メディア掲載  外交・安全保障  2019.01.23

中東の蟻地獄に陥る米国

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年1月17日)に掲載

 先日、旧知の米国知識人とゆっくり話す機会を得た。「日本の外交安保関係者は楽天的すぎないか? トランプ政権を甘く見たら、手痛いしっぺ返しが来るぞ!」と、のたまう。「ふーん、そうかな」。筆者はこう反論した。「確かに今のワシントンは昔の米国ではない。でも、中東その他地域の米外交はめちゃくちゃではないか。それに比べれば東アジアは随分ましな方だ」。今回は筆者がこう考える理由を書こう。

 先週トランプ政権の外交安保チームが中東諸国を歴訪した。とはいえ現在国防長官は事実上不在だから、閣僚級は国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官だけ。この2人がほぼ同時に中東各国を回ったのだ。国務省によればその目的は2つ、「米国は従来の約束を守り、中東から出ていくことはない。最大の脅威はイランである」ということ。ポンペオ国務長官がアラブ9カ国を、ボルトン大統領補佐官はイスラエルとトルコをそれぞれを訪問したが、ボルトン氏は炎上してしまった。

 同補佐官がイスラエルで「シリアからの米軍撤退は米国が支援するシリア・クルド勢力の安全をトルコが保証することが前提条件だ」と述べたのに対してトルコのエルドアン大統領が激怒、ボルトン発言を「重大な誤り」と罵倒し、同補佐官との会見をキャンセルしたからだ。シリアからの米軍撤退をトランプ氏が唐突にツイートしたのは昨年12月19日、当初は「30日以内」撤退だったが、大みそかには「120日程度以内」に修正された。その上でボルトン補佐官は大統領の決定を実質的に変えてしまう。こんな稚拙な米国の中東外交を見るのは初めてだ。

 なぜこんなことが起こるのか。東アジアとは異なる中東地域特有の理由がある。第1はプレーヤーの多さだ。アラブ諸国だけで22カ国。これにイラン、トルコ、イスラエルなど非アラブ諸国とロシア・欧州が加わる。第2は敵対勢力が多過ぎること。イラン、テロ集団、ロシアなど一筋縄ではいかない連中ばかり。しかも、第3に「敵の敵」すら「敵」となり得る複雑な国際環境がある。その典型例がトルコだ。同国は米国の敵であるロシアと長年対立し第二次大戦後はNATO(北大西洋条約機構)にも加盟したが、シリア情勢をめぐり近年、米トルコ関係は悪化している。さりとて、米国がトルコの言う通り無条件で撤退すれば米国は盟友シリア・クルドを失うので米国にも出口はない。

 米国の敵対国イランの敵といえばスンニアラブ諸国もそうだが、彼らも一枚岩には程遠い。サウジとはジャーナリスト殺害事件の後遺症が出て、カタールはトルコに肩入れするし、ヨルダンはシリアからの米軍撤退を苦々しく思っている。「敵の敵」が「味方」では必ずしもない状況は当面続くのだろう。

 筆者は外務省の中東専門家として過去40年間、米の中東政策を見てきたつもりだ。中東における米国の影響力は単に軍事力だけでなく、これまで述べたような同地域各国の相反するさまざまな利益を熟知した上で、それらの微妙なバランスを取ることで維持されてきたと理解する。最近のトランプ政権の右往左往ぶりを見ていると同政権内にはこれまでの歴史的記憶を持つ人材がいなくなってしまったと思わざるを得ない。米国もごく普通の国になりつつあるのだろうか。実に残念である。

 米国は中東の蟻地獄(ありじごく)にはまってしまった。出たくても出られなくなったのだ。冒頭ご紹介した米国の友人の話に戻ろう。国際戦略環境が異なる中東で起きたことが、将来東アジアで起きないとは誰も言えない。されば、北朝鮮をめぐり近い将来同様の右往左往が米国で始まる可能性も覚悟すべきだろう。その時、日本はいかに「起死回生」を図るのか。手遅れとならない内に今から頭の体操を始めておく必要がありそうだ。