コラム  エネルギー・環境  2017.09.28

事故の抑止手段は行政規制で十分か-損害賠償の存在意義-

 前回は、原子力損害賠償制度の目的を、原子力事業者の賠償負担額の予測可能性を確保するためであるという見解には問題があることを指摘した。

 今回と次回の2回で、原子力損害賠償制度が、(被害者の保護と併せて)原子力事故の抑制をも目的としていることを検討したい。今回は、前提として、損害賠償の目的を事故の抑止とすることが本当に必要であるかについて考えてみたい。行政上の安全規制で事故抑止を達成できるのであれば、安全規制と並んで、あえて原子力損害賠償の目的を、原子力事故の抑止とする必要性がないからである。



1 安全確保(事故の抑止)の手段:必要性

 改めて言うまでもなく、原子力事故を抑止し、安全を確保することは極めて重要な課題である。そして、「原子力安全の確保」は、原子力事故の可能性を低下させることと言い換えられるが、原子力事故の可能性の低減手段としてまず考えられるのは、行政上の安全規制である。

 原子炉の運転等の代表例として、商業発電用の原子力事業は、国の許可がなければ、開始することができない(核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(以下炉規正法)第23条第1項)。また、その後も、定期的な検査など国が関与する(炉規法第29条など)。このように、原子炉の運転等については、行政法的な安全規制を手段として、国による安全確保の仕組みがとられている。それにもかかわらず、損害賠償を手段として、安全確保を図る必要がある。その理由を考えてみよう。



(1)事業者の賠償資力と事故抑止のインセンティブ

 第1に、原子力事業のように、危険を伴う活動の多くは、損害の発生に基づいて罰則を課すだけでは十分に安全が確保されない。なぜなら、加害者の賠償資力(保有資産)に照らして、生じる可能性のある損害が巨額に上ることが多く、事故抑止のインセンティブが不十分となる場合があるからである。原子力発電所が事故を起こせば、何万人もの人々に損害を与え、その賠償額は発電所の所有者の資産を優に超えるであろう。このような場合に、原子力事業者が事故を制御できないのは明らかである。

 損害保険に加入していない人が自転車を運転する例を考えてみよう(道義的な問題や刑事責任はとりあえず除外する)。自転車事故の被害額は100万円とする。1万円の資産しかない人(保険に加入していない)が自転車を運転すると、「事故を起こしてもかまわない。賠償責任を負ったとしても、1万円以上は、ない袖を振れないのだから。」と考えて、乱暴な運転をすることはあり得そうである。これに対して、1000万円の資産を有している人は、「慎重に運転しよう。100万円支払わされるかもしれないのだから。」と考えそうである。

 原子力事故の被害額が巨額であればあるほど、原子力事業者は、1万円しか資産を保有しない人と同じ考え方に至りかねないのである。



(2)規制当局の確信の程度

 第2に、事業者は、多種多様の活動を行っているところ、リスクを生じさせる活動について、政府が適切な情報を有する可能性は低い。そのため、望ましくないとかなりの確信を持って言える行動に規制の対象を限定することとなり、結果として規制の対象が過小となる。

 例えば、原子力安全規制の具体的な規制の中にも、ケーブルを難燃性のものにしなければならないなど、規制当局にとって規制の合理性に関して確信の度合いの強いものがある。他方で、例えば、免震棟を地上に設置するか、地下に設置するかということについては、規制当局は、どちらかが望ましくないと相当の確信を持たない限り、規制の対象とはし難いであろう。



(3)行政規制の現実的な限界

 第3に、リスクを生じさせる危険な活動の多くについて、政府が情報を有したとしても、実際上規制は容易ではないため、政府は、一定の活動に限定して安全規制の対象とする傾向がある。すなわち、活動は時々刻々変化するところ、政府は、そのような活動ではなく、装置の設置の有無のような、容易に検査できる事項に規制を集中することによって、行為に基づく介入の運営費用を節約している。なぜなら、変化する行動を規制することは、効果的で継続的な監視を必要とするからである。



2 事故抑止の手段としての損害賠償

 このように、政府による行政規制だけでは、安全規制の法的手段として不足である。

 ここで、損害賠償制度は、事故の抑止の法的手段となりうることはよく知られている。このことは、損害賠償制度がない世界を考えてみるとわかりやすい。つまり、事故が起きた際に損害賠償責任を課すことによりはじめて、事業者(加害者)に事故を抑止するインセンティブを与え、事業者の自主的な努力により事故を抑止することができる。これに対して、損害賠償制度がない世界では、事業者は事故を起こしても、金銭的な負担をする必要がないため、事故の可能性を抑制する手段を講じることなく、際限なく活動を拡大し、利潤を追求することになってしまう。

 したがって、行政的な安全規制と不法行為に基づく損害賠償とを協働させることにより、安全確保の手段とする必要があるだろう(刑罰も手段となり得る)。原子力事業のような、特にリスクの大きな事業の場合にはなおさらである。



 <参考文献>
・スティーブン・シャベル(田中亘=飯田高訳)『法と経済学』(日本経済新聞社、2010年)

・藤田友敬「サンクションと抑止の法と経済学」ジュリスト1228号(2002年)25頁