メディア掲載  グローバルエコノミー  2018.11.22

日米通商協議、米国を恐るるなかれ - 米国は早期妥結を望んでいる。時の利は日本にある-

WEBRONZA に掲載(2018年11月8日付)
中間選挙が示す分断された米国社会

 アメリカの中間選挙は、トランプ大統領を初めとする共和党の猛烈な巻き返しがあったが、予想通り、上院は共和党、下院は民主党が多数を占めることになった。

 選挙の終盤、クリントン元大統領や投資家のソロス氏ら民主党の幹部や支持者の自宅に爆発物が送られ、ピッツバーグのユダヤ教礼拝所で開かれていた集会に反ユダヤ主義の男が発砲して多数の死者が出るという、アメリカ社会の分断を象徴するような事件が発生した。

 トランプは、アメリカ社会は団結すべきだという発言をしたが、分裂をあおるようなスピーチをしてきたのは誰だとメディアから批判を浴びた。これに対し、トランプは社会の分断を煽っているのはマスコミのフェイクニュースだと反論するなど、泥沼状態である。ピッツバーグのユダヤ教礼拝所周辺では、大統領訪問に際して、市長が大統領に同行しなかったり、これに反対する抗議デモが開かれたりした。

 従来なら、大統領や与党の共和党に大打撃を与えるような事件だったが、40%を下回ることはないというトランプ大統領の強固な支持率に大きな変化はなかった。トランプが分断を煽るような発言をする一方、マスメディアに代わって出現したソーシャルメディアが、これまで表では発言できなかった反ユダヤ主義や白人優越主義の考えを拡散し、心情ではこれを支持する人たちの連帯を深めているのである。


共和、民主の両党は何を訴えたのか?

 トランプが中間選挙の終了間際になって強調したのは、移民問題である。

 アメリカへの移住を求めてこの時期中南米から大量に列をなして行進するキャラバン隊に対して、この中には犯罪者やイスラム急進派のテロリストが紛れているなどの根拠のない主張を展開するとともに、キャラバンを阻止するため軍隊を国境に派遣した(後に撤回したが、キャラバン隊が投石するなら発砲も辞さないと発言した)。2年前の大統領選挙と同様、これは移民によって社会の安定や治安を奪われていると信じる人たちを熱狂させた。

 民主党は、大統領経験者は政治に直接関与しないという慣例を破って、オバマ前大統領が選挙応援の前面に立った。さらに前回の民主党大統領予備選挙でクリントン候補を追い詰めたバーニー・サンダース上院議員がトランプ政権や共和党は一部の富裕層を優遇しているだけだと批判し、具体的にはトランプが葬ろうとしているオバマケア(医療保険制度)の維持・充実を主張して、リーマンショック以降反資本主義的になっている若者や国の財政的支援に頼らざるを得ない人たちにアピールした。


トランプの通商政策は変わらない

 こうして分断が深まった中での選挙結果である。下院の多数を占めることとなった民主党は、これまで以上にトランプ政権と対峙していくだろう。

 ロシアゲートと言われるトランプ大統領とロシアとの関係、若い時のトランプの脱税容疑、トランプの性的スキャンダルなど、大統領への攻撃材料に事欠かない。下院は大統領弾劾の訴追権を持っている。罷免には上院の3分の2の賛成が必要となるので、罷免まで至ることは想定できないが、弾劾している間は、大統領を揺さぶり、その力を削ぐことは期待できる。

 立法・政策的には、医療保険制度の充実を提案することになるだろう。たとえ共和党優勢の上院で否決されても、次の選挙では上院でも民主党が多数を勝ち取り、これを可決するのだという主張を展開できる。

 しかし、経済が好調で失業率が大幅に低下している状況では、通商政策は争点にはならなかった。そもそも、TPPなどを推進していたヒラリー・クリントンと異なり、保護貿易主義という点でトランプと伝統的な民主党には共通のものがあり、争点になりようがなかったともいえる。

 「トランプは中間選挙で敗れても変わらない」で指摘したように、トランプ政権の通商政策が変更されることはありえない。むしろ、保護主義的な協定は議会をより通過しやすくなったと覚悟したほうがよい。

 通商政策に今回の選挙が影響を与えるとすれば、2016年トランプを大統領に当選させた大きな原動力となったラスト・ベルトと呼ばれる中西部諸州の選挙結果である。これは農業のコーン・ベルトとオーバーラップしている。


批判するなら多国間ではなく二国間の交渉に転換したこと

 そこで、年明けから開始される日米の通商交渉はどのようになるのだろうか?

