メディア掲載 グローバルエコノミー 2018.09.06
前回記事「米中貿易戦争、トランプが設けた高すぎるハードル」で、米中貿易戦争は簡単には収らないという見通しを示した。それなら、なぜアメリカは中国商務省の交渉団を受け入れたのか?
アメリカとして早くこの貿易戦争を終わりにしたいという事情や思惑があったと推測される。
それは、大豆の輸出を巡る動きである。トランプ大統領は1.3兆円の農業救済対策を発表した際、農民団体を前にして「しばらく我慢してくれ。高い関税をかけることで相手国に譲歩させ、よりよい条件の市場を獲得するから」と主張した。
問題は、果たして彼の思うように事態が進むかだ。
8月14日付日本経済新聞コモディティーVIEWは「大豆巡る摩擦、米国より中国に不都合な事情」と題して、「大豆に限れば中国側の旗色が悪いとの見方が優勢になっているようだ」という見方を示している。
この記事は、中国ではアメリカ産大豆の代わりに輸入が増加しているブラジル産大豆の価格が上昇し、「(大豆を飼料として使用する)豚肉価格に波及し、国民の不満を招きかねない。豚肉そのものの輸入を増やせば飼料需要を抑えられるが、中国はその豚肉も制裁関税の対象としている」と指摘。中国は大量のアメリカ産大豆をブラジル産だけでは代替できずアメリカ産を買わざるを得ないと分析したうえ、アメリカにとっては欧州諸国によるアメリカ産大豆の買い付けが急増するなどアメリカ産の価格低下のメリットも目立つとし、「それに比べ、南米産の高騰や供給不足といった中国側の不安が大きいのは否めない。自ら切った輸入関税というカードがもたらす副作用に耐えられるのか」と述べている。
目先の商売に目を奪われている市場関係者の声だけ聞くと、このような結論にたどりつくのもやむを得ないかもしれない。この記事を批判的に検証しながら、アメリカと中国のいずれかに影響が出るのか、分析してみよう。
基本的な事実を整理すると、中国は米や小麦等の穀物について基本的に自給する方針を崩していないが、油の製造や家畜の飼料として使われる大豆については、国内生産をほぼあきらめ、輸入に依存するようになっている。生産量1400万トンに対し、輸入は9700万トンに上る。これは世界の貿易量の6割を超える。
そのうち、ブラジルからの輸入は56%、アメリカからは33%であり、この二か国でほぼ9割を占める(アメリカから見ると、中国向けはアメリカの全大豆輸出の6割、生産全体の3割以上を占める)。
このような状況で、アメリカ産大豆の輸入コストが25%の関税分上昇したらどうなるだろうか?
まず、中国は相対的に安くなったブラジル産などの大豆輸入を増加させる。次に、中国の輸入は国有企業によって行われているので、ある程度価格が高くても、意図的にアメリカ産以外の大豆の輸入を増やす(不作の影響で価格が上昇しているアルゼンチンの大豆さえも中国は買い付けている)。さらに、ひまわり、菜種、パームなど大豆を代替する品目の輸入を増やす(ちなみに、大豆やこれらの作物は油を取るためのものであり、国際的には一括して"油糧種子"と呼ばれ、穀物とはされていない)。
もちろん、これだけでは輸入してきたアメリカ産3000万トンを全て代替することはできないので、関税分コストが上昇したアメリカ産大豆の輸入も行う。それは、関税引き上げ以前のアメリカ産大豆の輸入量と比べると、どうなるだろうか?
まず、大豆の輸入価格が上昇するため、中国の輸入量全体が減少する。そのうえ、他国産に代替されるので、アメリカ産の輸入は大幅に減少したものとなる。
8月17日のフィナンシャルタイムス誌は、今後6ヶ月間にアメリカ産の輸入は1000~1200万トン減少するとしている。アメリカからすれは、対中輸出は3分の1以上の減少である。これはアメリカの全生産量の1割に相当し、アメリカの大豆産業には相当な打撃である(輸入量自体1400万トンと少ないEUが、そのなかでブラジル産に代えてアメリカ産を購入したとしても焼け石に水である)。
しかもアメリカ産の価格も低下している。アメリカの大豆産業に深刻な影響を与えるという見方は、アメリカの大豆生産者に共有されていると言ってよい。
次に、日経の記事が指摘する中国の豚肉価格への影響であるが、豚肉は過去の生産過剰により価格が低落しており、当面消費者に影響はない。将来的に豚肉価格が上昇した場合でも、輸入すればよい。中国が制裁関税の対象としたのはアメリカ産だけであり、他の主要な輸出国であるカナダやEUからは今まで通りの条件で輸入できる。アメリカから輸入できなければ、これらの国からの輸入を増やすだけである。
さらに重要なことは、この記事が考慮していない事実である。それは、今後のブラジル、アルゼンチンの生産だ。
これら南半球の国は、これから春となる9月から12月まで、大豆の種付け時期を迎える。その大豆は1月から4月にかけて収穫される。
ブラジルは今年過去最高の大豆の収穫量(1億1950万トン)を記録した。ところが、アメリカ農務省は来期のブラジルの収穫量についてこれを上回る1億2050万トンと予測している(2008年アメリカ産大豆の生産が減少し価格が上昇した際、この結果を見てから生産できるブラジルは、サトウキビ畑に大豆を植え付け、生産を拡大した。現在も価格が上昇しているので、アメリカ農務省の収穫予想を上回る可能性がある)。
