8月2日付けの日本経済新聞は「トランプ旋風を奇貨にWTOの改革を」と題する社説を掲載した。機能不全に陥っているWTOを改革するために、WTO全加盟国ではなく限定された国が参加するプルリ協定(参照:日本はタナボタ? 米欧の自動車関税回避策)による新分野の貿易自由化等を提案している。
米中貿易戦争を引き起こした対中関税引上げの根拠となったのは、アメリカ通商法301条である。アメリカ政府が不公正な貿易を行っていると判断する国に対して、アメリカ政府が検事兼裁判官となって一方的に制裁措置を講じるというものである。
1980年代から90年代初めにかけて日米貿易摩擦が激化した。アメリカの一方的措置による恫喝的行為に悩まされてきた日本は、WTOを設立することになったガット・ウルグァイ・ラウンド交渉で、WTOの紛争処理手続きを経なければ一方的措置を講じることはできないと規律することに成功した。
この結果、301条などの一方的措置はWTO非加盟国にしか適用できないことになった。前身のガットに比べて、WTOはより充実した司法(裁判)機能を持つことで、アメリカ政府が裁判官として判断する機能を奪ったのである。
もちろん、アメリカは検事役となって、WTO違反措置を講じている国をWTOに告発(提訴)することは可能であるが、これは全てのWTO加盟国に認められた権利である。
今回、アメリカはこれを無視する形で301条を中国に適用し、関税の一方的引上げを実施した。これに対して、他のWTO加盟国から大きな批判が生じているが、アメリカの主張が全く根拠のないものではない。
アメリカが中国に対して不満を持った行為のほとんどが、WTOでは規律されていないものだからである。アメリカ企業が中国国内で活動する際、その技術や知的財産を中国に移転することを要求したり、同じくアメリカの技術や知的財産を取得する目的で、中国企業がアメリカの企業を買収したり投資したりする行為などである。これらは、そもそもWTOで規律していないので、アメリカはWTOに提訴することはできない(しかし、アメリカがその目的を達成するためにとった対中関税引き上げという措置は、ガット・WTOの最恵国待遇という大原則に違反することになる)。
なぜ、WTOの規律ができていないのか?
それは、2001年から開始されたドーハ・ラウンド交渉が、新しい分野の規律や関税引き下げを主張する日本、アメリカ、EUなどの先進国とこれに反対するインドや中国(ドーハ・ラウンド交渉開始と同時にWTOに加盟)が対立して暗礁に乗り上げているからである(参照:「中国」に惑わされず、RCEPよりTPP拡大を)。この結果、WTOの規律は、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉が妥結した1993年以降の経済や貿易の変化を全く反映しないものとなっているのである。
これは、アメリカだけではなく、日本やEUなどの先進国が共通して抱える懸念である。
このため、2018年6月のG7サミットでは「WTOを現代化し、可能な限り早期に、より公正にする」ことが合意された。アメリカが鉄鋼・アルミや自動車の関税を引き上げることには、日本もEUも反対だが、中国の行動を規制するためにWTO改革が必要だという点では、アメリカと同じ意見である。
では、そのためにどのようなWTO改革を行えばよいのだろうか?
日本経済新聞が提案しているプルリ協定には、次の問題がある。
第一に、ルールについてのプルリ協定を結ぶ場合には、知的財産権とか国有企業などのイッシューごとに参加国が異なることになる。実際に東京ラウンドでは、イッシューごとに参加国がまちまちとなり混乱したことから、その反省として、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉では全ての国が全ての協定を一括採択(参加)するシングル・アンダーテイキングという合意方法が取られた。
第二に、アメリカや日本などが関心を持つ知的財産権とか国有企業などのプルリ協定には、中国は参加しようとはしないだろうということである。これでは、中国に規律を課すことはできない。アメリカは目的を達成できない。
第三に、モノの関税の引き下げのプルリ協定では、参加しない国も参加国の関税引き下げの恩恵を受けることになる。このフリーライダーの問題があるので、最小限必要だと思われるある程度の数の国が参加しない限り合意しないというクリティカル・マスという交渉方法が取られてきた。プルリ協定だから簡単にできるというものでは、必ずしもない。
では、我々として、なにが可能か?
TPPの活用である。アメリカが中国に対して懸念していることの全てはTPP協定がカバーしている。これは、当然アメリカも理解していると思われる。だから、TPPから脱退したトランプも、良い条件が得られるならという留保を付けたが、TPPに復帰してもよいという発言をしたのだろう。
タイ、インドネシア、韓国、台湾、イギリス、コロンビア等を加入させてTPPが拡大し、また、アメリカがTPPに復帰して来るなら、TPPは巨大な自由貿易圏を形成することになる。そうなると、中国もTPPに参加せざるを得なくなる可能性が高まる。
中国がTPPに参加しない場合でも、1993年以降の世界貿易の変化を反映したTPP協定の規律をWTOに採用するよう働きかけることができる。これについては、EUも賛成するだろう。TPPのルールを世界のルールにするのである。単なる先進国だけの提案ではなく、アジア太平洋地域の途上国も合意したTPPの協定をWTOに持ち込むことについては、中国も反対しにくい。
また、中国については、現在のWTOの規律も遵守していないという問題がある。
例えば、各国の農業補助金が貿易を歪曲していないかを審査するために、WTO加盟国は毎年の農業補助金の額をWTOに通報することになっているが、長年中国はこれを行っていない。
現行のWTO協定違反を追及するためには、WTOの紛争処理手続きを機能させる必要がある。しかし、二審制の最終審である上級委員会の7人のメンバーのうち、3人はアメリカの反対により欠員となっており、また一人は9月に任期満了となるため、3人しか残らないことになる。各案件の審理は3人の上級委員によって行われるため、残された3人が多数の紛争処理案件を全て抱えなければならなくなる。
アメリカにWTOの紛争処理機能を認識させる必要性があるだろう。それが、一方的措置を回避させる道でもある。