メディア掲載  グローバルエコノミー  2017.07.20

チーズの関税撤廃をめぐる日本とEU、攻防の行方-日本政府が強硬姿勢を採ろうとする思惑とは何か-

WEBRONZA に掲載(2017年7月5日付)
チーズの関税を撤廃できるかどうかをめぐり難航?

 EU(欧州連合)の自由貿易協定交渉は、日本がチーズの関税を撤廃できるかどうかについて難航し、7月1日に合意することができなかったと報じられた。このため、外相と農相が4日にベルギー・ブリュッセルのEU本部に赴き、6日の首脳会談で大筋合意できるよう再交渉することとなったと言う。

 チーズの関税を撤廃すると、全生乳生産735万トン中、46万トン(6%)のチーズ向け生乳に影響が出るからだとか、TPP(環太平洋経済連携協定)ではチェダーやゴーダなどのハード系のナチュラルチーズについては関税を撤廃したものの、カマンベールやモッツァレラなどソフト系のナチュラルチーズの関税は維持したので、EUに譲歩すると、豪州やニュージーランドなどのTPP参加国がソフト系のナチュラルチーズの関税も撤廃するように要求しかねないとかの反対理由が報道されている。


報道されている反対理由は眉つばである

 おそらく農林水産省の解説を疑うことなくそのまま報道しているのだろう。

 しかし、報道されている反対理由は、少し考えれば眉(まゆ)つばだとわかる。

 まず、後者の理由について分析しよう。

 ハード系のナチュラルチーズは、プロセスチーズの原料として使用されるものである。日本は戦後アメリカの食生活の影響を受けたので、アメリカと同様、ナチュラルチーズを加工したプロセスチーズの消費量が多かった。

 ナチュラルチーズ(ハード系もソフト系も同様)は、農林水産省の担当者があんなくさいものは日本人は食べないとして、1951年早々と輸入数量制限を撤廃(自由化)し関税だけを課していた。

 プロセスチーズは、国産の生乳を使用したハード系のナチュラルチーズと、豪州やニュージーランド産のハード系のナチュラルチーズを使って生産されている(これは関税ゼロの輸入枠に国産使用を義務付ける抱き合わせという制度で維持されてきたが、複雑なのでここでは説明を省略する)。国産のナチュラルチーズが使用されるので、プロセスチーズは1989年まで自由化されず輸入数量制限の下に置かれていた。自由化したのは、アメリカに輸入数量制限はガット違反だとして提訴されたためである(「農産物12品目問題」)。

 これに対して、ソフト系のナチュラルチーズは、フランスやイタリアなどのヨーロッパから輸入されてきた。ヨーロッパは差別化が可能で高い価格で販売されるソフト系のナチュラルチーズに、標準品の大量低コスト生産が得意な豪州やニュージーランドは低価格のハード系のナチュラルチーズに特化し、すみ分けているのである。

 だから、TPP交渉で豪州やニュージーランドはソフト系のナチュラルチーズの関税撤廃を強くは要求しなかったのである。TPP交渉終了後、私はソフト系のナチュラルチーズの関税は将来の日EUの自由貿易協定交渉にとっておこうというものだろうと述べた(山下「バターが買えない不都合な真実」189ページ参照)。日EUの交渉の結果豪州やニュージーランドがソフト系のナチュラルチーズの関税撤廃を要求して来るとは考えにくい。


日本の生乳生産の特徴とは

 次に、日本の生乳生産の特徴や特殊性を説明しよう。

 本来、同じ物については同じ価格がつけられる(一物一価)はずである。しかし、生乳については、農林水産省の酪農制度によって、同じ生乳が用途に応じて異なる価格をつけられている(一物多価)。

 735万トンの生乳が、飲用牛乳用に391万トン、115円(キログラム当たり)、生クリーム用に136万トン、80円、脱脂粉乳やバター向け154万トン、75円、チーズ用46万トン、60円となっている(農林水産省資料2014年度)。

 このように生乳価格が異なるのは、最終的に生産される乳製品の価格が異なるからである。乳製品の価格が高くなれば、それに向けられる生乳価格も上がる。

 なお、脱脂粉乳やバター向けとチーズ用は政府からの補給金(10円)が入った価格であり、酪農団体と乳業メーカーの取引価格は、それぞれ65円、50円である。

 このような一物多価制度は、独占とか政府の規制とかがない限り維持できない。60円でチーズ用に買って115円で飲用牛乳向けに売ると必ず儲かるからである。米も農林水産省の規制で一物多価となっているが、規制が緩やかなので、2008年の汚染米の事件のように、特定用途に安く買い入れた業者が高い価格がつく用途に横流しすることが頻繁に生じている。


強力な独占体であるホクレン

 生乳についてはこのようなことが起こらない。それは、第一に、飲用牛乳用以外にほとんどの生乳を販売しているのは北海道の農協連合会であるホクレンであり、ホクレンが乳業各社を支配するような生乳価格の決定権や配乳権を持つ強力な独占体であるからである。そのうえ、農林水産省が乳業各社に製品の生産動向の報告を出させているため、生乳の搬入と製品の出荷を突合することにより、他用途への横流しという〝不正〟を防止できる制度となっている。

 チーズ用46万トンの生乳は、製品のデータからハード系のナチュラルチーズとソフト系のナチュラルチーズに、6対4の比率で仕向けられているのではないかと推測される。

 すでにTPP交渉でチーズ用46万トンの半分以上を占めるハード系のナチュラルチーズの関税は撤廃することが決定されている(関税が撤廃されると輸入枠自体が存在しなくなるので上記の抱き合わせによる国産使用は不可能となる)。ソフト系のナチュラルチーズの関税を撤廃できないはずがない。

 農林水産省はTPP交渉を受けて生クリーム向けまでも補給金交付の対象とすることを決定している。将来関税撤廃によって脱脂粉乳やバター、チーズの価格が低下し、これらへの生乳仕向けが困難となるのを見通して、生クリームの価格を引き下げてその需要を拡大し、生乳生産が減少しないようにしているのである。

 さらに言うと、もしチーズ向けの生乳生産を維持しようとすれば、一物多価の用途別乳価制度の下では、輸入品と対抗できるようチーズ向けの乳価をホクレンが引き下げればよい。

 チーズ向けの生乳は量的には大きなものではないので、生産者が受け取る(各用途の価格と仕向け量から加重平均される"プール乳価"と言われる)乳代はほとんど減少しないし、生クリーム向けや都府県への飲用としての生乳移出が拡大していけば、プール乳価は上がるかもしれない。


日本政府が強硬姿勢を採ろうとする本当の思惑

 ソフト系のナチュラルチーズの関税を撤廃しても、生乳生産への影響はわずかだし、TPPにも影響を与えない。では、なぜ政府は強硬な姿勢を採ろうとしているのだろうか。

 一つは、国内の酪農団体向けに最後まで頑張ったというポーズである。

 もう一つは、首脳会談の交渉の玉としてとっておき、安倍首相の手柄としたいと言う思惑である。