メディア掲載  グローバルエコノミー  2016.12.01

アメリカ抜きのTPPを実現しよう

WEBRONZA に掲載(2016年11月17日付)
メキシコやペルー、オーストラリアから新たな提案

 トランプが大統領選に勝利したことで、TPP(環太平洋経済連携協定)が発効する可能性はほぼ消滅した。日本政府はトランプを説得するようだが、日本政府の説得に応じるようだと、トランプは選挙で投票してくれた多くのアメリカ国民の支持を失ってしまう。

 他のTPP参加国の反応は、日本とは異なる。TPPからのアメリカの撤退が明らかになった段階で、新しい動きが出てきた。

 報道によると、メキシコのグアハルド経済相は10日、米国を除く11カ国で協定が発効できるように条項見直しを提案すると表明した。

 ペルーのクチンスキ大統領は11日、一部メディアに「米国を外した新たな環太平洋での経済連携協定を構築すべきだ」と表明した。中国やロシアなどを加える案にまで言及したと言う。

 オーストラリアのビショップ外相は「TPPが進展しなければ、その空白は中国が主導する東アジア地域包括的経済連携(RCEP)に埋められるだろう」と述べている。



アメリカ抜きのTPPというコンセプト

 実は、このアメリカ抜きのTPPという考えは私が9月13日のwebronza「愚かなアメリカが沈めるTPP」で述べていたことである。

http://webronza.asahi.com/business/articles/2016091100001.html

 ここで私は次のように述べている。

 「アメリカ抜きの新TPP協定を結ぶのである。EUから離脱したイギリスに声をかけるのもよい。いずれアジア太平洋の孤児となったアメリカが、新TPP協定への加入申請をするかもしれない」

 「この場合、新規加入申請国はすでに加盟している国に要求はできない。既加盟国の要求を飲まされるだけの交渉となる。豪州は新薬のデータ保護期間を5年とするようアメリカに要求するだろうし、自動車の関税撤廃に25年も要するという合意をTPP交渉で飲まされた我が国は自動車関税の即時撤廃を要求すればよい。
 アメリカにとってこれまで経験したことのないみじめな交渉となる。そのときアメリカはやっと自らの愚かさに気づくに違いない」



反響を呼んだWEBRONZAの原稿

 この記事は英語に翻訳されたこともあり、かなりの反響があった。

 通商交渉に長年携わってきた元日本政府高官は、この記事を著名な英字新聞に寄稿してはどうかと私に提案してくれたし、ある主要紙の編集委員の方からは、日本政府の現高官にこの趣旨を話したら、大変興味を示したと連絡があった。

 TPPを推進してきた幾人かの開明的な国会議員の方からは、「それで行こう。山下さん。」と言われた。かつて敵側のアメリカ通商代表部で働いた交渉官も、これぐらいのことを言わないとアメリカは眼を覚まさないと評価した。



新TPP協定は現在のTPP協定とは別ものになる

 よりくわしい説明を加えよう。

 メキシコ経済相の修正とは、参加国のGDPの85%を占める6カ国以上が批准しないと発行しないという規定がTPP最終章にあるので、それを削除・修正したうえで、アメリカ以外のTPP参加11カ国で新TPP協定を結びなおすというのである。

 それだけではない。アメリカの利益を反映した条項は削除するか修正すればよい。

 例えば、ISDS条項、新薬のデータ保護期間、食品の安全などに関するアメリカ寄りの規定などである。市場アクセスでも、米について認めた7万トンのアメリカ特別枠は削除される。アメリカは加盟国ではないので当然である。

 また、将来アメリカが加入を要請して来る時も、上記の記事に書いたように、このアメリカ枠を認める必要はない。法的には、新TPP協定は、現在のTPP協定とは別個の協定となる。



日本も反対する理由はないのではないか

 日本国内的には、アメリカをはずすので、民進党など野党が反対する理由は、ほとんどなくなる。

 農業について、アメリカに認めた追加的な枠は消滅する。農産物関税の削減・撤廃もアメリカには適用されない。ISDS条項を使ってアメリカ企業に日本政府が訴えられ、医療や食品の安全等の規制が修正されるという主張は、根拠を失う。

 TPP反対論はほとんどが〝アメリカ怖(こわ)い病〟だった。新TPP協定は異論なく、全会一致で国会承認されるだろう。

 国際的にはどうなるだろうか?

