メディア掲載  グローバルエコノミー  2015.12.04

TPP国内対策は必要なのか?

『週刊農林』第2267号(11月25日)掲載

なぜ農業を保護するのか?

 農政は高い関税で消費者に高い価格を負担させることで農業を保護してきた。農業界もこれが当たり前のように思ってきた。だから関税を削減・撤廃される被害者は自分たちだと思うのだろう。しかし、これまで長期間高い価格を支払ってきた消費者こそが被害者である。米の減反政策に4千億円の財政負担をしたうえで、これによって米価を上げ消費者に6千億円の負担をさせている。

 農業保護の理由として、多面的機能や食料安全保障が挙げられる。しかし、農業全てが、この役割を果たしているのだろうか。畜産排泄物が適切に処理されなければ、地下水が汚染される。輸入穀物が途絶えるという食料危機の際には、我が国畜産はほぼ壊滅し、食料を供給できない。

 多面的機能や食料安全保障の基本は農地の維持・確保である。しかし、減反政策によって、40年以上も水田を水田として利用しないどころか、水田農地を100万ヘクタールも潰してきた。農政はこれらの機能を損なってきた。

 価格が低下しても、アメリカやEUのように財政で補てんすれば、農家は影響を受けない。高い関税で守っても、国内市場は人口減少で縮小する。減反廃止で価格競争力を持つようになれば、日本の米は世界の市場を開拓できる。国内農地はフルに活用され、農地減少に歯止めがかかる。守るべき国益は食料安全保障や多面的機能であって、関税や減反政策という手段ではない。


ウルグァイ・ラウンド対策の再現

 ウルグァイ・ラウンド交渉で米のミニマム・アクセスを受け入れるに当たり、細川内閣は、国内の需給に影響を与えないという閣議了解を行った。輸入した米と同量の米をエサ米や援助用に処分するので、国内の生産を減少させる必要はないというものだった。農業には影響はないので、国内対策は必要なかった。

 しかし、当時野党だった自民党は、政権復帰後6兆100億円の対策を実現させた。影響がないのに対策が打たれ、農業の合理化を進めるという理屈が、とって付けられた。使い道に困って、自由化とは関係のない温泉ランドが作られた。

 今回もほとんど影響がないのに、攻めの対策を講じるのだと主張される。言葉は違うが、前回と同じだ。農業に影響がないと言ってしまえば、甘利大臣が交渉をよくやったで、終わってしまう。農林族議員の出番はない。自民党にとって、来年の参議院選挙を勝ち抜くためにも、農業対策は必要がなくてもやらねばならないのである。被害者は、国民納税者である。本質は、ウルグァイ・ラウンド対策となんら変わらない。

 安倍政権発足後鳴り物入りで導入した農地バンクは、これまで農地の出し手が出てこなかったので、機能しなかった。これを拡充して、規模拡大を進めるのだという。しかし、なぜ農地が出てこないのか。減反で米価を高く維持しているので、零細でコストの高い農家も、米作りをやめないからだ。せっかく昨年米価が低下して農地が出始めたのに、農政は減反を強化して米価を上げた。農地を出させない政策を強力に推進しているのに、農地を出させるために多少の金を積んだとしても、効果はない。


どこが"農政新時代"?

 今回のTPP対策には、"農政新時代"というキャッチフレーズが付けられている。「輸出のため競争力をつけるのだ、飼料、肥料、機械などの生産資材の価格を見直すのだ、担い手を育成するのだ」という。しかし、これらは何回となく言い古されてきた謳い文句である。また、農地バンクのような小手先の対策はすべて失敗してきた。

 減反・高米価政策、農協政策、農地政策という、これまで農業が発展しようとするのを妨害してきた、三本柱の政策にはなんら言及されない。これを廃止しなければ、目的は達成できない。それどころか、減反のように悪政を強化しようとしている。

 輸出力をつけるというのに、なぜ減反を強化して米価を上げるのだ。トヨタでもキヤノンでも、良い製品を作ると同時に、1円でも安く売れるよう、価格競争力向上に日々努力している。水田を畑地化して野菜を植えるというが、どれだけ野菜が輸出できるのか。保存も可能で、品質についての世界の評価も高く、大量の生産・輸出が可能なのは、米なのだ。畑地化で水田の多面的機能は失われる。

