メディア掲載  外交・安全保障  2017.02.08

トランプ大統領に大戦略はあるか

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年2月2日)に掲載

 大統領就任式からの1週間、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)離脱表明から国境の壁建設、イスラム系を含む移民難民入国制限まで、トランプ氏は矢継ぎ早に大統領令を発出した。一方、米国民の新政権評価は真っ二つに割れた。新政権が選挙モードから統治モードへ移行した兆候はいまだ見えない。

 筆者が今回、ワシントンに出張した目的は、そもそもトランプ氏に外交・安全保障についての大戦略があるのか▽仮にあるとすれば、これまでと何か違うのか▽この大戦略実現の戦術は何か、を見極めることだった。

 現時点で筆者が考えている仮説を披露しよう。

 まずは外交・安全保障の大戦略から。ここでも識者の意見は大きく割れた。多数説は「元から何も考えてもいない」「これから徐々に出来上がっていく」といった議論だが、ある民主党系識者は「NPD(自己愛性パーソナリティー障害)」なる米精神医学会の用語を使いトランプ氏の政策は直情的、直感的だと指摘していた。さすがにそこまで言うのは失礼だろう。

 一方、戦略家として日本でも名の通った友人たちはトランプ政権に「大戦略の方針変更」を提唱している。彼らの主張の概要は次の通りだ。


  • 1970年代、米国はソ連に対抗すべく中国を擁護したが、今、状況は完全に逆転した。
  • ロシア、イランは経済が弱く西側の戦略的縦深も深いので、脅威の程度は限定的だ。
  • 一方、戦略的縦深の浅い東アジアでは、経済の強大な中国の脅威は今後も永続する。
  • 地政学上、同時に2つの敵国を持つべきでなく、今、米国は国力を中国に集中すべきだ。

  •  これに対して、欧州・ロシアの専門家を中心に有力な反論がある。クリミア併合に端を発した対露経済制裁を解除することは、NATO(北大西洋条約機構)の結束を乱し、EU(欧州連合)を弱体化するだけでなく、中東が不安定化するというのだ。

     この論争が決着することは当面なさそうだが、今のワシントンには一つだけコンセンサスがある。それは1945年以降、世界各地で作られ維持されてきたシステムが今、音もなく崩壊し始めているのではないかという疑念だ。ブルッキングス研究所はこれを「自由な世界秩序の黄昏(たそがれ)」と呼んだ。筆者は今回の出張中次のように説いて回った。


  • 冷戦終了後の国際情勢の変化に伴い、1945年から70年代末までに、米国が国際的に関与し支持してきた世界各地のさまざまな組織、枠組み、方式などが変質あるいは存在意義を失いつつある。
  • これは不可逆的な流れであるが、こうした潮流はトランプ氏が作ったのではない。冷戦後の国際国内情勢の変化がトランプ現象を作ったのだ。

  •  この筆者の見立てが正しければ、トランプ氏の対中観は直情的、直感的なものではなく、1972年以降作られた米中・日中・中台関係を安定させるための枠組みが、それを維持してきた国際・国内情勢の変化に伴い、他の「自由な国際秩序」と同様、黄昏を迎えていることを暗示する。

     トランプ氏の対中不信感と親露的傾向はよく知られているが、実はその裏で、「ロシアと戦術的に関係改善してでも、中国と戦略的に対抗する」という1972年以来の米外交安保「大戦略」の変更を無意識のうちに志向しているのか。

     現時点でトランプ大戦略の詳細は不明であり、外交・安保政策の戦術的方針や陣容だけが徐々に明らかになりつつあるだけだ。トランプ氏の性格もあり、戦術面では混乱が続くだろうが、問題は大戦略の変化だ。トランプ氏に戦略がないと誰が断言できよう。過小評価は禁物である。