メディア掲載  グローバルエコノミー  2015.12.25

TPPと乳製品対策

『週刊農林』第2268号(12月5日)掲載

なぜバターと脱脂粉乳の関税を維持したのか?

 牛乳は不思議な商品だ。牛乳から水分を除いて、バター、脱脂粉乳を作る。そのバター、脱脂粉乳に水を加えると、元の牛乳に戻る。

 飲用向けやバター、脱脂粉乳向けの用途に応じて生乳価格が異なるために、安い生乳価格でバター、脱脂粉乳を作ったのち、それから牛乳(加工乳)を作ると、安上がりになってしまう。同じように、牛乳は腐りやすいため貿易されないが、安いバター、脱脂粉乳を輸入して牛乳を作れば、事実上牛乳を輸入することが可能となる。つまり、これら乳製品の輸入は、牛乳の国内市場にも影響を与えることになる。

 我が国は、乳製品のうち欧米で最も保護されているチーズを真っ先に自由化した。牛乳とバター・脱脂粉乳の間の特殊な関係がチーズにはないからである。TPP交渉で、チーズの関税については撤廃に応じ、バター・脱脂粉乳については、削減にも応じなかったのは、このためである。


不足払い法(加工原料乳補給金等暫定措置法)の目的

 不足払い法の対象となるのは、バターや脱脂粉乳などに向けられる加工原料乳であり、主として北海道で生産される生乳が対象である。この制度は、都府県の酪農が縮小し、北海道が飲用牛乳(市乳)供給地帯となるまで、北海道酪農を維持・発展させようとする暫定的な措置だった。

 飲用向けと異なり、バターや脱脂粉乳などの乳製品の価格は低いので、これら乳製品向けの加工原料乳に、乳業メーカーが支払える乳代は少ない。規模が大きくコストの低い北海道の生産者でも、その価格では再生産できない。このため、政府が不足払いを乳業メーカーが支払える乳代(基準取引価格)に加算することによって、農家に一定の価格を保証し、北海道の酪農が再生産できるようにしたのである。

 加工原料乳の保証価格は、飲用向け乳価よりも低い。しかし、北海道から都府県へ生乳を移送しようとすると、輸送コストがかかる。したがって、加工原料乳の保証価格に都府県への生乳移送コストを加えた価格までは、都府県の飲用向け乳価が保証されることになった。乳業メーカーも乳製品の赤字補てんのために飲用向け乳価を買いたたくこともなくなった。つまり、この制度は、間接的に飲用向け乳価を保証し、都府県の酪農が安定的に北海道に対する規模を縮小することを目指したものだった。

 この制度の下で、全国の生乳生産量は、1966年の343万トンから順調に拡大し、1995年に866万トンのピークに達したのち、2014年は733万トンとなっている。北海道の生産は、1966年には71万トンに過ぎなかったが、飛躍的に拡大し、2009年に393万トンに達し、2014年は382万トンとなっている。これに対して、都府県の生産は、1966年の272万トンから1990年に512万トンのピークに達したのち、大きく減少し、2014年は351万トンとなっている。不足払い法が当初描いていたように、都府県は縮小し、北海道は拡大した。

 なお、ウルグァイ・ラウンド交渉後、不足払い制度は変更された。政府が決めていた保証価格と基準取引価格を廃止し、不足払い(補給金)額は、毎年の牛乳生産費の変動を反映して、上げ下げすることになった。この結果、加工原料乳の取引価格も、飲用向け乳価と同様、乳業メーカーと酪農団体(指定生乳生産者団体)が交渉して決定することとなった。ただし、加工原料乳の取引価格が、過去3年間の平均価格を下回った時には、生産者の拠出と国の助成金で補てんするという仕組みが作られた。

 不足払いが交付されるのは、加工原料乳だけである。また、加工原料乳については、指定団体と乳業メーカーが取引する価格(基準取引価格)も、政府によって決められていた。飲用牛乳向け価格については、政府は直接関与せずに、指定団体と乳業メーカーの交渉によって、決定される。つまり、不足払い法によって、飲用向けと乳製品向けの用途に応じて価格が異なる用途別乳価が作られた。

 しかし、このような価格付けは一般的ではない。オーストラリアは2000年に用途別乳価を廃止して、飲用向けや乳製品向けにかかわらず、一本の乳価に変更した。日本でも不足払い法以前は統一乳価だった。

 現在では、大きく分けて、飲用牛乳向け、バターや脱脂粉乳等の加工原料乳向け、チーズ向け、生クリーム等向けの用途別に、乳価が設定されている。このうち、不足払いが交付されるのは、加工原料乳向けとチーズ向けである。


