メディア掲載  グローバルエコノミー  2018.12.12

ブレクジットを理解したいあなたへ - 英国のEU離脱問題はなぜあれほどこじれるのか。わかりやすく解説します-

WEBRONZA に掲載(2018年11月28日付)

 イギリスのEUからの離脱、いわゆる「ブレクジット」(英国ブリテンと退出エグジットを合わせた造語)については、日本のテレビや新聞でも報道されている。イギリスのメイ首相がEUと合意した離脱案に与党である保守党の一部も反対するなど、イギリスの政治が大変混乱しているということはよく分かる。しかし、どういう理由で反対しているのか、それが離脱とどのように関連しているのかは、非常にわかりにくいのではないか。

 少なくとも私は、日本の報道からは何が争点なのか、これまで理解できなかった。NHKなら分りやすく報道してくれるのではないかと期待して、11月25日にEU首脳が離脱案を了承したという夜のニュースを見たのだが、肝心の何が問題なのかについては十分な説明がなかったようだ。

 そもそも、EUから離脱するだけなら、単純な話ではないだろうか。EUの中にあったイギリスがEUの外に出るだけである。EUからの離脱を国民投票にかけたとき、ほとんど全てのイギリスの国民や政治家たちは、そのように考えたはずである。

 しかし、イギリスのある特殊な事情が、簡単な問題を迷路に入り込んだようなものにしてしまった。

 イギリスBBC放送の解説記事を読んで、ようやく問題の所在がわかった。しかし、一般の人はこれらの記事を読んでも、なかなか理解しにくいのではないか。

 それには、EUとイギリスについての特別な知識が必要になるからである。また日本の報道が分りづらいのは、報道している人たちが、これらの知識を正確に理解して伝えようとしていないのではないかと、心配するようにもなった。

 1996~98年の3年間、EUに対する日本の大使館に相当する"EU日本政府代表部"に勤務した私には、日本の人たちに、正確な知識を伝える責務があるように思う。

 この小論では、ブレクジットを理解するために必要な基礎知識を説明することとしたい。これが分れば、ブレクジットの報道をより理解できるようになるだろう。


関税同盟とは

 まず、ブレクジットを理解するためのEU(ECと言われた時期も長かったが、ここではEUに統一する)についての知識である。キーワードは、関税同盟、単一市場である。

 EUは1958年、ドイツ、フランス、イタリア、ベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)からなる欧州経済共同体(EEC)として発足した。二つの大戦を引き起こしたドイツとフランスが二度と戦争を起こさないという強い政治的意思がその背景にあったが、イギリスは大陸での動きから距離を置いていた。

 その後、次々に加盟国が増加し、現在1973年に加盟したイギリスを含め、28カ国が加盟している。

 EUは1968年に関税同盟"customs union"と共通農業政策"common agricultural policy"を完成した。関税同盟とは域内6カ国間の関税などの貿易障壁を撤廃するとともに、域外には統一した関税を適用するものである。例えば、スペインの人がドイツのメーカーから自動車を買うなどEU域内でモノが交易されるときは、関税は一切かからない。しかし、日本からフランス、スウェーデン、イギリスなど28のEU加盟国に自動車を輸出するときは、どの国に輸出しても一律10%の関税がかかる。

 日本の人にとっては、関税同盟とは聞き慣れない言葉だろう。

 貿易の自由化と言えば、日本とタイなどの二国間の自由貿易協定やTPPなどの多国間の自由貿易協定が報道されてきた。関税同盟、自由貿易協定のいずれも、加盟国間の貿易はガット・WTOで約束した関税よりも低い関税を適用するという点では同じである。他の国より域内加盟国や協定参加国を優遇することから、どの国も同じように扱うべきであるとするガット・WTOの基本原則である最恵国待遇の重大な例外である。

