メディア掲載  グローバルエコノミー  2016.11.30

トランプ氏が世界貿易を破壊する-世界経済は大恐慌直後の1930年代に戻ることになるかもしれない-

WEBRONZA に掲載(2016年11月16日付)
熱のこもった議論が行われた台湾のシンポ

 11月10日、11日に台湾で開催されたTPP(環太平洋経済連携協定)のシンポジウムに招かれ、発表・討議に参加した。9日に台北のホテルに到着したら、テレビでトランプが勝利宣言をしていた。わが目を疑う光景だった。

 このシンポジウムは、台湾がTPPに参加するためには医療や食品の安全性の分野でどのような対応をすればよいのかという狙いを持って、台湾の厚生労働省が各国の専門家を招いて開催したものだった。

 開始の前日にTPPへのアメリカの参加が困難になったというアクシデントが起きてしまった。しかし、いずれ同じような協定が結ばれるだろうから、台湾としてTPPやWTOについて専門家の意見を聴取するべきだという観点にたって、台湾の法学研究者等も交え熱のこもった議論が行われた。

 シンポジウム会議場の内外でも、アメリカはTPPをどうするのだろうかという議論が、参加者の中で交わされた。日本から参加した経済学者の人は、自由貿易は重要なのでアメリカはTPPに参加せざるをえないのではないかという見通しを述べて、アメリカのシンクタンク等の人達からトランプは間違いなくTPPから離脱するという強い反論にあっていた。

 なお、これらのアメリカ人は自由貿易推進派で、トランプ支持者ではない。12日、日本に帰国してテレビや新聞を見ると、日本の経済人の多くも、トランプもビジネスマンなので無茶なことはしないだろうと楽観的なコメントをしていた。



常軌を逸する主張をする人物を当選させたアメリカ国民

 日本のエコノミストや経済人の見方は甘いのである。

 今回の大統領選挙については、共和、民主両党の予備選から興味を持って、フォローしてきた。両党の予備選と本選挙のテレビ討論も見た。いつになく、予備選の時から、経済、中でも貿易に焦点が当たった選挙戦だった。もちろんアピールしたのは自由貿易反対の主張である。論理は単純である。自由貿易でアメリカの雇用が侵されていると言うのである。単純な論理だからこそ、多くの人にアピールした。予備選の前、アメリカ人のほとんどはTPPを知らなかったのに、今では誰でも知っている。

 民主党の予備選では、当初は泡沫候補だったバニー・サンダース上院議員がTPPから撤退すべきだと主張して広範な支持を集め、ヒラリー・クリントンを脅かした。国務長官としてTPPを推進していたはずのクリントンは、TPP反対を表明せざるを得ないところまで追いつめられた。

 予備選の際トランプは、貿易や雇用よりもメキシコ人やイスラム教徒に関する移民問題を取り上げていたようだった。メキシコとの国境に壁を作り、その費用をメキシコに払わせるとか、イスラム教徒の入国は認めないとか、過激な発言が目立った。当時から女性蔑視の発言はあった。

 ところが、クリントンとの本選挙になると、TPPから即時撤退する、アメリカ人の職を奪ったNAFTA(北米自由貿易協定)を再交渉する、日本がネブラスカの牛肉に38%の関税をかけるなら日本車にも38%の関税をかける、為替相場を操作してアメリカへの輸出を増やしている中国には45%の関税をかけるとかの、貿易に関する発言が目立つようになった。

 クリントンにウォール街などの既存勢力(エスタブリシュメント)の代弁者というレッテルを張る。そのうえで、貧しい労働者を苦しめてきたエスタブリシュメントが進めてきた自由貿易に反対するという主張を行い、エスタブリシュメントの言いなりにならないトランプは、大きな変化を起こすのだと呼びかけた。民主党の予備選でバニー・サンダースが採って成功した戦術を採用したのである。

 これらは確かに常軌を逸している主張である。まともな人なら、このような政策を実施できないことはわかるし、しようとはしないに違いない。日本の経済人もそう考えるのだろう。しかし、トランプを選んだのは彼に投票したアメリカ国民であることを忘れてはならない。



貿易に対するアメリカ国民の怒りと反感がいかに強いか

 トランプ陣営のケリーアン・コンウェイ選挙対策本部長は、選挙当日のABCテレビのインタビューに今回貿易と移民問題が大きな争点だったと答えている。

 選挙当日の出口調査では、重視する問題に経済・雇用を上げた人が52%に上った。外交はわずか13%に過ぎない。オハイオ州では、ABCの世論調査で、貿易が雇用を奪っていると考えている人が47%で、雇用を生んでいると考えている人の32%を大きく上回っている。隣のミシガン州では貿易が雇用を奪っていると考えている人が50%となっている。

 前時代的な重厚長大型の産業が多いウィスコンシン、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニアはラスト(錆びた)ベルトと呼ばれる地域である。これまでの選挙では、接戦州となったオハイオ州を除き、労働組合の支援を受ける民主党の金城湯池だった。しかし、トランプは、オハイオを40万票の大差で制したほか、ウィスコンシン、ペンシルベニアも制した。大接戦となったミシガンはいまだに票決が確定していない。

 票を獲得しようとすると、どの階層にも嫌われたくないと言う心情が働く。しかも、前回の大統領選挙では共和党ロムニー候補の敗因の一位として、ヒスパニック(スペイン語系)の票を獲得できなかったことが挙げられ、共和党が今回の大統領選挙で勝つためには、ヒスパニック票をどのようにして獲得するかが重要だと言われてきた。

 トランプはそれを無視して、ヒスパニックは麻薬や犯罪を持ち込んでいるとか、不法移民を追い返すなどの発言を繰り返してきた。また、女性に対してもスキャンダルを暴かれたり、蔑視するような発言を行ったりした。にもかかわらず、多くの票を集めて当選した。相手が女性候補なのに、女性有権者の4割以上がトランプに投票した。

 貿易に対するアメリカ国民の反感がどのくらい強いかがわかるだろう。

 自由貿易でアメリカの雇用が侵されるという主張は昔からあった主張である。しかし、これまでは、この主張が大統領選の争点になることはなかった。それが、今回はトランプを大統領に押し上げた。

 これまでの政治からは忘れられていた、経済成長の恩恵を受けない多数の人たちの不満が、大きなマグマとしてたまっていた。明らかに事情が変化していたのに、メディアも職業政治家も気がつかなかった。政治の素人であるトランプはそれを噴火させたのである。



日本の政府関係者が説得しても無駄だろう

 トランプは、このアメリカ国民の要求を無視できない。大統領選挙に勝つためのレトリックだということでは済まされない。日本の政府関係者がトランプ政権を説得しようとしても、無駄である。

 アメリカは当然TPPから撤退する。それだけではない。WTO参加国は品目別にこれ以上は上げないという関税を約束している。しかも、どのWTO参加国に対しても、差別することなく同じ関税をかけることはWTOの最重要原則(最恵国待遇の原則という)である。中国に対して一律45%の関税をかけると言うのであれば、アメリカはWTOからも撤退せざるを得ないことになる。

 しかも、恐ろしいことに、アメリカ憲法上、条約からの撤退は、大統領の権限だけでこれが可能だと言われている。トランプの一存でできる。

 世界経済は、大恐慌直後の1930年アメリカがスム―ト・ホーレイ法を制定して関税を大幅に引き上げ、経済をさらに悪化させた時代に戻ることになるかもしれない。(文中敬称略)