生クリーム等向け

 生クリーム等向けが設定されるようになったのは、比較的新しく、1989年以降であり、1993年ごろから本格的に実施されるようになる。1993年は冷夏で、牛乳の消費が落ち込み、加工原料乳仕向けが増加した。これによって、バターと脱脂粉乳の生産が拡大したため、加工原料乳向けを減らし、生クリーム等向けの生乳を増やそうとした。

 もうひとつは、国際対応である。1993年にウルグァイ・ラウンド交渉が妥結し、バターや脱脂粉乳等、それまで輸入数量制限の下で保護されてきた乳製品は、当時の内外価格差を関税に置き換えることによって、関税だけで保護されることになった。これを「関税化」という。関税化された乳製品の関税はいずれ削減、撤廃されるだろうと考えられた。現に、WTO農業協定には、そのような規定が存在している。

 このため、バターや脱脂粉乳から、鮮度が高く、風味があって、輸入品と競合しない、生クリームや脱脂乳という"液状乳製品"に生産をシフトすべきだと考えられた。こうして政府としても、生クリーム等向けの生乳販売を、補助金を交付して積極的に推進するようになった。

 乳業メーカーとしては、飲用向けよりも安い乳価で生クリームを生産し、菓子業界に販売することが可能となった。また、同時に生産される脱脂濃縮乳を、自社のはっ酵乳と乳飲料向けに使用し、高い利益を得ることが可能になった。生クリーム等向けとして安い乳価で買った生乳を飲用牛乳に近い価格の牛乳・乳製品に転用できるという効果があった。

 これは2009年から、飲用牛乳より乳脂肪分を引いた"成分調整牛乳"の増加により、決定的となった。成分調整牛乳の原料は、生クリーム等向け取引で得られた安い牛乳だったからである。抜いた乳脂肪分は別途販売できるというメリットもある。指定団体としては、需要が増加する生クリームに対して、加工原料乳向けよりも高い乳価を要求することができた。生クリーム等向け取引は、指定団体、乳業メーカーともに利益があったのである。

 現在バターが不足しているということは、北海道が加工原料乳地域ではなくなりつつあることを意味している。生クリーム等向けは加工原料乳に匹敵しつつある。加工原料乳が生乳生産の半分以上を占める地域を加工原料乳地域として、不足払い法は保護の対象としてきたが、生クリーム等向けが増加している今日、北海道はもはや加工原料乳地域ではない。つまり、北海道が加工原料乳地域としての性格から脱却するまでの時限的な"暫定措置法"だった不足払い法の目標が達成されつつある、または達成されたといってよい。

 バターや脱脂粉乳の国際競争力がいつまでたっても向上しない現状では、用途別乳価を止めて統一乳価を実現し、加工原料乳の生産を縮小し、飲用向け生乳または飲用牛乳をアジア市場に輸出することを目標とすべきではないだろうか。北海道から都府県に移送するよりも、熊本から中国に輸出する方が近いかもしれない。


TPPに便乗した酪農政策の改変

 ところが、不足払い制度は廃止に向かうどころか、TPP対策の一環として、さらに強化される。生クリーム等向けも不足払い制度の対象にするというのだ。加工原料乳の対象をバターや脱脂粉乳だけではなく、生クリーム等にも拡大しようというのである。生クリーム等向けも加工原料乳に加わるので、加工原料乳地域でなくなった北海道が再び加工原料乳地域となる。

 しかし、生クリーム等は今回自由化されるわけではない。バターや脱脂粉乳の輸入枠が、生乳換算でわずか7万トン増えることを理由にしたものと思われる。"焼け太り"である。154万トンの加工原料乳に加え、136万トンの生クリーム等向け生乳も、不足払いの対象となる。財政支出は増加する。財務省の完敗である。"液状乳製品"に生産をシフトするというのであれば、加工原料乳の不足払いは廃止すべきなのに、財務省は無抵抗である。

 生クリーム等には成分調整牛乳も含まれている。これも不足払いの対象とするのであれば、一部の飲用向け生乳に助成が行われることになってしまう。北海道で成分調整牛乳の生産が拡大すると、都府県の指定団体も生クリーム等向けの生乳を増やすかもしれない。そうなると、生クリーム等向け生乳が増加して、財政負担がますます拡大することになるだろう。

 総じてTPP対策は、ウルグァイ・ラウンド対策と同様、影響がないのに行われる。自民党にとって、来年の参議院選挙を勝ち抜くためにも、農業対策は必要がなくてもやらねばならない。前回は公共事業へのバラマキだったが、今回は畜産へのバラマキである。選挙対策である以上、バラまくのが最も効果的だからである。