 まず、TPPも新TPPもない状態を考えてみよう。

 オーストラリア外相の「TPPがなければRCEP(ASEAN諸国に日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランドの6カ国が加わった協定で現在交渉中)が埋めるだろう」というのは、アメリカに対する単なる脅しにすぎない。

 TPPに日本が参加表明をしたので、アジア太平洋地域から疎外されるのではないかと心配した中国が、それまでのASEAN+日中韓という主張を取り下げ、日本が主張してきたASEAN+6のRCEPを進めることに譲歩したのである。

 TPPも新TPPもなければ、RCEPの交渉は進まない。

 また、仮にRCEPが出来たとしても、中国、インドが参加する協定では、TPPのような高いレベルの規定は実現できない。

 国有企業、貿易と環境、貿易と労働など、TPPで新たに加えられた章だけではなく、サービス、投資、知的財産権、政府調達などの章においても高いレベルの規律は、これらの国には受け入れられない。中国政府にとって、労働者に労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)を法的に保証することは、簡単なことではないだろう。

 EUも、TPPでチーズ、スパゲティ、豚肉などの関税が大きく削減されることになったから、日本市場をアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどに奪われるのではないかと心配して、日・EU経済連携協定交渉に前向きになったのである。TPPも新TPPもなければ、日・EU経済連携協定も進まない。



新TPP協定ができると、アメリカは日本の要求を聞かざるを得ない

 新TPPができるとどうなるのだろうか?

 まず、これによって影響を受けると中国やEUが心配するので、RCEPも、日・EU経済連携協定の交渉が進展する。

 新TPPで一番影響を受けるのは、アメリカである。

 牛肉については、オーストラリア、ニュージーランドが関税9%で日本市場に輸出できるのに、アメリカは38%の関税を払わないと輸出できない。同じようなことが他の農産物についても起きる。

 アメリカは日本市場を、牛肉についてはオーストラリア等に、豚肉についてはカナダ、デンマーク(日・EU経済連携協定)に、小麦はカナダ、オーストラリアに、乳製品はオーストラリア、ニュージーランド、フランス(日・EU経済連携協定)に、それぞれ奪われてしまう。似たようなことが、他の新TPP加盟国の市場でも起きる。

 アメリカは新TPP協定に加入申請をせざるを得なくなる。

 新TPP加盟国は、アメリカの要請を一切考慮する必要はない。アメリカは新TPP協定の条文をすべてそのまま受け入れなければならない。

 他方で、日本やカナダ、オーストラリアなど新TPP加盟国の要求(日本車への関税即時撤廃など)は受け入れなければならない。これは理不尽な交渉ではない。WTOへの加入交渉で、アメリカ自身が加盟希望国に要求してきたことである。

 これまで高飛車な交渉態度を我々にとって来たアメリカが、我々の要求を聞かざるをえないのである。日本の交渉官なら、一度は、このような交渉をしてみたくはないだろうか? ワクワクするような交渉になろう。



現役の交渉官にアドバイス

 なお、通商交渉の先輩として、現役の交渉官に一言アドバイスしておこう。

 「日本がガットに加入申請した時、日本はイギリスやフランスなどの過大な要求に対応できなかった。このためアメリカは、自国の関税を日本のために引き下げて、これらの国の要求に答えてくれた」

 「関税引き下げを無償で肩代わりしてくれたのである。これで日本はガットに加盟できた。アメリカは同盟国でもある。やり過ぎはよくない。あまり追い詰めないで、ほどほどの所で矛(ほこ)を収めなさい」(文中敬称略)