 日本のマスコミや野党は、日本政府が使っているTAG(物品貿易協定)は物品だけの協定ではなくサービス部門も含むものであり、また、アメリカ政府はそのような用語は使っていないことから、これまで政府が否定してきたFTA(自由貿易協定)に他ならないのではないかと批判している。

 しかし、これは的外れの批判だ。「日米首脳の通商協議を緊急報告する」で解説したとおり、TAG(物品貿易協定)と呼んでも、これがガット・WTO上のFTA(自由貿易協定)であることは疑いのないところである。政府を批判するのであれば、安倍首相たちが、これまでなぜ日米FTA交渉はしないと発言していたのかという根本的な部分に焦点を当てるべきだった。

 「日米FTA交渉をしない」というのは、二国間の交渉はしないという意味・趣旨だった。日米二国間で交渉すると、安保問題等を抱える日本は弱い立場に追い込まれ、TPPで約束した以上に農産物の関税削減を求められるのではないかという心配があったからである。だから日本政府はアメリカに多国間協定であるTPPへの復帰を要求してきたのだった。

 日米TAGと言おうが、日米FTAと言おうが、「農産物(物品の一部)について二国間の交渉をする」ということである。もし、政府を批判するのであれば、多国間の場であるTPPで問題を解決するというのではなく、スパゲッティ・ボール効果(多数の自由貿易協定が存在する結果、貿易ルールがこんがらがる)など国際経済学的にも問題が多い二国間協定の交渉になぜ政策変更をしたのかというところを突くべきだった。

 政府の担当者は、否定してきたFTAという言葉を避け、TAGという言葉を作り出したために、日米間に齟齬があるのではないかという批判を招き、「策士、策におぼれる」ような事態を招いてしまった。しかし、これによって、以上のような大きな政策変更をしたことから、マスコミや野党の目をそらすことができたとすると、「怪我の功名だ」と胸をなで下ろしているのではないだろうか。安倍首相からお褒めの言葉をいただけるかもしれない。

 なお、サービス部門も含むFTA交渉となれば、アメリカから「えげつない要求が突きつけられないか」という懸念があるという報道もある(11月6日付朝日新聞)が、そのようなことはない。アメリカとはサービス部門も含めてTPPで交渉済みである。しかも、この分野の交渉が難航したということは聞かない。日米共同声明でも、これは早期に結果が得られるものとされている。


トランプは対日交渉を打ち切って立ち去れない

 では、肝心の日米交渉自体はどうなるのだろうか?

 日本では、トランプ政権から相当厳しいことを突きつけられるのではないかという意見がほとんどのようである。NAFTAの見直し交渉などを見ると、そのような印象を受けるのもやむを得ないのかもしれない。また、パーデュー米農務長官がTPP以上の市場開放を求めると発言したと報道された。しかし、結論から言うと、そんなことにはならない。

 不動産業者として成功したトランプが、NAFTAの見直し交渉などで成功してきたのは、自動車関税の大幅な引き上げを突きつけ、相手が見返りを提供しないと、交渉のテーブルから立ち去る("walk away")という姿勢をとってきたからである。相手が欲しがる不動産物件を示して、満足のいかない金額を提示するなら、交渉を打ち切って他に売るぞというのと似た対応である。

 カナダやメキシコからすると、トランプを満足させない限り、自動車の関税を大幅に引き上げられてしまう。弱い立場に追い込まれた彼らは、トランプの言うことを聞くしかなかった。

 では、同じようなことが、日米交渉で起きるのだろうか?

