メディア掲載  外交・安全保障  2017.05.31

特別検察官、何が特別なのか

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年5月25日)に掲載

 「特別検察官は...大統領にも解任できない」。19日付某有力紙1面トップ記事の冒頭部分がこれだ。「何だって?」、読んだ筆者はのけ反った。それだけではない。他紙には「米『政権VS司法』鮮明」「捜査の予算は無制限」なる解説もあった。

 字数制限の中、急いで書いた記事なのだろう。武士の情けで実名は控えるが、それにしても、なぜこんな基本的事実誤認が生じるのか。

 トランプ氏のロシアゲート報道は今後も続く。今回は「特別検察官」の論点を整理したい。

 そもそもこの官職、英語名だけでも3種類ある。

(1)special prosecutor

(2)independent counsel

(3)special counsel


(1)は文字通り「特別検察官」。1875年にグラント大統領が某スキャンダル捜査のため任命したのが最初だ。この官職名は1983年まで使われたが、78年に議会が法制化するまでは司法省内部規則などに基づき任命されていた。

(2)は「検察官」なる用語をあえて避けた「独立顧問」だ。ウォーターゲート事件を踏まえ、78年にそれまでの特別検察官の地位を法律で定める「政府内倫理法」が時限立法で制定され、83~99年にはこう呼ばれていた。

(3)は現行の官職で司法省の「特別顧問」。99年の政府内倫理法失効後、連邦規則28章600条に基づき司法長官が米政府外から弁護士を任命して設置できる常勤職だ。

(4)これとは別に1924年、上下両院特別決議に基づき、クーリッジ大統領が「特別顧問」を任命した例がある。


 日本語ではこれらをまとめて「特別検察官」と呼ぶが、いずれも利益相反等機微な事件を政治とは一定程度独立した立場から捜査・訴追する権限が付与される点は共通だ。

 99年に失効した政府内倫理法は不正行為や身体不能など特別の理由を除き「独立顧問」は解任されないと定めていた。

 一方、現在の「特別顧問」は司法省内の一ポストにすぎず、広義の行政機関の一部だ。他の連邦検事と同様の捜査・検察権限は保障されるが、任命権者はあくまで長官。その独立性に法的保障はないだろう。されば大統領が長官に罷免を命じることも可能。少なくとも現状は「政権VS司法」ではない。

 「連邦規則」とは議会が作る法律の枠内で行政機関が定める規則集であり、日本の省令集に相当する。独立性を確保するため「特別顧問」には別途予算が付くが、当然その額は司法省予算の枠内だ。

 日本では特別検察官を大統領弾劾と絡めて報じるケースが多い。しかし、米国では特別検察官制度と弾劾手続きは連動しない。「特別顧問」が任命されれば直ちに弾劾に進むというわけではないのだ。

 以上を踏まえて現時点での筆者の見立てを書こう。

●トランプ政権に「終わりの始まり」が到来しつつある。9日の連邦捜査局(FBI)長官更迭はその始まりかもしれない。

●米国の「法の支配」原則を過小評価すべきではない。大統領ですら法の下にあるというのが米内政の大前提だ。

●米国型インベスティガティブ・ジャーナリズム(調査報道)は軽視できない。報道機関の逆襲は今後も続く。

●米国で「隠蔽(いんぺい)は不可能」というウォーターゲート事件以来の教訓に例外はない。


 今回の「特別顧問」はFBI長官を12年務め、政治的圧力に屈しないことでも有名な賢人だ。独立性は低くても、きっちり仕事をするだろう。今後ロシアゲートをめぐり、トランプ政権と司法省、連邦議会、裁判所、メディアとの長い死闘が本格化する。「特別顧問」の役割は米民主主義の成熟度を測る目安ともなるはずだ。米国有権者の健全な判断を大いに期待したい。