 資材価格の削減も必要だ。飼料、肥料、農薬、機械、全ての資材価格が、アメリカの倍もする。しかし、肥料で8割、農薬や機械で6割のシェアを持つ巨大な事業体である農協は、独占的な力を利用して、組合員に高い資材価格を押し付けてきた。農協を株式会社化して独占禁止法を適用しようとする改革は、頓挫した。高い資材価格が高い農産物価格を生み、農業の競争力を失わせるとともに、消費者に高い負担を強いている現状には、メスは入らない。

 担い手も重要だ。しかし、農家出身者でない若者が、親兄弟、友人に出資してもらい、ベンチャー株式会社を作って、農地を取得しようとしても、農地法は認めない。

 これら農政三悪人には、怖くて手をつけられず、下っ端のような事業だけ見直して、なにが"農政新時代"なのだろうか?


2兆5千億円を無駄にした牛肉自由化対策

 牛肉関税収入を特定財源として、牛肉自由化に対応するための生産性向上を名目として、これまで2兆5千億円もの巨額の予算を、肉用子牛等対策として投入した。しかし、肉牛生産、酪農など畜産の合理化は一向に進んでいない。

 肉用子牛制度では、子牛農家に再生産を保証した保証基準価格と、合理化を進めその価格に収れんすることを期待された合理化目標価格が設定された。しかし、保証基準価格は合理化目標価格に収れんするどころか、遠ざかっている。

 現在の和牛の子牛価格は70万円にもなっている。これは2015年現在の合理化目標価格27万7千円はもちろん、保証基準価格33万2千円の倍以上の価格である。保証基準価格さえ大きく上回っているのだから、合理化目標価格に、接近することは全く期待できない。しかも、自民党は、「保証基準価格を現在の経営の実情に即したものに見直す」と言っている。子牛価格が高いので、保証基準価格を上げようという趣旨だろう。

 さらに、肉牛の肥育農家に対しても、価格保証のための補てん金を出すマルキンを法制化するという。これは本来やってはいけない対策だった。肉用子牛の不足払い制度は、「枝肉価格が下がると、肉牛の肥育農家は子牛の価格を下げようとするだろう。存分に下げてよい。そうなると、子牛農家の経営が厳しくなるので、保証基準価格と市場価格との差を子牛農家に不足払いしよう」という趣旨だった。しかし、肉牛の肥育農家に対する補てんは、子牛価格上昇によるコスト上昇を理由としても、行われている。枝肉価格が下がって、本来子牛価格が下がるはずなのに、下がらない。子牛農家に利益が生じる。その高い子牛価格で肥育農家のコストが上昇すれば、枝肉価格との差を補てんする。これで肥育農家の経営は安定するが、子牛農家に再生産が可能となる保証基準価格を上回る、不当な高利潤が発生したままとなる。マルキンがあったからこそ、肥育農家は高い子牛価格を支払っているのである。子牛と肥育の一貫経営を行っている農家は、枝肉価格の補てんによって、子牛価格が上昇した分の利益を得る。

 子牛価格が保証基準価格を上回っているのだから、自由化の影響は全くない。つまり、これは自由化対策ではないのだ。消費者は生産性向上を目的とした肉用子牛対策のために関税を払っているのに、将来とも牛肉価格が下がるメリットを受けない。

 子牛にも牛肉にも補てんする矛盾した政策は、廃止すべきなのに、自民党の"農政新時代"は、価格とコストの差について、従来8割補てんしてきたものを9割に引き上げるという。ウルグァイ・ラウンド対策が公共事業を中心としたバラマキなら、自民党の"農政新時代"は、肉の事業を中心としたバラマキである。残念なのは、このような論理整合的ではない政策に、待ったをかけるべき財務省が、無抵抗であることである。

 以上のほかにも、畜産には、様々な助成策が講じられ、何重ものセイフティネットが張り巡らされている。これではこれほど至れり尽くせりの政策や助成があると、生産性を向上させて、コストを下げようとするインセンティブが生まれてくるはずがない。ウルグァイ・ラウンド対策と同様、今回も規模拡大や農業の合理化は進まない。

 関税の削減期間が長期に及ぶというので、基金を積んで対応するという。しかし、畜産関係の基金は、これまでALICによって多数作られ、2010年度と2012年度の二回にわたり、会計検査院によって、その無駄使いを指摘されたものである。会計検査院の調査では、60のうち10の基金が、事業を全く行わないで、職員の給料などの事務費だけを支出していたという。なぜ畜産だけ基金がかくも多数存在したのか、読者は推察できるだろう。