メディア掲載  外交・安全保障  2018.08.31

マケイン上院議員を悼む

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2018年8月30日)に掲載

 先週末、脳腫瘍で療養中だったマケイン米上院議員がアリゾナの自宅で亡くなった。米主要メディアは特集記事や追悼番組でこの偉大な政治家の死を悼んだ。日本での記事はそれほど大きくなく、「米議会の与党共和党の重鎮、マケイン上院議員が亡くなった。同議員は『物言う与党議員』としてトランプ政権の諸政策を厳しく批判していた」と報じられた程度。マケイン氏が英雄ではない日本では当然だろうが、それでも同議員が日本の真の友人だったと考える人は少なくない。かく言う筆者もその一人である。

 私事で恐縮だが、実は5年前、訪日中のマケイン議員とほぼ1対1で懇談したことがある。平成25年8月21日の昼食で、場所は首相官邸近くのレストランだった。同氏の一行は大人数だったが、われわれ2人に口を挟む者はいない。偶然友人がマケイン議員のスタッフだったので実現した奇跡の会合だった。

 何しろ相手は米上院の重鎮で元大統領候補。ベトナム戦争で捕虜となるも拷問に耐えついに帰還した英雄でもある。気難しく尊大な政治家を想像していたが、最初の5分間で予想は見事に外れた。マケイン上院議員は物静かで知識と経験に富む偉大な聞き手だった。日本と東アジアの政治情勢、特に、安倍内閣誕生から、尖閣周辺の中国公船、国家安全保障会議創設、さらには普天間飛行場移設まで、問われるままに答えた。

 その間、筆者はマケイン議員に米エリート層の品格、勇気、寛大さと一貫性の神髄を見た。懇談は時間にして1時間弱、彼の次の日程は首相表敬だった。友人は筆者に非公式の事前ブリーフィングを期待したのだろうか、筆者を選んだ理由は今も謎である。

 こうした経緯もあり、マケイン氏逝去の報に接して米国要人の追悼文を集めてみた。自分が個人的に接したこの政治家を彼らがいかに評価するかに関心があったからだ。筆者が一番気に入ったのはマティス国防長官の声明だ。「一貫して米国の最善の理想を代表した男をわれわれは失った。彼は常に自分よりも国家への奉仕を優先した」

 民主党の要人も称賛を惜しまない。ケリー元国務長官は「気品と気概の意味を体現する勇敢な男」と評し、クリントン前大統領候補は「正しいことなら実行を恐れない」、サンダース上院議員も「品位と名誉を併せ持つ」と絶賛している。オバマ前大統領も同様の追悼文を寄せていた。

 これらは決してリップサービスではないだろう。マケイン上院議員は多くの人々から愛され尊敬された。5年前の直観は間違っていなかったと確信する。同時に筆者は、こうした賛辞の中で米国のエリート層が、今ワシントンで失われつつある米国の伝統的な美徳と価値を必死で思い起こそうとしているように思えてならなかった。

 そう考える理由がトランプ氏のツイートだ。マケイン氏逝去発表後しばし沈黙を守った大統領はようやく次のツイートを発表した。「マケイン上院議員のご家族に対し、われわれの心情と祈りとともに、心からの哀悼の意を表します」。先に紹介した追悼文に比べればトランプ氏は、いかに「器の小さい」政治家であることか。トランプ氏は「捕虜になるような男は英雄ではない」とマケイン氏をあざけたことがある。だが、国のために戦って捕虜になった男が英雄でなければ、一体誰が命を懸けて戦うだろうか。マケイン氏のような米国伝統の勇気と品位を併せ持つ政治家を尊敬しない男がどうして「米国を再び偉大に」できるのだろう。ブルームバーグ元ニューヨーク市長はマケイン氏こそ真の「米国第一」主義者だと語った。トランプ政権が8年続いたら米国は壊れるとトム・フリードマン氏は言った。ローマは一日にして成らずだが、同時に一晩で崩壊し得る。日本にとっては対岸の火事ではない。