メディア掲載 グローバルエコノミー 2019.01.15
国連が"持続可能な開発目標"(SDGs)を掲げてから、日本政府も安倍首相を長とする推進本部を設置し、先進的な取り組みを進める自治体や企業を表彰する「ジャパンSDGsアワード」の表彰式を開くなど、推進に努めている。
これに積極的に取り組んでいると標榜する企業も少なくない。SDGsは熱を帯び、一種の流行になったかのようである。
ところで、国連の17の目標のうち2番目は、「飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する」としている。
果たして、日本は食料の安定確保や持続可能な農業の推進に努めてきたのだろうか?
人にとって第一に重要な食料・農産物は、生命維持に必要なカロリーの供給源である穀物である。世界の穀物生産は、米作である水田農業と小麦やトウモロコシなどを生産する畑作農業に分かれる。水田農業は主に日本などアジアモンスーン地域で、畑作農業は主に欧米で行われている。
モンスーン・アジアでは、米作が行われる夏期に降雨量が集中する。ヨーロッパでは夏の降水量は米作を行うには足りないが、年間平均して雨が降るので、雨水を利用した畑(小麦)作が中心となった。
しかし、一粒からの生産力という点では米は小麦をはるかにしのぐ。アジアモンスーン地域が世界の14%の面積にもかかわらず、世界人口の6割を養っているのは米の力だ。
水田農業は極めて持続的な農業である。1909年日本、朝鮮、中国を訪問した米国ウィスコンシン大学のフランクリン・キング教授は、わずか数十年の間に激しい土壌浸食を生じてしまったアメリカ農業に比べ、数千年の間持続的な農業を行い多数の人々を養ってきた水田農業に驚嘆し、「東亜4千年の農民」という書を著した。今でも、同大学にはキング教授の教えを受け継ぐ「F・H・King持続的農業クラブ」が精力的に活動している。
畑作農業では、同じ農地に毎年同じ作物を栽培すると収量が落ちるという連作障害という現象(園芸をしている人は"いや地"という言葉で知っているはずである)があるので、トウモロコシの後には大豆を作付けるなどの輪作が行われてきた。
これに対して水田農業には連作障害はない。毎年同じ米を作付けしても収量は落ちない。輪作など不要である。
残念ながら欧米の人は水田農業についてほとんど知らない。先日あるセミナーに参加した際、カナダの農家が日本で米を作るのはモノカルチャーで問題であり、環境のためにも輪作して多数の農産物を作るべきだという趣旨のことを主張していたのには唖然とした。無知に傲慢さが加わったような主張であり、馬鹿馬鹿しくて反論する気にもならなかった。
アメリカやオーストラリアなど、世界の畑作地域においては、"土壌流出"、"地下水枯渇"、"塩害"(塩類集積)などによって生産の持続が懸念されている。
農地に外部から人工的に水を供給することを「かんがい」という。かんがい地域の一部においては、過剰な取水や揚水に伴う、河川の断流や地下水位低下等の水資源の枯渇、乾燥地域における不適切なかんがいによる塩害の発生等が、指摘されている。
かんがい等のための過剰な取水により、アメリカ大平原の地下水資源であるオガララ帯水層の5分の1が消滅しており、中国では黄河等が断流している。
排水が十分にできないと、土の中に貯まったかんがい水に土壌中の塩分が溶ける。さらにかんがいを行なうと、地表から土の中に浸透する水と、塩分を貯めた土の中の水が、毛細管現象でつながってしまい、塩分が地表に持ち上げられ、土壌表面に集まる。乾燥地では強い日差しの下で蒸発散量が大きいため、塩分は表土に堆積してしまい、雪が降ったのではないかと錯覚するような光景が広がる。
これで古くはメソポタミア文明が滅んだ。現代でも、かつては世界第4位の面積があった中央アジアのアラル海周辺では、旧ソ連時代のかんがい農業プロジェクトにより湖に流入する水量が減少した上、農地の上に堆積した塩を農家が洗い流すことによって塩分を含む水が流入したため、面積は10分の1に縮小しかつ塩分が多く魚の住めない死の海となった。これは20世紀最大の環境破壊と言われる。
