メディア掲載 グローバルエコノミー 2017.02.14
トランプ米大統領が環太平洋経済連携協定(TPP)離脱の大統領令に署名した。安倍総理は「自由で公正な貿易の重要性はトランプ氏も認識している」はずだから説得に努めると国会で答弁している。
しかし、そのような説得が通じるような相手ではないことが、まだわからないのだろうか?
安倍総理の答弁の原稿を書いている日本政府の役人に、そのような成算があると信じている人がいるのだろうか?彼らは「TPPが持つ戦略的、経済的意義についても腰を据えて理解を求めて行きたい」とも総理に答弁させている。トランプ氏にTPP離脱を撤回するよう、本気で彼らは安倍総理に交渉させるのだろうか?私には、そんなことはリスクが高すぎて、とてもできない。
トランプ氏は、仮にそのような話に応じたとしても、TPPに参加する代わりに、在留米軍の費用はすべて日本が負担しろとか、日本市場でのアメリカ車のシェアをアメリカ市場での日本車のシェアと同じまで引き上げろとか、とんでもない無理難題を突きつけるだろう。
ビジネスマンであるトランプ氏なら、それくらいのことは当然要求して来るだろう。それが彼の言う〝ディール〟(取引)というものだ。それは日米関係の新たな重しになるだろう。
日本政府は、アメリカ抜きのTPPは意味がないと説明しているようだ。しかし、TPPがなくても日本はアメリカ市場を失わない。今でもTPPは発効していないが、日本は自動車などをアメリカに自由に輸出できる。TPPが発効しないと、日本車をアメリカ市場に輸出できなくなるということはない。
そもそもTPP交渉で、日本はアメリカ市場へのアクセスをどれだけ拡大したのだろうか?
成果はほとんどないのである。アメリカの関税は、すでに低い水準にある。高いと言われていたのは、20%程度の繊維製品の関税だが、これが撤廃されて、どれだけ日本企業にメリットがあるのだろうか?繊維製品の関税撤廃でメリットを受けるのは、ベトナム等であって、日本ではない。政府調達でも州レベルのものは、これまで約束したもの以上はまったく開放しなかった。
TPPで自動車関係の対米市場アクセス交渉は悲惨だった。
自動車の関税は、現行2.5%の乗用車が15年目から2.25%と削減を開始、20年目で1.25%に半減、22年目で0.5%まで削減し、25年目に撤廃する。25%のトラックは、29年間、関税を維持した上で、30年目に撤廃する。25年目とか30年目とか、関税撤廃まで気の遠くなるような長い期間がかかる。
米韓自由貿易協定で、韓国車に対するアメリカの関税は2017年に撤廃される。日本車は長期間ハンディキャップを負いながらアメリカ市場で競争することになってしまった。
日本政府は自動車部品について、米韓自由貿易協定で韓国が勝ち取ったものを上回る87.4%の関税が協定発効後に即時撤廃されると説明した。しかし、アメリカに対して日本が自動車で支払っている関税は約1千億円、即時撤廃される自動車部品の関税は200億円に過ぎない。このような成果しか達成できなかったのは、日本が農産物の関税撤廃に応じなかったからである。
つまり、TPPは、日本企業のアメリカ市場へのアクセス拡大にほとんど貢献しない。TPPがなくても、日本企業はいままで通りアメリカに輸出できる。TPPでアクセスが拡大したのは、これまで相当程度解放されてきたアメリカ市場ではなく、高い関税で保護されてきたアジア途上国の市場である。
経済の実態に疎い政府の担当者と異なり、実際に商業活動を行っている事業者は、TPPのメリットをアジア市場の開放だととらえている。
これは工業製品の関税撤廃だけに限られない。貿易円滑化の一環として、急ぎの貨物の場合、通関開始後6時間以内に受け取り可能となる規定がTPPで設けられた。これはアジア・太平洋地域の物流ネットワークの構築に大きく貢献する。アメリカの力をうまく利用しながら、日本単独ではできない高いレベルの貿易・投資のルールを作ることができた。
日本にとっては、これがTPPの成果なのだ。
他方で、アメリカ、カナダ、豪州、ニュージーランドなどの農産物輸出国にとって、TPP交渉による日本の農産物関税の削減・撤廃は、大きなメリットである。
カナダ、豪州などにとって、アメリカがTPPから抜ければ、日本市場にアメリカよりも有利な条件でアクセスできる。牛肉はアメリカが38.5%の関税を払わなければならないのに、カナダ、豪州は9%の関税を払うだけでよい。小麦もアメリカの半分の課徴金で日本に輸出できる。これらの国にとっては、アメリカ抜きのTPPの方が好ましいのである。日本がアメリカ抜きのTPPを提案すれば、かれらは必ず参加する。
アメリカ農産物は、日本市場から駆逐される。日本市場を失ったアメリカの雇用は失われる。口先だけで「自由で公正な貿易の重要性」を説いても、トランプは聞く耳を持たない。トランプ氏を翻意させる最も効果的な手段は、アメリカ抜きのTPPを締結することである。これこそがトランプ氏に日本が突きつけることができる刃である。
日本政府の役人がこれに二の足を踏むのは、TPPの国会承認を求めたのに、アメリカ抜きのTPPの国会承認を求めるとすれば、野党にアメリカ不参加の見通しの甘さを追及されるのではないかという不安である。
しかし、これは役人の保身から来る対応である。日豪、日メキシコ、日ベトナム、日マレーシア等、TPP参加国と結んだ二国間FTAとTPPは併存している。業者は有利な規定を選んで貿易できる。TPPとアメリカ抜きのTPPが併存しても何らおかしいものではない。
保身よりも国益を重視した対応を行うべきである。