メディア掲載  外交・安全保障  2016.04.19

ジャーナリズムの本質とは

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2016年4月14日)に掲載

 4月最初の週末、パナマで巨大爆弾が炸裂した。タックスヘイブン(租税回避地)で有名な同国の大手法律事務所から膨大な顧客情報が漏洩したのだ。流出した資料は1100万件以上で、数十万人分、過去40年分もあるという。この種の取引自体は合法だが、資金洗浄、汚職、脱税など犯罪が絡めば、当然各国の司法当局は動き出す。犠牲者の大半は世界の大富豪と犯罪人だろうが、所詮筆者には縁のない話。今の関心は、今後誰が逮捕されるかよりも、誰がこの事件を本格的に報じたかにある。

 その団体は米国ワシントンに本部を置くICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)、膨大な情報を匿名で入手し、80カ国の100以上の報道機関のジャーナリスト400人余とともに1年間資料を分析したという。さすがはICIJだ、名称に「調査報道」を掲げたのもだてではない。今回はこのパナマ文書事件でジャーナリズムの本質を改めて深く考えさせられた。

 きっかけは最近テレビ報道ニュース番組のアンカーが相次いで降板したことに関する朝日新聞の記事だ。あるニュースキャスターが、ジャーナリズムの最大の役割は「権力を監視する番犬『ウオッチドッグ』であること」だと述べていたことに強い違和感を抱いたのだ。

 一方、同じ新聞の別の記事では著名なジャーナリストが、報道機関の任務は「この世で起きている重要事実を漏れなく伝える」のと同時に、「ニュースの意味付けを与え、その価値付けを与える」ことだと述べていた。こちらの方が筆者の感覚に近いのだが、在京の外国特派員にも話を聞いてみた。

 筆者の質問に対し記者たちの意見は割れた。「権力の監視」説は少数派で、多くは「事実を可能な限り客観的に伝えること」だった。要するにジャーナリズムの任務は、相手が権力であれ、非権力であれ、自らが事実だと信ずることを人々に伝えることが第一であり、「権力の監視」はその結果でしかないということだろう。

 それにしても、自ら独自に調査した事実に基づき報道する「インベスティガティブ・ジャーナリズム」の伝統を受け継ぐ欧米の記者の言葉には説得力がある。口を開けば「反権力」を唱える日本の一部報道関係者とは大違いだが、それでも下には下がある。その典型がパナマ文書に関する中国メディアの扱いである。今回の情報漏洩でまず名前が出たのは、ロシアのプーチン大統領の側近、イギリスのキャメロン首相の父親、ブラジルの政治家、パキスタン首相の親族、FIFA(国際サッカー連盟)の倫理委員会関係者などだった。そんなはずはないと思ったら、案の定、中国の政治指導者の名前も多数出てきた。

 報じられただけでも、習近平国家主席の姉の夫、劉雲山政治局常務委員の嫁、張高麗常務委員の娘婿、李鵬元国務院総理の娘、曽慶紅元国家副主席の弟、賈慶林元常務委員の孫娘、薄煕来元政治局委員の妻、胡耀邦元総書記の三男など枚挙にいとまがない。さらに驚くのは、このパナマ文書に関する国内報道が皆無であるばかりか、それを報じるNHK、CNN放送までもが見事に遮断された。これだけ消したいということはよほど都合が悪いのだろうか。こうした報道管制が続く限り、中国で真のジャーナリズムを育てるのは至難の業である。

 調査報道を基本に事実を伝えようとするジャーナリズムと、公正中立ではなく反権力を信条とするジャーナリズムに、大本営発表しか報道できない中で苦しむジャーナリズム。欧米と日中の溝は予想以上に深い。パナマ文書スキャンダルで逃げ遅れる人は不幸かもしれないが、真のジャーナリズムを持てない国の市民はさらに不幸である。