10月16日、麻生副総理とペンス米国副大統領の間の日米経済対話で、同副大統領が日米FTA(自由貿易協定)に強い関心を示したと報道された。
アメリカで日米FTAを最も推進しているのは農業界である。パーデュー農務長官は日米FTAを熱望していると発言している。背景にあるのは、日本が主導するアメリカ抜きのTPP(環太平洋経済連携協定)11交渉である。
TPP11が実現すれば、アメリカは38.5%の関税を払わなければ日本に牛肉を輸出できないのに、豪州は9%の関税を払うだけでよい。同じことが、小麦、豚肉、ワイン、バター、チーズ等で起きる。アメリカの農産物は日本市場から駆逐され雇用は失われる。日本がワイン、豚肉、チーズ、パスタなどの輸出国であるEUとも自由貿易協定を結べば、アメリカ農産物の日本市場での状況は決定的に悪くなる。
私がアメリカ抜きのTPPを主張した際に指摘した通りの心配を、アメリカ農業界がしているということである。アメリカがTPPに復帰すれば、この問題は解決する。それが私の主張の狙いだった。アメリカ抜きのTPP11交渉の目的はアメリカをTPPに復帰させることである。
しかし、トランプ大統領がTPPから脱退すると宣言した以上、アメリカはTPPには簡単には戻れない。したがって、日米FTAを結んでアメリカ産農産物が不利にならないようにしたいというのである。これに対して、日本政府や農業界は日米FTAとなれば、アメリカはTPP以上に関税の削減や撤廃を求めてくるのではないかと心配しており、日米FTAには応じられない。しかし、トランプ大統領がAPEC首脳会議の直前の11月5日に来日する。トランプ大統領から日米FTAの要求があった場合どう対応してよいのか、対米関係を極めて重視する外務省は頭を抱えていることだろう。
上策から下策まで選択肢はある。
上策は、日米FTAを拒否してTPPに復帰するよう、トランプ大統領に主張することである。もちろんトランプ大統領は気分を害することだろうが、独立国として筋を通し、彼に対しても毅然とした態度を示せばよい。
日米FTAは望ましくないとアメリカを諭すのである。第一に、TPPはAPEC地域全体の自由貿易地域(FTAAP)実現に向けた取り組みの一つとして位置づけられてきた。APEC首脳が約束してきた途(みち)から外れて、二国間のFTAを目指すことはこれに逆行する。第二に、二国間のFTAが重なると、多数のルールや規則が錯綜し、こんがらがる。これをバグァッティという著名な国際経済学者はスパゲティ・ボールと呼んで批判している。TPPのように多くの国や地域が参加するメガFTAでは、参加する多くの国の間でルールや規則が統一されるというメリットが生じる。
日本はこれらの筋論を展開すればよい。今弱い立場にあるのはアメリカである。また、そのような状況に自らを追い込んだのもTPPから離脱したアメリカである。日本はアメリカがTPPに入れてくれと言ってくるまで、待つだけでよい。
下策は、アメリカの要求と国内の農業界の板挟みとなった日本政府が、TPP並みの条件で日米FTAを結ぶことである。最も日本政府が採りそうな選択肢だが、最も下等な選択肢である。
TPP11交渉はいずれアメリカが復帰することを前提として交渉している。ベトナムはアメリカ市場での繊維製品の分野でのアクセス拡大の見返りに、国有企業の分野で譲歩したのでTPP11には消極的だと言われた。しかし、アメリカ抜きのTPPはアメリカにTPPに復帰させるための手段なので、アメリカがTPPに復帰すれば、ベトナムの懸念はなくなる。これが私の主張であり、日本政府はそのようにベトナムを説得したのだろうと思われる。アメリカ復帰の前提がなくなれば、TPP11交渉の枠組みがおかしくなる。
TPPの合意内容にも修正が必要となる。
例えば、牛肉の関税削減の見返りとして、輸入が一定量を超えると関税を引き上げるセーフガードがTPPで合意された。この一定量にはTPP11の豪州だけではなくアメリカからの輸出量も入っている。
これまでいずれアメリカが復帰するのだという前提で、このセーフガード発動数量を引き下げる交渉をしてこなかった。アメリカが入らないということになれば、これを減少させないと、豪州からの輸入が倍増してもセーフガードは発動できないということになりかねない(具体的には、TPP協定発効初年度の関税は27.5%であり、TPP域内国からの輸入が59万トンを超えると38.5%に関税を引き上げることになっている。2016年度の輸入総量53万トンのうちアメリカ21万トン、豪州28万トン、両国合計で49万トンである。豪州の輸入が倍となっても59万トンには届かない)。
日本政府が合意の修正を持ち出すと、パンドラの箱をひっくり返すようなことになりかねない。ベトナムも国有企業の譲歩を撤回したいと言うだろうし、他の国も合意内容を蒸し返すだろう。11月10日のAPEC首脳会議の際の大筋合意を目指しているTPP11交渉は迷走する。なによりこれまでTPP11交渉をリードしてきた日本の信頼は地に落ちてしまう。
さらなる上策は、日米FTA交渉を行い、日本の農産物関税を全廃することである。
米などの農産物関税を撤廃すれば、国際価格よりも高い価格は維持できなくなる。納税者にも消費者にも総額1兆円、一人当たり1万円の負担を強いてきた減反政策は維持できなくなる。国民消費者は農政の負担から解放されるし、農業にも新たな飛躍のチャンスが到来する。関税引き下げで影響を受ける主業農家には、アメリカやEUが採用してきた直接支払いという世界中の経済学者が勧める処方箋がある。財源は4千億円の減反補助金である。直接支払いで農業を守る覚悟であれば、上記のセーフガードは必要ではない。
日米FTAがこのような結果となれば、今度はTPP参加国をアメリカより不利に扱うことになるので、TPPでも関税を撤廃することになる。豪州、カナダ、NZなどのTPP参加国は日本の関税撤廃のイニシャチブを歓迎するに違いない。日米FTA交渉を妥結するまでには数年かかる。トランプ大統領がいなくなった後に、日米FTAをTPPに吸収すれば、アメリカも入り内容も改善されたTPPが出来上がる。
トランプ政権の下でも、わずかだが一筋の光明(シルバー・ライニング)が見える。