メディア掲載  外交・安全保障  2017.09.29

不寛容の時代を生きる

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年9月28日)に掲載

 本日、衆議院が解散される。日本では総選挙の大義名分や野党の離合集散にばかり関心が集中しているが、世界では最近、より不健全で不寛容な事象が頻発している。今週はこの話をしたい。

 まずは米国から。先週トランプ大統領は、「各チームのオーナーはプロフットボール(NFL)の試合前に国歌斉唱で起立しない選手たちを解雇し、ファンは試合をボイコットすべきだ」と発言。そのくらい良いじゃないか、と案の定、オーナー連と選手会は、「大統領の無神経で攻撃的発言は米国の理念に反する」と猛反発した。

 トランプ氏といえば、北朝鮮外相から、「誇大妄想で独りよがりな精神的に錯乱した人物が核のボタンを持つことこそ国際平和と安全に対する重大な脅威」と批判されたのに対し、「彼がチビのロケットマンの考えに同調するなら両者とも遠からず姿を消すことになる」などとツイートした。子供のけんかじゃあるまいし。いい年して、今さら「お前の母さん、○○○」でもなかろう。

 今週初め、イラク北部のクルド自治区で住民投票があった。クルド人の若者の多くは独立に賛成らしい。バルザニ自治政府議長は、遅くとも2年以内にイラク政府などとの交渉を終え独立するという。だが、イラクとの共存なしにクルドは生きていけるのか。クルド人はいつからかくも不寛容になったのか。中東といえば、先週末イランが新型弾道ミサイルの発射実験に成功した。射程2千キロで多弾頭型だという。2015年のイラン核合意違反の可能性大だ。トランプ政権が揺れている今こそ、イランは自重すべきだったのではないか。

 極め付きは今週初めのドイツの総選挙だ。メルケル首相率いる与党は第1党を維持したが、新興の右派政党が十数%以上得票し第3党となった。シリアなどからの難民受け入れをめぐり支持率を下げた与党を尻目に、AfD(ドイツのための選択肢)が初の国政進出を果たしたのだ。人道や人権を重視するドイツ社会の中にも、排外的で不寛容な声が拡大しつつある。

 これらの民族主義的、大衆迎合的な事象が暗示するものは何か。1945年以降、われわれは自由で民主的な国内社会の再構築と開かれた国際社会を志向してきた。しかし、今われわれはそのような理想のシステムが揺らぎつつあることを認めざるを得ない。誤解なきよう申し上げるが、こうしたナショナリズムやポピュリズムは決して自由主義や民主主義と相対するものではない。それどころか、前者が後者と相互補完関係にあることも少なくない。限られたエリートではなく広範な庶民の意見を反映させるのが民主主義だとすれば、ポピュリズムは民主主義を進化させる手段にもなり得るからだ。

 以上を前提に今回紹介したさまざまな事象をもう一度考え直してみよう。米朝間の罵り合いはともかく、トランプ氏とNFL関係者との論争などは自由な言論空間がある証拠だし、ドイツでの右翼政党台頭もドイツの有権者の声を反映したものである限り頭から否定すべきものではない。

 だが、1924年5月、初めて国政選挙を戦ったナチ党は192万票、6.5%を獲得して32もの議席を得た。今回AfDはその倍近い得票率を得ている。歴史は繰り返さないが、時に押韻することを忘れてはならない。

 翻って日本はどうだろうか。今回は多くの野党が連立与党に対する不満票を取り込もうとしている。その中には不寛容な民族主義や大衆迎合主義の予兆も見られる。日本の有権者は今こそ、北朝鮮などの動きに一喜一憂することなく冷静に国際情勢を見据えてほしい。ナショナリズムやポピュリズムには流されず、日本の政治のあるべき姿を真剣に考えてほしいものだ。