メディア掲載  外交・安全保障  2018.03.08

人文科学衰退は日本の危機

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2018年3月1日)に掲載

 「学者」に対する筆者の思いは複雑だ。修士・博士号など興味はないし、今でも学問より実務経験を重視する。一方、特定領域を辛抱強く集中研究できる彼らの能力には脱帽だ。飽きっぽいし、高校時代から理科系は、からきし駄目だった。物理であれ、生物であれ、自然科学者には畏敬の念すら抱く。こんな筆者が最近危機感を覚えた。旧知の学者3人の言動を見聞きし、日本の人文科学が迷走を始めたのでは、と危惧するのだ。

 発端は先般某国立大学教授からもらったメールだった。文面はこうである。


●来年から彼の大学の人文社会系がビジネス科学系と合併することが決まった。

●哲学、文学、経済、政治、国際関係などの教員全てがビジネス科学と一緒になる。

●グローバル市場に対応する先進的リーガルマインドの人材を育てる趣旨だという。

●対等合併とはいえ、人文系の地盤沈下は不可避だ。こうした急展開は恐ろしい。

●この傾向は他の国立大学にも及ぶだろう。既に私立大学に逃れる者が出ている。


 さすがの筆者もこれには驚いた。彼は東洋政治思想史に詳しい政治・歴史学者、筆者の畏友の一人だ。彼は、ネット時代に「知の在り方」が変わった、旧態依然の人文社会系は不要かもしれぬと嘆く。だが、本当にそうなのか。

 2人目の学者も日本を代表する現代中国政治専門家の一人だ。彼はある雑誌への寄稿でこう書いている。


●文系研究者の研究資金は年間100万円以下、億単位の理系とは桁が違う。

●大学の研究費は年間数万から数十万円で、それ以上必要なら外部の資金となる。

●文科省所管の科学研究費は競争率が高く、手間暇かけて申請しても獲得は難しい。

●しかも、研究資金は使い勝手が悪く、海外の研究者には謝金が出しにくい。

●会合を開けば食事を提供するが、アルコールは研究費から出せず、全て自腹となる。


 要するに、国際会議に付随する会食の酒代ぐらいは研究費から払えるようにしてほしい、という悲痛な叫びだ。アルコールは研究ではない、ということか。人と交わるのが人文科学だが、これが税金から出る研究費の実態だ。何かがおかしいと思うのだが。

 理系の学者が悪いのではない。彼らだって研究費獲得のため四苦八苦しているはずだ。問題は人文科学系学問に対する構造的な支援不足ではなかろうか。単なる研究費の多寡ではない。問題は、一国の国家安全保障問題を考える際に最も有用かつ重要な学問が先端兵器技術でも今流行のビジネス科学でもなく、伝統的な人文科学であることだ。

 哲学にせよ、地域研究、国際関係、歴史学にせよ、人文科学は「人間の営み」を研究する学問だ。筆者も昔公務員だった頃は人文科学の重要性を過小評価していた。だが今や政府や巨大組織から離れ、静かに1人で日本という国家の安全保障や戦略論を考えはじめて、今更ながら、歴史や地域研究といった人文科学の重要性を痛感するのだ。

 3人目の学者は有力私大で黙々と中東研究を続け、大きな成果を残して最近退職した旧知の教授だ。改めて彼の著作集を読むと、一連の研究が学問だけでなく、わが国の中東政策の立案にも有用であることが分かる。人文科学って結構役に立つのだ。

 もちろん、iPS細胞や人工知能(AI)などの最先端技術に研究費を重点配分するのは当然。しかし米国防総省などは予算の中から東アジア、ロシア、中東などの歴史や地域情勢分析など人文科学系研究に少なくない研究費を支出していると聞く。日本でも、文科省が駄目なら、外務省や防衛省などが外交・安全保障政策の立案に資するため、必要な人文科学系研究費を大幅に増額すべき時代が来ているのではないか。