 アメリカは怖いというのが一般的なイメージだろう。しかし、交渉というのは、相手の立場に身を置いて考えると、交渉全体の構図が把握でき、打開策が見つかる場合が少なくない。アメリカの置かれている客観的な状況はどうなのだろうかということに、考えを巡らせればよいのである。

 カナダやメキシコは、自動車関税大幅引上げというトランプ攻撃に対抗する矢をつがえなかった。日本の場合は異なる。アメリカが日米交渉を持ちだしたのは、TPPに加入しているオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、日EU自由貿易協定を妥結したEUという農産物輸出国が日本の農産物市場に安い関税を払うだけでアクセスできるようになるのに対し、アメリカ産農産物は従来どおり高い関税を要求され、不利な条件で競争せざるを得なくなるからだった。そのために、早期に日米協定を結びたいのだ。つまり、時は日本を利しているのである。

 このような状況の中で、トランプは交渉を打ち切って立ち去るという戦略は使えない。交渉を打ち切ると、日本も困るがアメリカも困るからである。TPPが年末に、日EU自由貿易協定が2月にも、それぞれ発効するという状況の中で、アメリカが日本政府にとって政治的に容認できないような要求(TPPを上回る関税削減)を突きつけ、日米交渉に時間がかかってしまうと、ますます日米間の協定の発効が遅れ、アメリカ産農産物は不利になる。アメリカ農業は中国市場に続き、日本市場を失ってしまうのである。泣きっ面に蜂だ。報道されたパーデュー米農務長官の発言は多分に思いつきのところがあり、農務省の組織としての意見ではない。


米国は交渉妥結を急いでいる

 アメリカの農業界は中国との貿易戦争で疲弊している。アメリカの最大の輸出農産物である大豆は、中国の関税引き上げによって、輸出先の6割以上を占める中国市場をブラジルなどに奪われてしまった。

 NAFTAの見直しでカナダの乳製品市場を一部開放したものの、鉄鋼・アルミニウムの関税引き上げをカナダ・メキシコ両国には引き続き適用しているために、両国が対抗措置として適用している他の物品での高い関税は引き下がっていない。これには、メキシコのアメリカ産乳製品への関税引き上げなど農産物も含まれている。

 これに加え、日本市場でも実害が生じるようになると、大変なことになる。

 アメリカは、とにかくTPP並の水準で、しかもできる限り早期に、日本と協定を結びたいのである。それは、日米共同声明の中の「日米両国は以下の他方の政府の立場を尊重する。-日本としては農林水産品について、過去の経済連携協定で約束した市場アクセスの譲許内容が最大限であること」および「早期の成果("early achievements")を得られる、サービスを含む重要分野に関するのみならず物品に関しても約束される日米貿易協定交渉を開始する」(日本政府の訳ではなく英文に忠実に訳出した)に現れている。

 ライトハイザー通商代表が、早期収穫(アーリー・ハーベスト"early harvests")と呼んでいるのも、この趣旨である。アーリー・ハーベストとは、いろいろな案件がある中で、合意したものから実施しようという、通商関係者の業界用語である。日米共同声明が示しているのは、知的財産権など交渉に時間がかかりそうな分野は横に置いて、とにかく物品とサービスについて早く協定をまとめ、発効したいというアメリカの交渉ポジションである。来年1月に交渉開始なら2月にも妥結したいというのが、本音である。

 すでにアメリカを代表する農業地帯である中西部の農業票は大きく動揺している。農民の数は多くなくても、これに機械や肥料・農薬・飼料などの農業資材を供給する産業、農産物の加工・保管・流通に関係する産業の従事者を含めると、農業関連の票は少なくない。今回連邦議会の選挙ばかり日本で報道されたが、ほとんどの州の知事選挙も同時に行われた。大統領選挙の行方を左右するのは、こちらの選挙の方だと言われている。その州知事選挙で、2年前にはトランプを大統領に当選させたラスト・ベルト、コーン・ベルトの中西部諸州で、今回民主党がミシガン、イリノイ、ペンシルベニアなどで勝利するなど善戦した。中西部はアメリカ人が特別の思いを込めてハートランドとも呼ぶ地域でもある。日米交渉を遅延させると、トランプの大統領再選に影響するだろう。

 ある意味、こんなに楽な交渉はない。茂木担当大臣は、ライトハイザー通商代表に「そちらもお困りでしょう」というねぎらいの言葉をかけてもよい。