メディア掲載  グローバルエコノミー  2016.04.15

TPPを活用した日本の農業戦略

「りそなーれ」(2016年4月号掲載)

 地方創生のためにも少子高齢化対策が叫ばれている。しかし、いくら対策を講じても効果が上がるとは思えない。ところが、日本の人口は減少するが、世界の人口は増加する。世界の市場に通用するような財やサービスを提供できれば、国内の人口減少を問題にしなくてもよい。最善の人口減少対策はグローバル化である。

 農業はその典型例である。いくら関税で国内市場を守っても、高齢化と人口減少で胃袋は縮小する。国内で籠城したくないなら、海外に打って出るしかない。そのとき、輸出先の国の関税が高ければ輸出できない。輸出しようとするなら、相手国の関税を引き下げるTPP(環太平洋経済連携協定)などの自由貿易協定交渉に積極的に参加するしかない。農業が生き残るためにも自由貿易が必要なのである。

 その輸出の現状はどうだろうか。2015年(平成27年)における農林水産物・食品の輸出が前年を21%上回る7,452億円となり、3年連続で過去最高を更新した。しかし、これは農産物輸出政策が成功したというよりも、円安で価格競争力が向上したことによるところが大きい。しかも、このうち国産農産物やその加工品は1,000億円を上回る程度で、8.4兆円の国内農業生産額や6.6兆円の農産物輸入額から比べると、微々たる額だ。農産物輸出の多くが、アメリカやオーストラリア等から輸入した小麦、砂糖、大豆など輸入農産物原料を使った加工品(例えば、即席めん)である。輸出を振興するためには、海外で日本農産物の展示会を単発的に行うといった小手先の対策ではなく、日本農業の本質的な部分を変革していかなければならない。



高品質米を栽培する日本農業のポテンシャル

 日本農業は規模が小さく、アメリカやオーストラリアと競争できないという主張がある。農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、EU6、アメリカ75、オーストラリア1309である。実は、これは日本の農業界が100年以上も言及し続けている主張である。だから、高い関税が必要だというのだ。

 規模が大きいほうがコストは低い。しかし、規模だけが重要ではない。この主張が正しいのであれば、世界最大の農産物輸出国アメリカもオーストラリアの18分の1なので、競争できないことになるはずである。

 この主張は、土地の肥沃度や気候・風土の違いを無視している。オーストラリアの農地面積はわが国の90倍もの4億ヘクタールだが、穀物や野菜などの作物を生産できるのは、わずか5000万ヘクタールにすぎない。それ以外は草しか生えない肥沃度の低いやせた土地で、牛が放牧され、脂肪身の少ない牛肉がハンバーガー用にアメリカに輸出される。これに対して、アメリカ中西部の肥沃なコーン・ベルト地帯では、トウモロコシや大豆が栽培され、これを飼料としてつくられた脂肪身の多い牛肉は、日本などに輸出されている。

 また、小麦がつくられるところでもオーストラリアの農地はやせているので、単位面積当たりの収量はイギリスやフランスの4分の1に過ぎない。さらに重要なのは、品質の違いである。米についても、ジャポニカ米(短粒種)、インディカ米(長粒種)があるほか、同じ品種の米でも品質に差がある。日本米の評価は高い。香港では、同じコシヒカリでも日本産はカリフォルニア産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格となっている。同じ品種でも気候風土によって、品質に違いが出てくるのだ。日本の国内でも同じ様に、コシヒカリでも新潟県魚沼産と一般産地では1.5倍以上の価格差がつく。



農業生産・貿易の特徴から導く、米輸出の可能性

 例えば日本の地方の中で、北海道、東北、関東、九州を挙げ、農業生産額の多い順に並べよというクイズが出たら、ほとんどの人が北海道を1位とするのではないだろうか?ところが正解は、関東、九州、東北、北海道の順。アメリカでも一番生産額の多い州を尋ねると、コーン・ベルト地帯のアイオワを挙げる人が多いだろう。しかし、断トツの首位はカリフォルニアである。

 また、世界最大の農産物輸出国はアメリカだが、農産物輸出国の上位10カ国のほとんど(2014年で7か国)は同じ地域に属している。その地域を当てなさいというと、南北アメリカ、アフリカ、アジアなどと答える人が多い。実は、ヨーロッパなのである。世界第2位の農産物輸出国は、国土の小さいオランダである。土地資源に恵まれていると思われるオーストラリアは15位にすぎない。

 北海道、アイオワ、オーストラリアに共通するのは、小麦、トウモロコシ、大豆など、食品製造業の原料農産物を生産していることである。これらの作物に関しては、土地も広いので他の地域よりも効率がよい生産を行えるが、これら農産物の価値は低い。これに対して、関東、カリフォルニア、オランダの共通点は、野菜、果物、花など価値の高いものを生産していることである。

 牛肉の輸出国として、アメリカ、ブラジル、オーストラリアなどがあるが、最大の牛肉輸入国はどこだろうか?アメリカである。また、世界最大の農産物輸出国はアメリカだが、最大の輸入国はどこかと聞くと、中国と答える人が多い。実は、これもアメリカである。

 世界の農産物貿易の特徴は、日本が自動車(トヨタ、ホンダ、日産等)を輸出して、同じくベンツ、ルノーなどを輸入しているように、同じ農産物を輸出し合っていることである。米についても、アメリカは350万トンの輸出を行いながら、高級長粒種ジャスミン米を中心にタイなどから80万トンの米を輸入している。ワインについても、アメリカの小売店にはカリフォルニア産だけでなく、フランス産、チリ産など世界各国のワインが並んでいる。つまり、同じものでも品質に違いがあれば、双方向で貿易が行われるのである。日本のようにただ農産物を輸入するだけというのは、世界的には極めて異常なのだ。

