メディア掲載  外交・安全保障  2016.08.19

世界で増殖する「破壊願望」

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2016年8月4日)に掲載

 7月26日に相模原市で起きた大量殺人事件の一報は米CNNで知った。ついに日本でも「イスラム過激派テロ発生か」と身構えたが、狙われたのは障害者施設だった。改めて悲惨で痛ましく卑劣極まりない犯行の犠牲となった方々に心から哀悼の意を表する。

 あの「安全な日本」でも「障害者」を狙った凄惨(せいさん)な事件が発生するのか。欧米メディアが注目したのはこの点だが、日本では人間の尊厳と障害者差別、緊急措置入院の是非(ぜひ)、ヘイトクライムなどの問題が連日論じられている。こうした議論は専門家に任せたい。今回筆者が注目したのは某日刊紙社説が書いた「穏やかな人柄とみられた若者が一転、犯行に走った背景」である。

 最近欧米では大量殺人テロ事件が続発している。その多くは、世俗主義的で素行も悪かった若者が、犯行前の数カ月間に「急速に過激化」して起きたと報じられた。これって、どこか相模原事件に似てはいないか。同事件の犯人の動機は今も捜査中だ。犯罪学や精神医学など門外漢の筆者が軽はずみな発言を慎むべきことは承知の上である。

 筆者が気になるのは「世界各地で起きている若者による過激な大量殺人の真の原因は、宗教や貧困よりも、もっと別の要素かもしれない」という仮説だ。というわけで、今回のテーマは「破壊願望」、英語では「デストルドー」などと呼ばれる、一連の衝動・欲動である。

 最近、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)はテロ事件の多くに犯行声明を出しているが、これを額面通り受け止めるのは危険だ。犯人たちがイスラム教徒であることは事実だが、多くは移民二世で、豚肉を食し、大酒を飲み、家庭内暴力を繰り返し、享楽的生活にふけった犯罪者予備軍である。

 彼らがイスラム教の下で過激化したのは比較的最近のことだ。「イスラム過激主義」については朝日新聞の国末憲人氏が興味深いインタビュー記事を2回書いている。パリ政治学院の教授によれば、ISはこの種の若者を新たな手法で洗脳しつつあり、イスラム過激派によるテロは「第三世代」に入ったという。一方、欧州大学院大学教授は、この種のテロは若者の「親世代への反抗」であって、宗教的要素は薄いと言う。どちらが正しいのか。

 誤解を恐れずに書こう。相模原事件も一種の大量殺人テロではないか。もし犯人がイスラム教徒だったら、メディアは「イスラム過激テロ、障害者を狙う」と報じたかもしれない。そう考えると、今回の事件は日本特有のヘイト犯罪というより、むしろ現代社会が直面する共通の現象の一局面かもしれない。

 筆者の仮説はこうだ。今世界では「グローバル化」の名の下に国内は勿論(もちろん)のこと、国家間、地域間で格差が拡大し、若者の疎外感も増大している。イラン革命とソ連アフガン侵攻以降、「イスラムが過激化」したことは否定しない。だが、最近欧米で起きているISを名乗る大量殺人の動機は、宗教的信念でも、貧困に対する不満でもない。真の原因は社会で疎外された若者が抱く一種の「破壊願望」ではないのか。

 有名な精神分析学者フロイトはこうしたゆがんだ衝動を「死の欲動」と呼んだ。一連のテロ事件の背景に若者の「破壊願望」があるとすれば、テロの真の原因は「イスラムの過激化」ではなく、むしろ土着の「過激主義が宗教化」した結果なのかもしれないのだ。

 そうであれば、欧米のイスラム過激テロや日本の大量殺人事件などは、世界各地でこの種の「破壊願望」が今も増殖中であることを暗示している。これも筆者のいう「ダークサイド」の一局面なのだろうか。「ダークサイドの覚醒」は今日本でも確実に起きている。相模原事件の闇は想像以上に深いのだ。