メディア掲載  外交・安全保障  2016.12.12

トランプ外交を乗っ取る人々

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2016年12月8日)に掲載

 またまたトランプ氏がやってくれた。今度は台湾の蔡英文総統と直接電話会談したというのだ。思わずテレビの前でのけ反り、思考が数分間停止した。何が起きたのか、にわかには理解できなかった。米国大統領や次期大統領が台湾トップと言葉を交わすのは1979年以来。無論、偶然ではない。事前の周到な準備なしには絶対に実現しない。大統領就任前の非公式接触とはいえ、米中国交正常化以来最大の外交的サプライズだ。この事件の衝撃は3つある。

 第1は、米中関係への衝撃だ。中国側のショックは想像に難くない。王毅外相はこの電話会談が「台湾側の小細工」であって、「国際社会に既に根付いた枠組み」は不変であり、米国の「1つの中国」政策が変わるとは思わない、と述べたが、その表情は怒りと焦燥感に満ちていた。そりゃ、そうだろう。トランプ氏の言動は、中国側が理解する1972年以来の米政府の立場を逸脱しかねないものだからだ。同年のいわゆる「上海コミュニケ」第12項で米国はこう述べている。

  • 米側は、台湾海峡の両側の全ての中国人が、中国は1つだけであり、台湾は中国の一部と主張していることを認識する
  • 米側はそうした立場に挑戦しない

 中国は米国が「1つの中国」を認めたと主張するが、よく読んでほしい。米側は中国の立場に「同意」とも、「承認」とも言っていない。ただ「認識(アクノレッジ)する」、すなわちそうした中国側主張が「存在することは認める」と言っているにすぎない。その意味ではトランプ氏の言動も上海コミュニケ違反とはならない。ちなみに日中共同声明でも日本政府は中国の立場を「十分理解し、尊重」するとしか述べていない。これも米国と似た立場なのだろう。

 第2は、日米同盟への衝撃だ。1969年の佐藤・ニクソン共同声明には、「総理大臣は台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとってきわめて重要な要素であると述べた」とある。今回の電話会談は、この部分が今も実質的意味を持ち得ることを示した点で衝撃的だ。米国の対台湾関係強化自体は歓迎すべきだが、中国側がその動きを誤解・誤算すれば緊張は一気に高まる。台湾問題は中国「核心的利益」の1丁目1番地だからだ。その意味でも今回のトランプ・蔡電話会談は危ういものだった。トランプ氏とその側近は猛省すべきだ。

 最後は、国際情勢全般への衝撃である。どうやらトランプ氏は外交安保問題に深い関心を持たず、その「知的空白」を特定のグループが埋めつつあるように見える。前回書いた通り、バランス感覚のある経験豊かな共和党系の外交安保専門家の多くが選挙中にトランプ候補を忌避する書簡に署名した。彼らが新政権の中枢に入る可能性は低い。彼らに代わってトランプ政権の外交安保政策を仕切るのは一体誰なのか。問題はそこだ。

 筆者は「ネオコン」というレッテル貼りを好まない。彼らの多くはレーガン大統領の下で政権入りした元急進リベラル系であり、ネオ(新)でもコン(保守)でもないからだ。彼らは米国の価値と政治制度を米国の力で世界に広めるべし、それに反対する者は力で排除すべしと主張する。彼らこそが9・11以降、テロとの闘いを主導し、現在の中東の混乱を引き起こした張本人との批判は根強い。

 筆者の懸念は彼らがトランプ氏の「外交安保政策の空白」を埋める形で再び急進強硬派的外交を進める可能性だ。彼らの矛先は中東のイスラム過激派だけでなくアジアの中国、北朝鮮にも向かいつつあるのか。こうした動きが東アジアを不安定化させる可能性はないか。トランプ外交は引き続き要注意である。