アルゼンチンは今年干ばつによる大不作を経験し、収穫量は前年の5500万トンから3700万トンに減少した。これをアメリカ農務省は来期には5700万トンに回復すると予想している。つまりアルゼンチンだけでアメリカ産大豆の中国への輸出減少分を上回る2千万トンの生産増加となる。
つまり、関税によって中国の輸入価格が上昇しても、4ヶ月我慢すれば、中国は安い価格でブラジルなどから輸入することができるようになるのである。
そもそもブラジルの大豆生産を拡大したのは、日本である。
1973年アメリカが大豆を禁輸したため、日本は1979年から2001年にかけて、それまで不毛の大地と呼ばれたセラード地域(ブラジル国土の4分の1に相当するサバンナ)の大開発を行った。1977年には1000万トン程度だった大豆の生産は30年間で10倍にも拡大し、生産・輸出の両面でそれまで独占的な地位をほしいままにしてきたアメリカを凌駕するようになった。セラードにはまだ開発可能な土地が1億ヘクタールもある(参照:「『世界人口が増え、食料危機が起きる』のウソ」)。
トランプが言うように我慢していると、農家は大変な目に遭うことになる。農家はこれまでも安い関税で輸出してきたのであり、トランプが言うようなアクセスの改善はない。しかも、今回の1.3兆円の農民緊急支援策は一回限りのものであり、来年度以降は予定されていない。
アメリカ・サイドから見ると、時間が経てば経つほどブラジル等の生産が増加し、アメリカが不利になる。ベトナム戦争のように短期間で終わる予定で始めたものが長期化・泥沼化すれば、大変な被害が生じる。できる限り早く米中貿易戦争に決着をつけ、中国の大豆関税を撤廃してもらわなければならないのだ。
これを上手に処理しないと、中間選挙に影響する。ミズーリ、ノースダコタ、インディアナなど今回の中間選挙のカギを握る上院議員の選挙区は、農業と密接に関連している。さらに長期化すると、トランプ大統領の再選に影響する。大豆生産州のアイオワは大統領選を左右するスウィングステートである。
農業以外はどうか。
これまでアメリカが関税を25%引き上げた340億ドル相当の輸入品目については、中国の人民元が年初の高値より9%も下落していることから、関税引き上げ分のかなりを相殺している。逆に言うと、ドルは9%高くなっていることからアメリカの対中輸出品目のコストは25%の関税引き上げ以上に上昇し、競争力が悪化している。
340億ドル相当の輸入には、消費財が1%しか含まれていないが、トランプが予定している追加の2千億ドル相当の品目のうち消費財は23%も占めており、これらの価格が上昇すると、消費者から不満の声が出始めるだろう。
より重要なのは、米中の戦争が第三国を利することだ。大豆でブラジル、牛肉でオーストラリア、自動車では日本が利益を得た。
これまで私は、相互の関税を削減・撤廃する自由貿易協定は、協定非参加国を差別するものだと指摘してきた。今回の貿易戦争は、自由貿易協定とは逆に、米中相互の関税を引き上げるものなので、関税がそのままで米中両国に輸出できる米中以外の国が利益を受けることになる。
この点、多くの国が全ての国からの輸入に対して高い関税をかけあった大恐慌後の貿易戦争ほど被害は大きくない。たとえて言うなら、アメリカという地域に行くのにいくつかの橋が架かっていたとして、そのうち中国からアメリカに架かる橋だけ閉鎖されても、別の橋を使えばアメリカには行けるのである。これに対して、大恐慌後の貿易戦争では、すべての橋が閉鎖されたのである。
中国への輸出を見ても、アメリカで生産されるBMWやベンツの対中輸出は関税の引き上げで減少しているが、日本から中国に輸出されるレクサスは、逆に関税の引き下げで増加している。また、中国国内で生産される日本車も部品への関税は低下しているので、アメリカ車より有利になっている(参照:「日米自動車産業の勝敗を決するのは中国市場だ」)。
トヨタも日産もそれぞれ1千億円投資して中国で新工場を建設し、中国現地での生産能力をトヨタは2割、日産は3割、増加させる予定である。損をしているのは、アメリカの自動車業界だ。
これらも、問題が長引くほどアメリカに不利となる。
前回の記事で指摘したように、トランプが掲げた交渉目標は貿易赤字の解消とハイテク技術等の中国への移転阻止による覇権争いである。後者はトランプというより主に議会関係者の主張であるが、対中関税の引き上げに見られるように、トランプは与党共和党の議員の反対を意に介さず行動してきた(参照:「トランプの農業救済は逆効果」)。選挙民にアピールするのは、前者の貿易赤字解消による雇用創出である。しかも、今回の中間選挙ではトランプの支持を得て共和党の予備選挙を戦った立候補者が多い。
中間選挙までは、トランプは対中強硬路線を貫くだろうが、それを過ぎれば、弱みを抱えたトランプは貿易赤字縮小に向けての中国からの譲歩(選挙民に勝ったと言えるものであれば、中身が怪しいものでも良い)を取り付け、貿易戦争を休戦する可能性があるのではないか。今回の中国交渉団の相手が対中強硬派のライトハイザーが率いる通商代表部ではなく、これまで交渉をまとめようとしてきたムニューシンを長官とする財務省であることも、このような可能性を示唆しているのではないだろうか。
2020年の大統領選挙まで貿易戦争を続ければ、経済に深刻な影響が生じ、トランプの再選は危うくなる。トランプなら、これを本能的に察知するだろう。