 このような国際貿易の特徴から、土地の狭い日本でも、品質の良いもの、付加価値の高いものの輸出の可能性は高い。では、そのような国産農産物は何か?和牛が真っ先に挙げられるかもしれない。それよりも、国内の需要を大幅に上回る生産能力を持つため、生産調整(減反)が行われており、それがなければ大量の生産と輸出が可能な作物で、国際市場でも評価の高い作物、米がある。米の輸出を本格化すれば、日本は農業立国として雄飛できるのだ。



防衛的対応で変革のチャンスを失したTPP農業合意

 日本農業が生き残っていくためには、自由貿易を利用していかなければならない。しかし、外国の農産物と競争できないという観念にとらわれている日本の農業界は、農産物の貿易自由化というと防御的な対応しかできない。TPP交渉でも、重要品目について関税撤廃をいかに免れるかが交渉戦略となってしまった。日本政府は、米、麦、主要乳製品、砂糖は関税を維持し、牛肉・豚肉は関税削減にとどめた。

 今回、関税が撤廃される品目の現行関税は、ニンジン、キャベツ各3%、オレンジ16%、リンゴ17%である。この2年間で、為替レートは50%も円安になっている。かつて100円で輸入されたものが、いまは150円で輸入されているのだ。ある産品で49%の関税が撤廃されたとしても、輸入品の価格(150円)は関税込みの2年前の価格(100円+49円=149円)よりも高い。49%以下の関税が撤廃されても、農業に影響はない。これは38.5%の関税が9%に削減される牛肉にも言えることである。豚肉については、業者は高い関税と低い関税が併存している複雑な関税制度をうまく利用し、実際に払っている関税は4.3%にすぎない。ゼロになっても影響はない。米については輸入枠の拡大をしたが、輸入量と同等の国産米を買い上げて備蓄米として処理する。財政負担はかかるが、国内の米需給にはまったく影響はない。TPPは国内農業にほとんど影響を与えないのだ。

 しかし、逆にいうと、日本はTPPをテコにして農業改革を行うチャンスを失った。「関税はカルテルの母」という経済学の言葉がある。関税がなければ、国際価格よりも高い国内価格は維持できない。米の減反は、農家が共同して減産するというカルテルである。これに農家を参加させるため、4000億円の財政負担(減反補助金)を投じている。これで米生産を減少させ、米価を上げ消費者に6000億円の負担をさせている。

 ところが、国内の需要の減少による米価の低下と円安による輸入価格の上昇で、2014年度国産米価はカリフォルニア米の価格を下回った(図表-1)。主食用の無税の輸入枠10万トンは1万2000トンしか輸入されなかった。日本の商社は、日本米をカリフォルニアに輸出しようとしていた。米の関税を撤廃しても競争できると主張する生産者も出てきた。減反を廃止すれば、価格はさらに下がり、米を大量に輸出することが可能になるはずだった・・・。



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本格的な輸出のために欠かせない減反廃止

 TPP交渉で、日本の農産物の関税は相当維持されたが、他国の関税のほとんどは撤廃される。また、動植物の検疫を理由として輸入を制限する行為についても、一定の規律が加えられる。日本酒などのブランド名も保護される。現在よりも輸出がより容易になる。

 国民経済の厚生を最大にするのは、関税なしの自由貿易を採って消費者の負担を軽減し、農業は財政からの直接支払いで保護するという政策である。減反を廃止して需給が均衡する7,500円(60kg当たり)まで米価が下がれば、零細な兼業農家は農地を出してくる。減反廃止で価格が下がっても、財政から直接支払いを行えば、農家は影響を受けない。このとき、主業農家に限って直接支払いをすれば、その地代負担能力が上がって農地は主業農家に集積し、コストが下がる。必要な直接支払い額は、廃止される減反補助金の半分ですむ。

 規模拡大だけでなく、単収(面積当たりの収量)を上げてもコストは下げられる。しかし、減反によって日本米の単収は抑えられ、今では飛行機で種まきしているカリフォルニアのほうが6割も多い(図表-2)。減反廃止でカリフォルニア並みの単収の品種を採用すれば、それだけでコストは1.6分の1に下がる。規模拡大と単収向上で、稲作の平均コストは5~6割低減できる。



(図)各国の単収比較

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 品質について国際的にも高い評価を受けている日本の米が、減反廃止と直接支払いによる生産性向上で価格競争力を持つようになると、世界市場を開拓できる。例えば、日本からの輸出価格が1万2,000円だとすると、商社が7,500円で買い付け輸出に回せば、国内の供給量が減少して価格は1万2,000円まで上昇する。7,500円のときの国内生産量が800万トンだとすると、1万2,000円では1200万トン程度に拡大するだろう。輸出は400万トン以上となり、輸出金額は約8,000億円程度になる。

 しかし、農政は逆の方を向いている。トヨタやキヤノンなどの輸出産業は、よい製品をつくると同時に、1円でも安く売れるよう価格競争力向上に日々努力している。それなのに、農林水産省や農協は巨額の財政負担をしてエサ米の生産を増やし、主食用の米を減少させて米価を上げようとしている。しかし、エサ米の生産が増えれば、まず財政が音を上げるだろう。次に、アメリカからのトウモロコシ輸入が減少するので、アメリカが減反の補助金をWTOに提訴すれば、アメリカは日本車に報復関税をかけることが可能になる。そうなれば、減反が廃止できるかもしれない。

 いまでも米の輸出は増えている。政府が減反政策を廃止しなくても、農家が減反を無視して米生産を増加させ輸出するという道もある。最大の農産物輸出対策は減反の廃止である。