メディア掲載  外交・安全保障  2018.08.20

拝啓、習近平国家主席閣下

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2018年8月16日)に掲載

 北京の酷暑と内憂外患で閣下もお忙しい日々をお過ごしのことと推察します。本日は最近米トランプ大統領が仕掛けた「米中貿易戦争」について一筆啓上申し上げます。

 それにしても、ワシントンは一体何を考えているのでしょう。聡明(そうめい)な閣下なら既にご承知と思いますが、今次米中貿易戦争と1980年代の日米貿易摩擦は次の3点で本質的に異なります。第1は政経分離。当時日本政府は経済貿易問題が日米同盟を害さないよう細心の注意を払いました。第2に当時の日本は戦略的に東アジアにおける米国の覇権に挑戦などしませんでした。最後に当時はWTO(世界貿易機関)の前身GATTが一応機能していました。要するに日本は自国経済を国際システムに適応させたのです。その意味で日米対立はあくまで「摩擦」であって「戦争」ではありませんでした。

 これに比べれば今回の米中貿易対立は文字通り「戦争」ですね。トランプ氏の目的は貴国の対米黒字縮小だけではありません。この数年間で米国が中国を見る目は明らかに変わりました。トランプ氏は政経未分離の貴国の戦略自体を問題視し始めています。日米の問題が同盟国間の負担分担だったとすれば、米中は大国間の戦略的競争なのです。

 閣下、私の懸念は今閣下の周辺にこうした米中関係の本質的変化を正確に理解する知恵者がいないのではないかということです。閣下の対米政策については(1)応分の対抗措置を取る(2)WTOなど国際機関で紛争を解決する(3)中国経済の構造改革を進める(4)米中百年戦争を戦う-の4つが考えられます。しかし、今北京から聞こえてくるのは「米国の脅迫には降伏しない」といった勇ましいが無責任な強硬論ばかりですね。

 賢明な閣下なら「戦略のパラドックス」という概念をご存じでしょう。軍事的優位は永遠に続きません。戦いには相手がいます。こちらが成功し続ければ、敵は必ず戦術を変更し、こちらの弱点を突く手段を編み出します。今米国は、まさにこの「逆説」を実行し始めました。貿易戦争で米国に簡単に勝てるなどと過信してはなりません。「戦争」ですから、米国はこれからも理不尽な対中要求を続けるでしょう。ここで中国が過剰反応し、本気で米国に戦いを挑めば、結果はトランプ氏の思うつぼです。今の中国で戦略的に正しい決断を下せるのは閣下以外に考えられません。

 米中間には他にも懸案があります。あの「歴史的」な米朝首脳会談から2カ月たちましたが、案の定、北朝鮮非核化交渉に進展はありません。私は北朝鮮の意図を次のように推測しています。彼らに非核化する気が全くないとまでは言いませんが、少なくとも「北朝鮮の核兵器と開発計画の廃棄」なるものは最後の切り札として、交渉の最終段階まで温存する可能性が高いのではないでしょうか。

 北朝鮮にとっても、中国にとっても、トランプ氏は最もくみしやすい交渉相手ですよね。政治的に見てトランプ氏は中間選挙まで北朝鮮との交渉につき失敗を認めることはないでしょう。一方、北朝鮮は今後も核弾頭とミサイルの分野で秘密裏に開発計画を維持したいと思うはずです。閣下はこうした状況を巧みに利用し、米国と北朝鮮による「朝鮮戦争終結」宣言を画策しておられるのでしょう。でも、米国も閣下の思惑は百も承知ですから、貿易面で中国に譲歩することはまずないと思います。

 北朝鮮問題と貿易戦争は今後も長く続く米中スターウオーズの2つのエピソードにすぎません。されば、閣下は決して米国の挑発に乗ってはなりません。今こそ中国は1980年代の日本から学び、メンツを捨ててでも経済貿易システムの構造改革という戦略的決断を下すべきなのです。

 閣下、酷暑が続いています。くれぐれもご自愛くださいませ。敬具 宮家邦彦拝