メディア掲載  グローバルエコノミー  2018.03.26

トランプ政権の鉄鋼関税引き上げと経済学

WEBRONZA に掲載(2018年3月12日付)
世界中に衝撃が走った

 トランプ政権が鉄鋼関税引き上げを決定したことに、世界中が衝撃を受けている。中国の過剰生産による鉄鋼価格低下を理由にしているが、アメリカ全体の鉄鋼輸入に占める中国の割合は2%に過ぎず、主要な輸出国であるカナダやEUからの大反発を受けている。これは中国に対する貿易赤字の解消には、ほとんど役に立たない。

 世耕経済産業相は、安全保障上鉄鋼業が必要だとするアメリカに対して日本は同盟国であること、高品質の日本の鉄鋼製品に対するアメリカ産業の需要は高いことを主張して、日本の鉄鋼またはその一部品目を対象除外とするよう申し入れていたが、効果はなかった。アメリカの本音は安全保障ではなく、国内の鉄鋼業界を保護しようとするものだからである。そのためには例外なく幅広い国を対象としなければならない。

 アメリカは将来の適用除外に含みを持たせているが、カナダとメキシコを対象から外したのも、安全保障上両国は特別だという表向きの理由からではなく、再交渉をしているNAFTAで両国から別の事項で譲歩を引き出したいためで、両国が譲歩しないなら適用除外を止めて高関税を課すと示唆している。日本が適用除外を求めるなら、農産物の関税を下げろと言ってくるだろう。

 日本政府は国内向けにあくまでも適用除外を求めていくというポーズを採るのだろうが、それが難しいということは通商関係者にはよくわかっているはずだ。

 仮に日本が適用除外を獲得できたとしても、他の国へのアメリカの高関税でアメリカの輸入が減少すれば、世界市場への鉄鋼供給が増加し国際価格が低下するので、日本の鉄鋼業界は大きな損失を受ける。根本にあるアメリカの措置自体を是正しなければ、問題は解決できない。日本だけお目こぼしをもらおうという姑息(こそく)な対応ではなく、アメリカに正面から対峙し措置を撤回するよう求めるべきなのである。

 トランプ政権の措置で思い浮かんだ二つの経済理論がある。


最適関税の理論

 一つは、国際経済学の最適関税の理論である。

 国際経済学では、その国の貿易が世界貿易に占める比重が大きく、貿易量や政策の変更が国際価格に影響を与える大国の場合と、比重が小さくて国際価格に影響を与えるようなことがない小国の場合を分けて議論する。小国が関税を上げても国際価格には影響しない。ところが、大国が輸入品に関税をかけると、大国については国内価格が上昇するので需要が減少し、輸入量が減少する。つまり、大国の需要減少分だけ世界市場での需要が減少することになるので、国際価格が低下する。

 具体的に数字を置いてみる。

 アメリカは従来100ドルで鉄鋼一単位を輸入していたが、40ドルの関税をかけたために、国際価格は80ドルに低下する(アメリカの消費者は80ドルに関税を加えた120ドルで購入する)。

 アメリカが輸出するトウモロコシ一単位の価格は100ドルで変わらない。関税をかける前はともに100ドルで鉄鋼一単位とトウモロコシ一単位を交換していたが、鉄鋼価格が低下したために、アメリカはトウモロコシを0.8単位輸出するだけで、もとの鉄鋼一単位を購入することができる(これを〝交易条件〟が改善するという)。

 輸出することは生産する(働く)ことであり、輸入することは消費することだと考えると、アメリカ(大国)は少なく働くだけで同じだけの消費ができるようになる。つまり、アメリカは関税をかけることで豊かになったのである(生産者は価格上昇の利益を受けるし、関税収入が国庫に入る)。

 もちろん関税が高すぎれば、国内価格が上昇することによる消費者の不利益が大きくなりすぎるので、関税引き上げにも限界がある。アメリカの利益が最高となる、ある一定の関税水準が存在する。これを最適関税という。


関税引き上げの被害者

 今回のアメリカの関税導入で、EUはアメリカ市場を失った鉄鋼が自国に安く流入してくることを懸念している。もちろん、トランプ氏が提案する25%の関税が最適関税である保証はないが、鉄鋼の国際価格が低下してアメリカの交易条件が改善し、アメリカに一定の利益が発生する。

 反対に、鉄鋼の国際価格が低下する輸出国は被害を受ける。報復措置として、同じく大国であるEUがアメリカからの輸入品の関税を引き上げると、今度はアメリカが被害を受ける(EUに代わり多数の輸出国が協調して関税を引き上げても同じである)。世界の貿易は縮小して、アメリカが関税を引き上げる前に比べて、アメリカも含め全ての国が被害を受ける。さらにアメリカが対応措置を講じ、双方の対応がエスカレートすれば、世界貿易はどんどん縮小して、貿易がほとんど起こらないという最悪の結果となる。これが貿易戦争の結末である。


