メディア掲載  グローバルエコノミー  2015.11.30

TPP農業合意の評価(2)

『週刊農林』第2266号(11月15日)掲載

 TPPは、乳製品の一部を除き、国内農業に全く影響を与えないものとなってしまった。ある意味で、日本の交渉者は上手に交渉したといえる。農業に影響があると叫んでいる人たちが、どれだけ農業の諸制度を理解していっているのか、よくわからない。しかし、関税の撤廃をきっかけにして、農業の構造改革を行うというシナリオはなくなってしまった。米の減反政策も今のままである。


多くの品目についての関税撤廃?

 農産物は全2328品目のうち81%で関税を撤廃することになった。米、麦など重要5品目以外にもオレンジやリンゴなど関税が撤廃される品目が公表された。農業者の中には初耳だという人もいるが、そもそも重要5品目以外の関税撤廃は、容認していたのではないか?

 これで、消費者はメリットを受けるという報道がある。撤廃されると報じられた品目の関税について見よう。ニンジン、ダイコン、キャベツ、レタス、ホウレンソウなどの野菜は3%である。玉ねぎは比較的高く、8.5%。果物は野菜より高く、キウイ8%、サクランボ8.5%、ワイン15%、オレンジ16%(みかんとダブる期間は32%)、オレンジ果汁21~30%、リンゴ17%、となっている。

 オレンジについては、12万トンの輸入量のうちTPP参加国から11万トンも輸入している。しかし、うんしゅうみかんの生産量86万トンからすれば、わずかな数字である。しかも、うんしゅうみかん以外に、伊予かん、ポンカン、デコポンなどの生産も30万トン程度ある。90年代にオレンジが自由化(輸入数量制限の撤廃)されてから、国内の産地は、みかんの品質向上だけでなく、伊予かん、デコポンなど、食べやすさや味で、オレンジを上回るような品種改良を行ってきた。リンゴやサクランボも、日本の果物は海外のものと差別化が図られている。

 では、ワイン、キウイ、野菜はどうなのだろうか?ほとんどの報道が見落としているのは、輸入された農産物をそのまま消費者が購入するのではないという事実である。例えば、輸入されたキャベツは、長野県の農家が収穫したキャベツと同じスタートラインに立っている。これから流通コストがかかるし、卸売業者やスーパーなどのマージンも追加される。仮に、3%の関税がかかっており、輸入時のキャベツの価格が50円、関税1.5円がかかって51.5円、それにいろいろなマージンなど60円が追加されて、消費者は111.5円で購入したとしよう。関税が撤廃されると、消費者は1.5円、1.3%だけ安く購入することになる。関税と同じパーセントで消費者価格が低下するわけではないのである。ワインの15%の関税が撤廃されても、消費者価格はそれより低い比率、たとえば10%しか下がらない。

 農産物については、品目数でいうと、24%がすでに税率ゼロ、48%が20%以下となっている。この2年間で、為替レートは50%も円安になっている。100円で輸入されたものが、今は150円で輸入されていることになる。ある産品で49%の関税が撤廃されたとしても、輸入品の価格(150円)は関税込みの2年前の価格(100円+49円=149円)よりも高い。円安は関税を上げたのと同じ効果を持っているのである。49%以下の関税が撤廃されても、農業に影響はない。これは牛肉にも言えることである。


例外の代償

 牛肉を除き、重要5品目には、100%以上の関税がかかっている。これらの農産物は、品目数では9%と少ないが、米、小麦、砂糖、バター、脱脂粉乳など、食生活に大きなウェイトを占めるとともに、パンやお菓子など他の食品の原料となるものが多い。これらの関税は今のまま維持される。

 消費者にとっては、今後日本がEUと自由貿易協定を結んでも、フランス産のバターを買うには、300%以上の関税を払わなければならないという現状は変更されない。牛肉の関税も、9%になるのは、16年後である。

 被害を受けるのは、食品業界である。加工食品の関税は、削減されたり、撤廃されたりしている。それなのに、原料の関税は維持され、輸入農産物原料でも、高い価格を払い続けなければならない。食品企業としては、海外に立地して、日本に輸出するという自衛策を講じざるをえない。日本での雇用が失われるとともに、国内農業も重要なお客を失うことになる。


牛肉・豚肉への影響は?

