メディア掲載  外交・安全保障  2016.06.30

英国の選択は理性か感性か

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2016年6月23日)に掲載

 6月23日は欧州の将来を左右する日となるのか。本日英国でEU離脱を問う国民投票が行われる。結果次第ではEUは勿論のこと、世界の経済・政治が変わり得る。英国の友人は「質問がEU離脱の是非なら答えは理性的なノーだが、質問が今の生活やEUのあり方に不満か否かならば、答えは感情的なイエスだろう」と言い切った。今回は英国の選択の意味を考えたい。

 まずは歴史的経緯から。EUの前身EEC(欧州経済共同体)の設立は1957年。東西冷戦中に米ソの狭間(はざま)で埋没することを恐れた欧州エリートの知恵だった。当初懐疑的だった英国は方針変更し、60年代に何度か加盟を申請したが、当時は英の裏に米国の影を見たフランスが拒否権を行使した。英国加盟が実現したのは73年。2年後には英国で国民投票が実施され、3分の2が加盟に賛成した。あれから半世紀弱、時代は大きく変わったのだ。

 離脱派の主張は勇ましい。

●EUは非民主的組織だ

●加盟国の主権を制限する

●英国に不法移民が流入する

●英公共サービスが低下する

●EU分担金は高過ぎる

●貿易ルールが不公平だ

●EUの各種規制は不必要だ

●EU官僚組織は非効率だ

 要はEUが大陸中心の欧州統一の仕掛けであり、英国の主権と独立は無視されるという主張だ。離脱派の急先鋒(せんぽう)・元ロンドン市長は、「ナポレオンやヒトラーが試みた如(ごと)くEUは超国家を望むが、それは悲劇的な結果を生むだろう」と述べた。英国は欧州大陸の指示など受けないという強烈な民族主義的感性だ。

 これに対し、残留派の気勢はあまり上がっていない。

●国際組織である以上、一定の制約があるのは当然だ

●EU加盟はそうした短所を超える政治経済的利益がある

●英国経済は繁栄を続ける

●英国の国際的影響力は続く

●英の安全保障は確保される

●雇用と対英投資は増える

●対英企業のリスクは減る

 いずれも正論だ。完全離脱すればEU各国と夥(おびただ)しい数の貿易・投資協定などを締結し直す必要がある。ロンドン金融街は地方市場となり、進出外国企業は英国を去るかもしれない。問題は本日、このような理性的な判断を英国の有権者が下すか否かである。

 冒頭の友人の言葉で気になったのが国民投票の投票用紙だ。質問次第で答えが変わるなら、質問の具体的内容は何だろう。調べてみたら、確かに質問は「EU離脱にイエスかノーか」ではなかった。ちなみに今回国民投票は2015年に制定された「EU国民投票法」に基づき実施され、詳細は選挙管理委員会が決める。「英国のEUメンバーシップに関する国民投票」と題された用紙は「EU加盟を継続する」または「EUを離脱する」の2択式だ。委員会は質問を「明快・直截(ちょくせつ)で最も中立的な文言」とすべく決めたという。なるほど、これなら有権者をミスリードしない。

 その英国で16日に悲劇が起きた。残留派の女性下院議員が極右思想の影響を受けたと思われる男性に無残にも殺害されたのだ。それまで離脱派と残留派は拮抗(きっこう)していたが、事件後は両派ともキャンペーンを一時自粛した。この事件で、英国民がより理性的になるか、それとも感情的になるかは読み切れない。

 日本ではポンド危機など国民投票の経済や株式市場への影響に関するコメントが目立つが、英国のEU離脱の悪影響は経済面に限られない。離脱賛成が過半数を占めるということは、英国有権者が抱く反EUの民族主義的感性が、加盟維持という国際主義的理性を凌駕(りょうが)したということ。すなわち、あの英国でも(あの英国だからこそ、かもしれないが)、大衆迎合主義的ナショナリズムが本格的に始まったことを意味する。政治統合という欧州の夢が分岐点に差し掛かっていることだけは間違いなさそうだ。