植物が生育するために、土壌には植物が水を吸収できるような保水性と呼吸できるような通気性という相矛盾した機能が要求される。これは土壌の団粒構造と呼ばれるもので、それを作るためには有機物と土壌微生物等が必要である。このような構造や肥沃度を持つ土壌は土壌表面から30cm程度の深さの「表土」と呼ばれるものに限られており、このような構造を持たない土壌では多くの植物は生育できない。
しかし、表土の生成速度は1cmについて200~300年と推定されており、30cmの表土は6000~9000年という長い期間をかけて形成されたものだ。これが失われることは、農業生産力をほとんど放棄することに他ならない。
アメリカでは、大型機械の活用により、表土が深く耕されるとともに、汎用性がなく特定の作物に特化した機械が利用されるようになったため、作物の単作化が進み、収穫後の農地が裸地として放置されるので、風や水に土がさらされやすくなり、土壌侵食が進行する。
東アジアの「水田」は、"土壌流出"、"地下水枯渇"、"塩害"、"連作障害"などの問題をきわめて上手に解決してきた。
水田は水の働きによって森林からの養分を導入するとともに、病原菌や塩分を洗い流すことによって、窒素などの地下水への流亡、連作障害、塩害を防ぐ。つまり、「水に流し」てきたのである。
中国の長江流域で7千年もの間、米作農業が、連作障害もなく、毎年継続できたのもこのためである。また、水田は雨水を止め、表土を水で覆うことによって、雨や風による土壌流出を防ぐ。
日本の米作農業は、水資源を枯渇するどころか増加させる、環境にもやさしい農業である。水田による米作こそ、世界最高の"持続的農業"である。
その水田が、日本の農地の半分以上を占めることは、日本農業が、欧米の農業と比べ、はるかに持続的であることを示している。
農業には、農産物の生産以外の多面的機能があると主張される。その我が国の多面的機能のほとんどが、水資源涵養、洪水防止といった水田の機能なのである。
しかし、水田を水田として利用しないどころか、水田を潰してきた減反政策を、40年も採り続けている。水田面積は戦後一貫して増加し、減反政策を開始した1970年には344万ヘクタールに達したが、減反導入後現在の241万ヘクタールまで一貫して減少し続けている。
圧倒的多数の米農家の所得を向上させるという名目で、1960年から90年にかけて、国産中心の米の価格は4倍にも引き上げられた。これに対して輸入麦主体の麦の価格は据え置かれた。相対的な価格関係で見ると、国産で供給できる食料(米)の価格を上げて、輸入される食料(麦)の価格を下げるのであるから、米の消費が減少して、麦の消費が増加し、食料自給率が低下するのは当然だった。
消費の減少に合わせて米の生産もどんどん減少してきた。かつては1400万トンを超えた米の生産量は、700万トンを若干上回る程度に半減した。今では、供給を減らして高い米価を維持するために500万トンの米を減反している。
その一方で、800万トンの麦を輸入している。自ら作れる食料を生産しようとはしないのであるから、持続可能な農業の推進だけではなく、食料の安定確保というSDGsにも反している。
たびたび指摘しているように、"減反廃止"は、安倍官邸がリークしたフェイクニュースである(『もうやめて!「減反廃止」の"誤報"』参照)。今も農水省、農協を中心とする農業界は、米価が下がらないよう、各地での主食用米への増産意欲を押さえ込もうとしている。このため、安価な米を求める外食業界のニーズが満たされないという状況が生じている。
日本政府は、減反政策によって持続性の極めて高い水田の米農業を圧迫し、輸入を通じてアメリカ等の持続性には問題がある農業を振興しているのである。そして、この政策については、農協を中心とする農業界の圧倒的な支持があるのである。
安倍内閣も小さなSDGsを大きく取り上げ、SDGsから見て大きな問題には目をつむって取り組まないということであれば、単なるポピュリズムに過ぎず、SDGsへの本気度を問われるのではないかと思うのだが、読者の皆さんはどうお考えになるだろうか?