意なしの離脱"(ハード・ブレグジット)が起きる。

 まず、ハード・ブレグジットになると、何が起きるかを説明しよう。

 現在イギリスはEUという関税同盟と単一市場に属している。関税同盟とは域外国からの輸入に対しては共通の関税を課し、域内の貿易については関税をゼロにするものである。単一市場とは、域内でモノが自由に流通するように各種の産品の基準を統一し、各国の規制や保護政策の違いにより競争条件に差が出てくるのを防ぐため各国の政策をEU全体で調和・統一しようとするものである(参照「ブレクジットを理解したいあなたへ」参照)。

 ハード・ブレグジットとは、イギリスがEUから完全に分離独立することである。

 まず、関税同盟から抜けるので、イギリスはEUとは独自に日本やアメリカなどの諸国に関税を課すことができる。同時に、フランスやドイツなどのEU27か国も日本やアメリカなどと同じように"外国"になるので、イギリスからフランスやドイツに輸出する場合も、フランスやドイツからイギリスに輸出する場合も、関税がかかることになる。

 その関税水準はどのようなものになるのだろうか?

 ガット・WTO加盟国は、品目ごとにこれ以上は取らないという関税水準を約束した表(「譲許表」という)をガット・WTOに提出している。イギリスはEUに加盟した1973年以前の譲許表に戻ることも考えられるが、当時と今では国際的に認められた関税分類表が異なっており、また新しい品目も出現していること、また当時のガットと現在のWTOは法律的には別個の組織体であることから、1973年以前の譲許表が適用されることはないと考えられる。

 このため、現在EUがWTOに提出している譲許表の関税率と同じものを当面イギリスの譲許表として適用することとなる。もちろん、WTO上もイギリスはEUとは別個の関税地域となるので、イギリスが当該譲許表を一部書き換え、WTOに再提出することも可能である。譲許表に記載した関税率を下げて(例えば自動車の関税を10%から8%にして)WTOに提出することはイギリス単独で自由に行える。

 もし、イギリスとして保護したい一部品目(例えばカラーテレビ)の関税を上げたいのであれば、主要な輸出国(例えば日本)と交渉して、他の品目(例えば自動車)の関税を引き下げることにより、当該譲許表を修正・提出することもできる。

 WTOとの関係では、WTOに約束した水準以上に関税を引き上げることはできないが、WTOへの約束水準はそのままにして実際に適用する関税をそれより低くすることは自由にできる(日本の牛肉の関税も、WTOに約束しているのは50%だが、実際には38.5%の関税を適用している)。

 これまで、イギリスはEUの関税同盟に属していたので、関税の決定はイギリスが自由にできるものではなく、EU全体の決定に従っていた。ハード・ブレグジットでは、イギリスはEUとは独立して関税を決定できることになる。

 したがって、これからは、イギリスはEUとは関係なく日本やアメリカと自由貿易協定を結ぶことが可能となる。日本は現在イギリスを含むEUとも自由貿易協定を結んでいるので、日英自由貿易協定の締結は簡単だし、日英両国ともイギリスのTPP11への参加を望んでいる。

 また、アメリカとEUの自由貿易協定交渉は、EU独自の非関税障壁(基準や規制など)や農業問題等により、オバマ政権時代も遅々として進まなかった。米英の自由貿易協定なら容易に実現できるかもしれない。

 EUとの間で事実上の関税同盟を維持する現在のブレグジット協定案では、イギリスは関税水準を決定する権限を持たない(EUに権限がある)ので、独自に自由貿易協定を結べない。トランプがブレグジット協定案を批判したのは、このためだ。

 さらに、単一市場から独立するので、EUとは別の食品や工業製品の基準を設定できるほか、環境や競争法などEUとは関係なく独自の政策を展開できることになる。つまり、関税を含め、イギリスは経済面でも主権を回復することができる。

 WTOとの関係でも、EU加盟国(例えばイギリス)独自の法律が争点になる場合でもEU欧州委員会の担当者が加盟国に代わって、WTOの紛争処理手続きの当事者となってきた。これからは、イギリスの法制度はイギリス自身が当事者として代弁できるようになる。

 さらに、フランスやEUの補助金や規制などの制度が問題にされEU以外の国から関税引上げなどの対抗措置を講じられている場合でも、今後イギリスはこのような対抗措置を受けなくなるというメリットが出てくる。


ハード・ボーダーによるダメージ

 他方で、関税同盟から脱退しEUから独立した関税地域となることは、イギリスはEU以外の国に対してのみならず、アイルランドなどのEU加盟国との貿易についても、厳格な国境管理(ハード・ボーダー)が要求されるということである(日本が他の国との貿易に対して税関を設けているのと同じである)。