囚人のジレンマ

 もう一つは、ゲームの理論の囚人のジレンマというケースである。

 二人の共犯者が別々の取調室で尋問を受けている。自分だけが自白し、相手が自白しなければ、自分は刑に服することなく、相手は10年の刑に服する。両者とも自白しなければ、ともに2年の刑、両方とも自白すれば、ともに6年の刑となるとしよう。

 相手が自白しないという保証はない。相手が自白しなければ、自分は自白したら釈放される。相手が自白したら、自分は自白しなければ10の刑を受けてしまうが、自白すれば6年で済む。結局、両者とも同じように考え、自白してしまう。ともに自白しないよりも悪い結果となる。

 これを上の関税の例に当てはまると、トランプ氏は自分だけ自白して(関税を上げて)釈放される(利益を最大にする)ことを考えていたのに、相手方も自白する(報復的に関税を上げる)のでともに自白しない(関税を上げない)場合よりも不利益な結果となってしまうのである。

 どうしてこのような囚人のジレンマが起こるのだろうか。

 それはそれぞれの犯罪者が別々に取り調べを受け、両者の間に意思の疎通がないからである。両者とも同じ部屋で取り調べを受け、互いに協調していれば、このような結果が起こる可能性は少なくなる。


歴史の教訓

 国際貿易には、大恐慌後に各国が自国市場を守るため関税を引き上げて近隣窮乏化政策を行った結果、ともに不利益を受けたという教訓がある。囚人のジレンマのケースだった。これを止めようとして作られたのが、WTO(世界貿易機関)の前身の組織であるガットである(ガットは組織の名前でもあり、協定の名前でもある)。ガットの基本には、ともに関税引き上げ競争をしないという協調の考えがある。

 協定としてのガット第二条は、各国は約束した関税以上に引き上げないと規定している。これをトランプ氏は反故にしてしまった。自国だけが良ければよいという政策が自国も不幸にした歴史を忘れた暴挙である。今回の措置に反対していたアメリカのコーン国家経済会議(NEC)議長が辞任をしたことは当然である。

 EUはしたたかである。共和党の上院のリーダー(院内総務)のマッコウネル議員の地元ケンタッキーのバーボン、下院議長のライアン議員の地元ウィスコンシンのハーレイ・ダビッドソンを、報復関税の対象にして、与党共和党のリーダーを関税引き上げの反対に回らせた。(これに対して、トランプ大統領はEUからの自動車の関税を上げると主張している。貿易戦争を辞さないという姿勢である。)

 2002年にブッシュ政権が鉄鋼の関税を引き上げたときも、弟が知事をしているフロリダのオレンジジュースを報復の対象にしている。この時は、日本もEUとともにアメリカの関税引き上げをWTOに訴えて勝っている。

 中国も大豆やトウモロコシというアメリカからの輸入製品への対抗措置を検討している。アメリカから輸入しなくてもブラジル等から輸入すればよいと考えているのだろう。

 アメリカ国内にも大きな影響が生じる。アメリカ人はパーティーの際ケッグという鉄製の樽を使って、それに入ったビールを飲む。そのケッグを作る業界は、高い鉄を使わなければならないとすれば、安い鉄を使う輸入品と競争できないので、従業員を解雇し工場を閉鎖しなければならないと訴えている。国内の非効率な鉄鋼業界を守るために、ケッグや自動車業界など鉄を使う多くの産業に負担を強い、逆に多くの雇用をなくしてしまうことになる。与党の共和党の議員多数がホワイトハウスに措置の撤回を求める文書を提出している。もちろん、貿易戦争の結果、最終的に被害を受けるのは消費者である。

 我が国は、どうすればよいのだろうか?

 対抗措置を講じなければ、掟(おきて)を破ったアメリカに一方的に利益を与えるだけの結果となる。囚人のジレンマのケースでも、相手だけ自白し自分が自白しなければ、自分だけ重い刑に服することになる。EUのユンケル欧州委員会委員長が、ばかばかしくてやりたくないが報復措置をやらざるを得ないと発言しているのは、このためである。日本も共和党支持の農家の生産物である、牛肉や穀物の関税を上げると発表してはどうだろうか。

 それよりもよいのは、自由貿易を否定し保護貿易が良いとするアメリカとは、いかなる自由貿易の交渉にも応じないと主張し、日米自由貿易協定交渉だけではなく、TPP加入交渉にも応じないと主張することである。

 トランプ政権がTPPから脱退したことで、アメリカの農業界は日本市場を失うことになる。これはカナダやオーストラリア産の農産物に比べ、アメリカ産農産物の関税を高くすることに他ならない。アメリカに対して農産物の関税を引き上げると同じ効果を持つ。これは全く正当な行為であり、EUの措置にはアメリカが対抗措置を打つ法的根拠がないではないが、この日本の対応にはアメリカは対抗措置を打ちようがない。

 ワイズ(賢明)であるとともにクレバー(狡猾)な対応も必要である。権謀術数に長けたEUにも学ぶところがあろう。