メディア掲載  グローバルエコノミー  2017.07.24

チーズの値段は下がらない-日EU自由貿易協定合意の効果と評価-

WEBRONZA に掲載(2017年7月7日付)
チーズの輸入も増えないかもしれない

 日EU自由貿易協定交渉が大枠でまとまった。〝大枠〟というのは、TPP交渉で使われた〝大筋〟合意という内容と異なり、まだ細部では詰める余地がある、実質的な交渉はまだ残されているという意味だそうだ。

 今回はチーズの関税の扱いが焦点となった。

 交渉の結果は、ゴーダなどのハード系のナチュラルチーズは、TPP(環太平洋経済連携協定)合意と同様撤廃する、カマンベールやモッツァレッラチーズなどのソフト系のナチュラルチーズについては、関税は撤廃しないで低関税の輸入枠を設け、その輸入枠を使って輸入されるチーズの関税を16年かけてなくすというものだ(輸入枠についての当初の関税の水準は公表されていない。まだEUと合意していないのだろう)。

 EUは一定の数量までは低い関税で輸出できるが、その量を超えると29.8%というこれまでと同様の関税が適用されるということである。

 その輸入枠については初年度2万トン、16年目に3.1万トンにする。現在EUからのナチュラルチーズの輸入量は6.8万トン、そのうち明らかにソフト系と思われるフランス、イタリアからの輸入が合計1.8万トンであることからすると、それほど大きな量ではない。

 これによってチーズの小売価格が下がるという解説報道が行われている。残念ながら、そのようなことは起きない。それどころか、チーズの輸入は増えないかもしれないのだ。


どのやり方でも消費者価格は下がらない

 輸入枠というは、それを使って輸入する業者が低い関税(たとえば10%)を払うだけで済むというものである。

 この輸入枠というのは、どのようにして業者に配分されるのだろうか?

 これまでの輸入実績に応じて配分したり、政府の窓口に来た者順に配分するという方法と、政府が入札を行い、高く応札した業者から配分するという方法がある。どのやり方でも消費者価格は下がらない。

 説明しよう。

 最初の2つの方法では、29.8%の関税を払って輸入されるチーズ(1000円の輸入価格だと国内販売価格は1298円)と、10%の関税をかけて輸入されるチーズ(国内販売価格は1100円)の差額分198円は、輸入した業者のポケットに入るだけだからだ。

 なぜなら、市場で1298円で買われているときにわざわざ1100円で売る必要はないからである。

 仮にこの業者が小売業者に安く売っても、小売業者が他の輸入物と同じ価格で販売して利益を受ける。

 このような輸入差益は経済学ではレントと呼ばれているものである。入札の方法では、業者はこの差額分198円から自己のマージンを引いた額で応札することになる。このときレントは政府が徴収することになる。

 消費者の価格が下がらなければ、チーズの需要は増えない。輸入量も増加しない。これまでの関税を払って輸入されたものが低関税の輸入枠を使った輸入に置き換わるだけだからである。

 農林水産省の担当者がここまで考えて交渉したとは思えない。関税が下げられなければ低関税の輸入枠を設定してしのぐというのは、これまでも脱脂粉乳やバター、さらには米などで使われた交渉のパターンだからである。

 しかし、これらの農産物とチーズが異なるのは、前者については通常の関税が200%を超えるため、これを払った輸入がほとんど行われなかった(輸入禁止的な関税という)ため、低関税の輸入枠を設定しても通常関税を払った輸入に置き換わることはないのに対して、チーズの関税は低く、これを払った輸入が行われてきたことである。


交渉の敗者はEUだ

 交渉の敗者はEUである。おそらくEUの交渉者に法律の専門家が多く、経済的な分析ができなかったからだろう。

 これに対して、ワインにかかる15%の関税は即時撤廃されるので、ワインの価格は低下し、消費も増加する。EUのワイン生産者や日本の消費者にとっては朗報となろう。

 今回の合意が重要なことは、これがTPP11の交渉やアメリカの通商交渉に及ぼす影響である。

 まず豚肉の従価税がTPP交渉と同様に撤廃される。日本の豚肉市場での輸入品(市場全体の半分のシェア、半分は国産)のなかで、EU産は36%、アメリカ産は30%、カナダ産は22%を占める。

 もしTPP11にカナダが入らないとすると、カナダもEU産に日本市場を奪われることになる。TPP11に消極的なカナダの背中を押すことになろう。TPPからの脱退を表明しているアメリカは、豚肉だけでなく、ワインまでも日本市場をEU産に奪われることになりかねない。

 今回の合意は、他の交渉にも良い効果をもたらすことになった。