 しかし、自由貿易協定が関税同盟と異なる重要な点は、協定参加国以外の国に対する関税は統一されず、各国でまちまちであるということである。例えば、協定参加国以外の国に対して、自由貿易協定に参加しているA国の牛肉関税は100%、B国の牛肉関税は1%となる。A国は国内の牛肉産業を保護したいのだが、B国には牛肉産業がなく保護する必要もない。協定参加国相互の関税は0%なので、域外のC国産の牛肉がB国経由でA国に輸入されると、関税は1%でA国に輸入されることとなる。そうすると、A国は国内の牛肉産業を保護できなくなる。このため、域外のC国産の牛肉がB国経由でA国に輸入されることを防ぐため、A国に輸入される牛肉はB国産であることが証明される必要がある。これが原産地証明である。

 牛肉のような一次産品であれば簡単であるが、B国が一次産品を輸入してこれを加工したり、部品を他の国から輸入して自動車やテレビなどを生産したりして、A国に輸出する場合には、それがB国産なのかどうかを決めなければならない。中身だけ外国で作って外側の車体だけB国で付け加えた自動車をB国産と言えないのは当然としても、どこまでB国で付加価値をつければ、B国産として認めてよいのかを巡って、いつも自由貿易協定の交渉はもめる。

 2018年のNAFTAの見直し交渉では、自動車の原産地規則が最大の争点となった。

 関税番号の変更、加工度や付加価値等に応じて決める原産地規則は、自由貿易協定の数だけあるともいわれている。通関当局も輸入品が協定締約国から来たのか、それ以外の国から来たのかを書類によって判定し、関税の認定をしなければならなくなる。

 これが貿易のコストを逆に高めるという問題を生む。国際経済学者バグァッティのいうスパゲッティ・ボール現象である。

 これに対して、関税同盟の場合は、域外からの輸入に対しては共通の関税がかかるので、原産地規則は必要ではない。貿易の自由化という面では、関税同盟の方が自由貿易協定よりも、加盟国間の結びつきが強い、より進んだ形態である。


単一市場とは

 当初、経済的には、EUはフランスの農業とドイツの工業との結婚であるといわれた。第二次大戦後、ドイツ産業界はヨーロッパ市場を我がものとできる関税同盟の形成を欲し、農業国フランスは強力な農業政策の確立を望んだ。

 しかし、農業については特殊な事情があった。各国とも農業については独自の保護政策をとっていたのである。これをそのままにして、域内の貿易を自由化すると、高い農業保護をとっている国の農家は、そうでない国の農家よりも競争上有利な扱いを受けることとなってしまう。これは不平等である。

 したがって、各国の農業政策をEUで統一した。それが共通農業政策であり、その基本は域内単一の価格支持政策(市場価格が一定の支持価格を下回ると市場から農産物を買い上げて価格を引き上げる)だった。各国政府には競争条件を変化させるいかなる政策を行うことも禁止された。1968年の関税同盟の成立と同時に、域内市場の統一による共通・単一市場を柱とする共通農業政策が確立されたのは、ある意味で必然だった。

 農業に比べると大きく遅れはしたが、1992年に、EUはヒト、モノ、資本、サービスの自由な移動を中心とする市場統合、単一市場を完成させた。

 環境問題など各国政府が対応しなければならない領域が増えてくると、単一市場を完成させても、このような政策の違いが各国間で企業の競争条件をいびつなものにしてしまうのではないかという恐れや経済活動を円滑にするためにはこのような違いをなくすべきだという主張が出てきた。そうなると、共通農業政策と同様、食品や工業製品の基準、環境、競争法などの分野でも、各国の法制度を調和したり、EUとして統一の政策や規制をとるべきだという要請が強くなってきた。

 こうして、1990年代以降、EUでは加盟国の拡大だけではなく、単一市場のためにも、政策や制度の統一・"深化"が大きな課題となるようになって来たのである。

 EUの深化という点で、最も重要な政策は、統一通貨ユーロの実現である。しかし、統合の深化とは、加盟国が主権の一部をEUに譲り渡すプロセスでもある。


北アイルランドの国境問題

 これに対して、イギリスの特殊事情とは、どのようなものだろうか?

