メディア掲載  外交・安全保障  2018.12.03

入管法改正案は天下の悪法か

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2018年11月22日)に掲載

 外国人労働者受け入れを拡大する法案審議が臨時国会で始まった。与野党が真正面から激突する今国会の争点だ。主要紙社説は賛否両論で大きく割れた。反対の急先鋒(せんぽう)は朝日新聞で「入管法改正案 これでは議論できない」、外国人を都合のいい労働調整弁として使いたい本音が早くものぞいた、と手厳しい。毎日も「ずさんなデータ 付け焼き刃ぶりが表れた」と批判。東京に至っては「入管法の審議 共生の思想に欠ける」と意味不明の見出しでかみついた。

 興味深いのは産経の主張、普段とは異なり、「外国人材の拡大 法案の土台から築き直せ」、なぜ外国人を大規模に受け入れるのか、法案の目的は依然不明だと政府を厳しく批判する。

 賛成論に近いか、と思われた日経が「社会不安招かぬ外国人政策へ議論深めよ」。同じく読売も「外国人就労拡大 中長期的な戦略に位置付けよ」、判断の基準や運用の指針を明確にすべし、と論じている。法案審議は前途多難なようだ。

 だが奇妙なことがある。どの社説も移民問題を正面から取り上げていないのだ。東京のみ移民に若干言及したが深くは論じていない。外国人労働者を増やせば、いずれ移民問題にたどり着く。主要メディアがこれを知らないはずはない。移民問題はそれほど「タブー」なのだろうか。

 移民反対論者は、①日本の文化・伝統が失われる②治安が悪化し社会的コストが増える③日本人の雇用が失われるなどと主張する。それ自体は至極正論であり、筆者として反対する理由はない。これに対し賛成論者は、雇用対策と人手不足、少子高齢化と人口減少を理由に外国人労働者受け入れ拡大を主張している。これまた、日本の現実を踏まえればもう一つの正論とも言えるだろう。さればこの問題をいかに考えるべきか。今回も誤解を恐れず、批判を覚悟で筆者の見立てを書く。

 第1は本法案が移民法案か否かについてだ。安倍晋三首相は政府による移民政策の定義を引用しつつ、「国民の人口に比して、一定程度の規模の外国人を、その家族ごと、期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持するような政策は考えていない」と答弁した。これに対し野党側は、「多文化共生を軸に国を開くのか、同化政策をとるのか」と質問したが、議論はかみ合わない。政府の定義は一見難解だが、IOM(国際移住機関)は移民を「外国籍の者が定住のためある国に移動すること」と定義している。されば、本法案が少なくとも移民法案でないことだけは明らかだろう。

 第2に、より重要なことは、このまま外国人労働者受け入れが拡大し、現在の約130万人が1桁増えるような事態となれば、法案の趣旨を離れ、事実上の「移民流入」ともなりかねないことだ。

 要するにこの問題の本質は日本社会を維持・成長させるため、移民と外国人受け入れのバランスをいかに取るか、既存の日本社会は何をすべきかである。されば、現在の国会での議論が技術論に終始して、「木を見て森を見ない」まま終わるのは忍びない。

 移民にせよ、外国人労働者受け入れにせよ、欧州諸国はこの分野での経験が豊富だ。外国人の文化・宗教を尊重しつつ自国社会に受け入れようとしない国もあれば、外国人に自国の世俗主義社会への同化を迫り、外国の文化・宗教を軽視する国もある。

 いずれ日本でもこの種の議論が必要になるだろうが、今の日本では議論すら始まりそうもない。そうだとすれば、「外国人労働者の受け入れ拡大」に絞り、限定的、漸進的、実験的な制度変更を行い試行錯誤を繰り返すしかないと筆者は考える。既に日本は嫌でも多民族社会となりつつあり、残された時間は決して多くないのだから。