 メイ首相とEUとのブレグジット協定案が、事実上イギリスをEUの関税同盟と単一市場に止めるというブレグジットとは言えないものになってしまったのは、アイルランドと北アイルランドとの間にハード・ボーダーを設定したくなかったからである。ここを、イギリスをEUに繋ぎ止めたい欧州委員会の百戦錬磨の交渉者に上手く付け込まれたのだろう。

 私のような部外者からすれば、ハード・ボーダー回避という尻尾がブレグジットという胴体を振り回してしまったようなブレグジット協定案に見えるが、北アイルランド紛争を経験した人たちからすれば、ハード・ボーダー回避は至上命題だったのだろう。

 しかし、ハード・ブレグジットになると、ハード・ボーダーは回避できない。再度のアイルランド紛争勃発という政治的なコストを覚悟していく必要があるだろう。

 次は、経済的なコストだ。関税が上がるので、自由にEU市場に輸出できなくなる。これは、EUと自由貿易協定を結ぶことで回避できる。しかし、イギリスとEUの関税が異なれば、イギリス産やEU産であることの原産地証明が必要となる。このためには、ハード・ボーダーが要求される(「ブレクジット解決の唯一の道は?」参照)。

 それを避けるためには、EUと異なる独自の関税設定が出来なくなる。そればかりか、EUが締結している自由貿易協定と異なる国を相手にしたり異なる内容の自由貿易協定を結んだりすることはできないことになる。仮にイギリスが(EUと自由貿易協定を結んでいない)アメリカと自由貿易協定を結んでアメリカ産小麦に対する関税を撤廃した場合、イギリスと自由貿易協定を結ぶEUは、ハード・ボーダー(通関手続き)によってイギリス産であることの原産地証明を求めなければ、アメリカ産小麦がイギリスを経由して自由にEU市場へ流入する事態を招くことになるからだ。

 仮にこのような不都合を甘受したとしても、EUと食品等の基準が異なれば、国境でイギリスの基準に合致したものかどうかのチェックが必要となり、やはりハード・ボーダーが要求されることになる。

 いずれにしても、いままで必要なかったハード・ボーダーによる通関手続きで、現物や書類の審査による大幅な物流の渋滞が生じ、イギリスはEUを中心としたサプライチェーンから排除されかねないという問題が発生する。ヨーロッパ大陸から部品を円滑に調達できなくなった日本の自動車メーカーはイギリスから撤退せざるを得なくなるかもしれない。


関税同盟から脱退するメリット

 国際経済学からすれば、特定の国との関税だけをゼロにする関税同盟や自由貿易協定には、"貿易転換効果"というデメリットがある。

 例えば、小麦価格がアメリカ300円、フランス600円、イギリス1000円であるとする。イギリスの関税が400円のとき、イギリスの消費者は最も安いアメリカ産小麦を700円で買う。ここでEUとの関税同盟によりフランスとの間の関税をゼロにすると、イギリスの消費者はフランス産の小麦を600円で買うことになる。しかし、アメリカ産小麦のほうがフランス産小麦より安いことには変わりない。イギリスの消費者が払った400円の関税はイギリス政府の関税収入となったのであり、イギリス経済にとってコストではない。イギリスは小麦を輸入するために高い金を払わなくてはならなくなった。

 つまり、これまでは輸出国には一律に同じ関税が課されていたために、世界で最も安く供給できる国から輸入してきたのに、関税同盟により関税が課されなくなった協定締結国からの輸入に転換する。輸入国からすれば、安い輸入品に代わり高い輸入品を購入せざるを得なくなる(国際経済学では、交易条件(輸出品と輸入品の交換比率をいう)が悪化するという)。これが貿易転換効果である。

 イギリスはEUという関税同盟から脱退することで、アメリカや豪州に比べて高いEU産の小麦を買わなくてもよくなる。逆に、これは価格が高くてもイギリスに輸出できたフランスなどのEU諸国にとっては打撃となる。EUと自由貿易協定を結べば、貿易転換効果は復活するが、そのときは米英自由貿易協定を締結したり、豪州が入るTPP11に加入したりすれば、貿易転換効果は再び消滅する。


どうしてもハード・ブレグジットが嫌なら

 ハード・ブレグジットは欠点ばかりではない。メリットも存在する。

 しかし、どうしてもイギリスがハード・ブレグジットを回避したいというのであれば、いったんEUへの離脱通知を撤回して、議会の解散総選挙をするか、国民投票を実施するしかない(「ブレクジット解決の唯一の道は?」参照)。

 ハード・ブレグジットより、イギリスのEU残留やブレグジット協定案の方が望ましいEUは、待ってくれる。

 It's up to you,Theresa!(テリーザ、それはあなた次第です!)。