メディア掲載  外交・安全保障  2017.10.19

石黒一雄か、Kイシグロか

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年10月12日)に掲載

 今年のノーベル文学賞が決まった。受賞者は1人だが、紹介方法は2通りある。日本の一部には「長崎出身の石黒一雄氏は長崎と日本の誇り」と素直に喜ぶ報道もあった。一方、内外メディアの多くは「長崎生まれの英国人で世界的ベストセラー作家のカズオ・イシグロ氏」の「力強い感情の作品群」が評価されたと冷静に報じた。さらには、「なぜ村上春樹氏ではないのか」とか「日本はイシグロ氏の世界観に大きく影響」などといった日本的論調も目立った。

 だが、筆者の視点はちょっと違う。石黒氏は彼自身であって、他の誰でもない。日系か、英国人かも、あまり気にはならない。ただ5歳で渡英して現地校で学び、29歳の時処女作が成功して英国に帰化した作家が、いかに自らの感性と文体を磨けたのか。筆者の関心はこの1点にある。

 ネットで石黒氏の著作に関する英文の論評を見つけた。英高級紙ガーディアンの記者が12年前の2005年、当時発表された『わたしを離さないで』について書いた書評だが、そこには石黒氏の半生が見事に描かれている。

 書評によれば、1960年、5歳で海洋学者の父と渡英、一家でサリー州・ギルドフォードに移住▽現地小学校・グラマースクールを卒業後、北米旅行や作曲や音楽制作を行う▽80年、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、小説を書き始める▽卒業後一時は音楽家を目指すが、82年に処女作を発表し、高く評価される。

 この中で筆者が特に気になったのは、石黒氏の人生を決めた60年と82年の出来事だ。

 まずは英語と日本語について。石黒氏がしゃべる英語は「日本語訛(なまり)」が全くない完全な「英」語だ。5歳から英国に住めば当然と思うかもしれないが、突然外国に連れて行かれた子供たちにとっては「当然」ではない。見知らぬ環境での外国語習得が大きな苦痛を伴うことを大人は知らないだけだ。

 世の中には子供を「バイリンガル」に育てようと幼い頃からわが子を英語漬けにする親がいるが、これには十分な注意が必要だ。外国語はただ、しゃべればよいというモノではない。人間は母国語でしか抽象的概念を考えることができないらしい。幼児期に母国語が固まらないまま、やみくもに外国語を教えた結果、抽象思考ができなくなってしまうケースは少なくないという。

 この点、石黒氏は英語一本に絞ったようだ。家では両親と日本語をしゃべっても、彼の母国語は日本語ではなく、英語なのだ。石黒氏の世界観に日本が大きく影響したことは疑いがない。しかし、彼の日本理解は外国のどの作家や学者とも異なる。

 彼は渡英後30年間日本に戻っていない。母国語が英語である石黒氏の日本観は、母国語が日本語である両親を通じ、英語によって抽象化されたものだからだ。かくも特異な環境にいたからこそ、石黒氏は「現実が非現実となり、またその逆も真である」世界を描けたのだろう。少なくとも、日本語が母国語である筆者は、英語で抽象的概念を考えることなど到底できない。イシグロ文学の神髄は正にここにある。

 石黒氏の処女作が高い評価を得始めた83年、彼は英国市民ではなかった。帰化した理由につき石黒氏は、「文学賞の受賞資格を得ることも大事だったが、自分は日本語が上手ではなく、自分の感覚はブリティッシュであり、自分の将来は英国にあると考えたからだ。それでも自分自身は今も日本の一部だとも思っている」と述べている。何とも微妙なバランス感覚ではないか。カズオ・イシグロは日本人でも英国人でもない。強いて言えば、日本人の両親からの感性とそれを昇華させた英国の教育システムとの「日英合作」なのだろう。