 まず、イギリスには、EUの政策領域が拡大したり、統合が深化したりすることに対して、自国の主権が侵害されるのではないか、イギリスの運命は首都ロンドンではなくEU本部があるブラッセルで決められてしまうのではないかという懸念が根強く存在した。このため、イギリスはユーロには参加しなかったし、EUの深化には積極的に参加しようとはしなかった。

 これは、EUへの残留か離脱かを巡って行われた国民投票は2016年の今回が初めてではないことに示されるように、イギリスがEUに加盟して以来繰り返されてきたと同時に、EUの深化につれて強まってきた主張である。特に、2015年以降中東やアフリカからEUに移民が押し寄せて来るようになると、移民受け入れに積極的な姿勢を見せるEUへの反感がますます高まるようになった。これが国民投票でブレクジットを可決した大きな要因となった。

 当初は、だれも簡単にEUと離婚できるはずだと考えていた。しかし、イギリスには北アイルランドの国境問題が存在していた。

 アイルランドの人たちの多くはカトリックである。しかし、北アイルランドには、イギリスと同様プロテスタントの人たちが多く住んでおり、カトリック教徒は差別されていた。

 宗教上の対立は、日本人の想像する以上に激しいものがある。彼らが移民した先のアメリカでも、カトリック系はグリーン・アイリッシュ、プロテスタント系はオレンジ・アイリッシュと呼ばれ、カトリック系はユダヤ系と同様、差別を受ける。故ケネディ大統領もグリーン・アイリッシュであるが、大統領選では彼がカトリックであることが大きな問題とされた。

 かつて北アイルランドでは、イギリス残留を望むプロテスタント系住民と、アイルランドとの統一を目指すカトリック系住民との間で、幾度となくテロによる流血事件が発生した。ところが、イギリスもアイルランドもEU加盟国となり、アイルランドと北アイルランドの国境検査が撤廃され、EUの単一市場の下でヒトやモノが自由に移動するようになると、北アイルランドを巡る紛争は下火になっていった。こうして両教徒間の紛争に終止符を打つ和平合意が1998年成立した。

 こうした状況の中で、ブレクジットが起こると、アイルランドと北アイルランドの間に再び厳重な国境管理が実施されることになる。検問所が置かれ、ヒトやモノの移動が制限される。イギリスがEUという関税同盟と単一市場の外に出るのだから当然である。つまり、今まではイギリスもアイルランドもEUの中にありヒトとモノの往来は自由だったのに、突然壁が出現することになる。

 そうなると平和が破られ、再び流血事件が起きるのではないかという悪夢が蘇ってきた。BBCによると、イギリスもEUも、このような事態は避けたいという点では一致しているという。しかし、関税同盟、単一市場からも離脱し、国境管理もしないというのは、両立しない矛盾した目標である。

 EUは北アイルランドだけをイギリス本土から切り離し、関税同盟、単一市場に残すことにすれば、国境管理をする必要はないと提案した。しかし、そうなると、単一市場の原則から、北アイルランドには食品や工業製品の基準や環境についてのEUの規制が適用され、イギリス本土とは異なる扱いを受けることになる。実質的には、北アイルランドはアイルランド同様EUの法規制が適用され、イギリス本土から独立したような姿になってしまう。

 メイ首相は、これは憲法上の統合を脅かすものであり、イギリス本土と北アイルランドの間にあるアイルランド海に国境は引けないとして、EU案を拒否した。


主権を回復するつもりがさらに主権の制約を受ける皮肉な結果に

 結果的に、どのように処理することにしたのだろうか?

