メディア掲載  外交・安全保障  2018.12.10

ブッシュ父元大統領を悼む

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2018年12月6日)に掲載

 先週末、ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領が94歳で亡くなった。8月下旬のマケイン上院議員逝去に続き、米国は過去3カ月で良質の政治家を2人失ったことになる。米メディアは古き良きアメリカ政治を懐かしむかのように連日追悼記事や特別番組を報じた。

 湾岸戦争終結後の1991年10月、筆者がワシントンに赴任した際の大統領がブッシュ氏だった。当時もホワイトハウス記者会見は厳しかったが、決して敵対的ではなく、記者たちも今のようにけんか腰ではなかった。息子のジョージ・W・ブッシュも43代の大統領となったが、ミドルネームが異なる息子は米国ではジュニアとは呼ばれず、ブッシュ41、ブッシュ43と区別することが多いようだ。

 それはともかく、当時は誰に会っても「米軍はクウェート解放だけでなく、バグダッドまで侵攻すべきだったか」と聞かれたものだ。筆者がアラビア語専門でイラク赴任経験者だからだろう。いつも「それはとんでもない大間違い」と答えていたが、これこそがブッシュ41の判断だった。彼の政敵はイラクの政権転覆を求めたが、大統領は「膨大な人的政治的コストを生む」とかたくなにこれを拒否した。皮肉にも、2003年にそれを実行したのがブッシュ43だ。

 ブッシュ41は奉仕の人、戦争の悲惨さを熟知する政治家だった。先の大戦に従軍、下院議員、北京の米国代表、CIA長官、副大統領を務めた彼ほど国家への奉仕を貫いた大統領は他にない。同時に彼は良質の人でもあった。筆者が日米関係に関わった過去40年間を振り返ればブッシュ41は「ノブレスオブリージュ(高貴なる者の義務)」で超党派政治を目指した最後の共和党大統領だったと確信する。その後共和党は内部対立で変質し今やトランプ氏に乗っ取られてしまったからだ。

 責任の一端はブッシュ41にもある。湾岸戦争で支持率が急上昇したものの、1992年の大統領選挙では増税を公約違反と批判され「バーコード」すら知らない浮世離れの政治家とも揶揄(やゆ)された。彼の死は米国での「エリートのステーツマンによる政治」の時代が終わったことを象徴する。今や米連邦政府は劣化し国民全体に奉仕する指導者がほとんどいなくなった。その典型がトランプ政権である。

 実のところ、今週のコラムではブエノスアイレスでの米中首脳会談を取り上げるつもりでいた。案の定、結果は単なる先送りに終わった。米政府発表によれば、額はいまだ不明なるも、今後90日間に中国が米国から多額の農産物、エネルギー、工業産品を購入する一方、強制的技術移転、知財窃取、非関税障壁、サイバー攻撃、サービス、農産品につき、中国が構造改革を行うことで合意したという。米国は予定されていた25%への関税引き上げを凍結するが、上記合意が実行されない場合には引き上げを実施するというから穏やかではない。内外メディアは「貿易戦争は一時休戦」と報じたが、その実態は中国が実施不可能な多くの条件を課した事実上の最後通告ではないか。

 日米貿易摩擦の真っ最中、筆者は外務省でFSX(次期支援戦闘機)日米共同開発計画の担当官だった。当時のブッシュ41政権は手ごわかったが、これほど荒っぽいことはしなかった。トランプ政権の外交交渉には良質で国民に奉仕しようとする姿勢が根本的に欠けている。「米国と世界は共通の死活的利益を守り、法の支配を支援し、侵略に対抗しなければならず、われわれは決して脅しには屈しない」。イラクのクウェート侵攻から1カ月後、ブッシュ41はこう述べたが、今の大統領にはこうした姿勢がみじんもない。古き良きアメリカ政治は終わったのか。それとも、いつか再びあの憎たらしくも本質的に良質で正直な政治が戻ってくるのか。今は神に祈るしかなさそうである。