 牛肉については、影響はほとんどない。91年に輸入数量制限を廃止して関税のみの制度に移行したが、このときの関税は70%だった。現在の関税はその約半分に下がっている。しかし、和牛の生産は、自由化前の18万トン程度の水準から今では23万トン程度へと、減少するどころか、増えている。

 輸入牛肉と競合するのは、メスのホルスタイン(乳用種)が出産するオス子牛に、アメリカ産の輸入飼料を与えて大きくした牛である。これはスーパーでは"国産牛"という表示で販売されている。自由化後、牛肉業界は、メスのホルスタインに、和牛の精液を人工授精して肉質の高い交雑種を出産させてきた。最近では、和牛の受精卵を子宮内に挿入して和牛自体を出産させたりする対応を行ってきている。

 もちろん、未だに乳用種のオス牛の生産は国内生産量の3分の1を占めるが、単価が低いので金額的には大きなものではなく、5,200億円の牛肉生産額のうち700億円程度にすぎない。関税削減で価格が下がったとしても、現在の肉用子牛補給金制度で十分に対応できる。

 さらに、38.5%の関税が意味を持たなくなるような50%もの円安が進行している。輸入牛肉の価格上昇を受けて、国産の牛肉価格も、2008年から2012年にかけての価格の倍近い価格で好調に推移している。和牛の子牛価格は、保証基準価格の倍にもなっている。関税を撤廃してもおつりがくる状態だ。

 豚肉については、10年かけて、安い肉にかかっているキログラムあたり482円の関税を50円程度まで下げ、高い肉にかかっている4.3%の関税を撤廃するという。しかし、差額関税制度をうまく利用し、業者は高級部位と低級部位をミックスして、最も関税が安くなる分岐点価格で輸入している。実際に払っている輸入関税は4.3%にすぎない。一見大幅な関税削減に見えるが、これからも分岐点価格で輸入される。このときの関税はゼロであるが、4.3%がゼロになったとしてもほとんど影響はない。


米はどうなる?

 現在米のミニマム・アクセスは77万トンであるが、アメリカの要求を入れて、そのうち10万トンは主食用として日本の市場に入れている。その入札方法は同時売買(SBS)方式といい、海外の売り手と日本の買い手がセットで入札し、買い手の価格(日本での卸売価格に相当)と売り手の価格(日本への外米輸入価格)の差が大きいものから落札するというものである。この差は内外価格差に他ならない。内外価格差があれば、必ず入札に応じる業者が出てくる。これまで次の例外的な年を除いて、この輸入枠の消化率は100%だった。

 しかし、2014年度は、消化率は12%、1万2千トンの輸入にとどまった。特に、最終回の3月は、政府が88,610トンの枠を提示したにもかかわらず、216トンの落札にとどまった。なんと消化率は0.2%である。

 これは、次の図が示す通り、内外価格差が解消したからだ。


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 かつて大量に輸入された中国産米は価格競争力を失い、2013年度以降輸入されていない。2014年度のカリフォルニア米の輸入価格は1万2582円である。2014年9月から国内の米価は傾向的に低下しており、2015年4月で1万1921円である。内外価格差は解消したどころか、完全に逆転した。

 さらに、従来、品質格差を反映して、日本市場で国産米はカリフォルニア米よりも2~3割ほど高く評価されてきた。国産米は表面的な数字以上に大幅に割安になっている。一部商社は、日本米をカリフォルニアに輸出しようとしている。

 TPP交渉で新たにアメリカ7万トン、豪州0.84万トンのSBS方式の枠が導入される。しかし、現在の10万トンの枠すら、ほとんど消化されないのに、輸入枠を追加しても、空枠に終わるだけだ。

 減反を強化して国産米価を上げれば輸入されるようになるが、その時は、備蓄米として、これまでと同様、国内市場から隔離するという。得をするのは米豪の農家であり、この財政負担で損をするのは、納税者である我が国民である。