 2019年3月にイギリスはEUから離脱するが、20年末の移行期間(最長2年、1回限り延長可能)までイギリス全体がEUの関税同盟、単一市場に留まることとしたのである。移行期間後については将来の交渉に委ねられるが、交渉がまとまらなければ、後述するバックストップが適用される。

 法的拘束力のある離脱協定案と同時に合意された将来の交渉に関する政治宣言案では、移行期間が終わるまで、国境管理について検問所以外に技術的な解決によって自由な移動を維持できるようにする途も検討するとされているが、世界中でもそのような方法は採用されていない。

 もしそれが見つからなければ、移行期間後には、「EUとイギリス間の単一関税区域」(一時的な関税同盟という意味)が設置される。ただし、同じ関税地域にありながらイギリスがEU諸国よりも競争で有利とならないよう「平等な立場の条件」に置かれる。イギリスの中でも北アイルランドはイギリス本土よりも強い関税関係でEUと結ばれ、食品や工業製品の基準などEUの単一市場の規則が適用される。つまり、移行期間後もイギリスをEUの関税同盟に残す、イギリス本土にはEUの単一市場の規則と調和のとれた規則が実施される一方、北アイルランドには単一市場の規則そのものが実施される。これが"backstop"(バックストップ、セイフティネット)と呼ばれるものである。

 つまり、EU離脱よりも国境問題の処理を優先したのである。さらに、移行期間中は関税同盟・単一市場に留まるため、EUの基準や規制がイギリス全土に適用され、その後もバックストップにより、北アイルランドには直接これらが適用されるとともに、イギリス本土の規制もこれらと調和の図られたものでなければならないものとなり、これらに拘束される。

 しかも、法的にはイギリスはEUから離脱しているので、イギリス政府はEUの基準や規制の導入や改正について、一切発言権を持たない。つまり、EUから離脱して、主権的な権利を回復するつもりが、現況以上に主権の制約を受けるという皮肉な結果となってしまったのである。

 また、バックストップでは、北アイルランドとイギリス本土とでは、食品等の基準が異なることとなるため、イギリス本土から北アイルランドに食品等を流通させるときには、EUの基準に合ったものを作らなければならず、逆の場合にはイギリスの基準に合ったものを作らなければならない。このためには食品等が基準に合ったものかどうかを審査するため国境管理と同様のチェックも必要となる。

 つまり、北アイルランドとイギリス本土は単一市場ではなく、別々の市場となってしまう。モノの移動では、北アイルランドはアイルランドと同じEU地域となり、イギリス本土から独立した存在となる。アイルランド海に事実上の国境が引かれることになる。

 さらに、加盟国に共通の関税が適用されるEUの関税同盟に入るということは、イギリスには関税を変更する権限はないことを意味する。イギリスは他の国と関税を削減・撤廃する自由貿易協定を結ぶことはできない。日本との関係では、日・EU自由貿易協定に加盟することとなり、独自の自由貿易協定を結んだり、TPP11に参加することはできない。アメリカとは自由貿易協定を結べない。

 最後に、EUの承認がない限り、バックストップから離脱する手段が保証されていない。

 これが、イギリス国内で今回合意された離脱案に反対する大きな理由となっている。離脱したいというのも、国境問題があるというのも、すべてイギリス側の理由である。EUとしては、あとはイギリスでお決めくださいということではないだろうか。

 なお、産業界としては、今回の離脱案に反対はないはずである。域内の貿易に関税がかからず、通関手続きも必要ではないと言うことは、イギリスに進出している日本の自動車産業がヨーロッパ本土から部品を調達する時の障害がないということである。産業界にとって最悪なのは、合意なくしてイギリスがEUから離脱し、関税や厳重な国境管理が復活することだろう。

 イギリスとしては、離脱を撤回して今のままの自由に往来できる国境を維持するか(つまりEUとともにある経済的な繁栄の継続か)、完全に離脱して国境を厳重なものとするか(つまりEUからの政治的な主権の回復か)、という選択しか、残されていないように思われるが、どうだろうか?

 ローリング・ストーンズの歌のように、"You can't always get what you want."なのだろう。