メディア掲載  グローバルエコノミー  2016.09.28

愚かなアメリカが沈めるTPP

WEBRONZA に掲載(2016年9月13日付)
承認が困難視されるTPP

 環太平洋経済連携協定(TPP)のアメリカ議会承認が相当困難な状況となってきた。アジアを訪問したオバマ大統領は議会承認について楽観的な見通しを述べたが、アメリカでこれを額面通りに受け取る人はほとんどいない。

 今回の大統領選挙ほど通商問題が問題にされた選挙はない。1年ほど前まではアメリカ人のほとんどがTPPという言葉自体を知らなかったのに、今では誰もが知っている。

 TPPにバッテンを付けたプラカードが民主党大会で踊った。外国の不正な貿易によってアメリカの職が奪われているという主張が、トランプやサンダースによって強硬に行われ、国務長官時代は熱心にTPPを推進していたはずのクリントンも「今も、選挙後も、大統領になってからも、TPPに反対する」と言明するようになった。

 トランプ、クリントンのどちらが大統領になっても、大統領がTPP協定の承認を求めて同協定と関連法案を議会に送付することは考えられない。


レイムダック・セッションも容易ではない

 したがって、大統領選挙が終わって次の大統領や議員が職に就くまでの間のレイムダック・セッションの限られた期間にオバマ大統領が議会承認を獲得するしかない。しかし、これも容易ではない。

 上院の院内総務のマッコウネルは、たばこ規制がISDS条項(投資家が投資先の国を国際仲裁裁判所に訴えられるという規定)の対象から外されたこと、TPP協定承認を担当する上院財政委員会のハッチ委員長は、医薬品業界の新薬のデータ保護期間がアメリカ法が定める12年ではなく8年となったこと、下院議長のライアンは、これらの問題に加えて出身州のウィスコンシンの酪農業界の市場が十分に開かれなかったことを不満としている。

 これら議会承認のカギを握っている有力共和党議員はTPPの再交渉を求めている。

 ライアンはTPP協定承認に十分な票数が獲得できないとしてレイムダック・セッション中の採決には応じないと宣言している。レイムダック・セッションは選挙で敗れた元議員もいるので、賛成票が集まりやすいと思われるかもしれない。

 しかし、そもそも大統領に通商権限を与えた2015年のTPA法案は賛成218、反対208という際どい表決だった。5人が反対に回ると賛否同数になってしまう。

 大統領選挙と合わせて上院の3分の1、下院のすべての議席についての選挙が実施される。ここでの選挙も大統領選挙と同様、共和党、民主党のそれぞれの候補が、互いに反TPP、反自由貿易を競っている状況である。TPA法案に賛成した多くの議員がTPP反対を鮮明にしている。ライアンが主張するように、レイムダック・セッションでも賛成票は期待できない状況である。


新大統領や新議会は再交渉を求めるか

 もし、トランプが大統領選に、上院で反自由貿易の民主党が勝利すれば、TPPだけではなく自由貿易が死んでしまう。そうなるとレイムダック(死に体)となった自由貿易推進派の共和党が思い直してレイムダック・セッションでTPPを承認しようとするかもしれない。しかし、可能性としてはかなり低い。

 日本の国会がTPPを承認してもアメリカ議会に何らの影響も与えないだろう。外国の意見を気にする人たちではないからである。

 では、新大統領や新議会がTPPの再交渉を求めてくるだろうか?

 クリントンや民主党議員は、日本や中国などが通貨を操作して安い商品を輸出しているという点にTPPが対処していないと主張している。しかし、アメリカ財務省を含め各国とも、通貨の変動は金融緩和などのマクロ政策によるものであり、通商協定であるTPPで手足を縛られたくないという点で一致している。共和党は反対するだろう。また、新薬のデータ保護期間は医薬品業界擁護の共和党の主張だが、それが長くなるとジェネリック薬品を使えなくなるので、労働者等を代表する民主党は反対である。

 上院が民主党、下院が共和党、それぞれが多数を取るのではないかという予想だが、そうなるとTPPの再交渉を求めるイッシュ―について上下両院の合意は困難となろう。

 日本などの他のTPP参加国はどうだろうか?

 交渉は多くのイッシュ―間の妥協の上に立ったものである。アメリカがあるイッシュ―について再交渉を求めると、他の国は別のイッシュ―について再交渉を求めるだろう。仮に再合意が成立してもアメリカ議会が納得するという保証は全くない。終わりなき再交渉となってしまう。そもそも、新薬のデータ保護期間について豪州は絶対再交渉に応じないだろう。

 他のTPP参加国は再交渉に応じないし、TPPがアメリカ議会の承認が得られず、不成立になったのちに、アメリカがまったく別の通商交渉を行おうとしても、これに応じないだろう。

 アメリカ議会がTPPを承認しなければ、アジア太平洋のいかなる国も今後アメリカと通商交渉をしようとしなくなるだろう。努力してアメリカの無理難題を聞いてやっても、アメリカ議会に拒否される可能性があるからである。

 それは通商・経済問題だけでなく、安全保障面も含めてアジア太平洋地域におけるアメリカのプレゼンスの低下につながるだろう。アメリカはアジア太平洋地域にリバランスをしようとしてアジア太平洋地域を失ったのである。イソップ物語の"よくばり犬"を思い出す。


日本はどうすべきか

 では、我々はどうすべきか?

 アメリカ抜きの新TPP協定を結ぶのである。EUから離脱したイギリスに声をかけるのもよい。いずれアジア太平洋の孤児となったアメリカが、新TPP協定への加入申請をするかもしれない。

 この場合、新規加入申請国はすでに加盟している国に要求はできない。既加盟国の要求を飲まされるだけの交渉となる。豪州は新薬のデータ保護期間を5年とするようアメリカに要求するだろうし、自動車の関税撤廃に25年も要するという合意をTPP交渉で飲まされた我が国は自動車関税の即時撤廃を要求すればよい。

 アメリカにとってこれまで経験したことのないみじめな交渉となる。そのときアメリカはやっと自らの愚かさに気づくに違いない。