メディア掲載  外交・安全保障  2015.10.21

ロシア空爆の行く末は

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年10月15日)に掲載

 先週イスラエルのある長老戦略家と議論する機会があった。拙著「日本の敵」の話を始めたら、直ちに「それはオバマのことか」と食いついてきた。なるほど、エルサレムの保守派が米現政権をいかに忌み嫌っているかがよく分かった。だが、こうした憤怒を増幅するような大事件が再び中東で起こりつつある。ロシアが9月末からシリアで本格的軍事介入を始めたのだ。この事件、日本メディアは混迷するシリア情勢の一側面と捉える向きが多いが、筆者の見立てはちょっと違う。ワシントンの中東専門シンクタンクがロシア軍の動向について騒ぎ始めたのは9月上旬だ。ロシアはシリア北西部のラタキア港から大量の最新鋭戦闘機、戦車、ミサイルなどの武器弾薬を陸揚げし、シリア国内に配備し始めた。

 その実態は9月中旬に各種衛星写真で明らかになった。案の定、9月末からロシアはシリア国内各地で空爆を開始、10月7日にはカスピ海から巡航ミサイルを撃ち込んだ。1979年末のソ連によるアフガニスタン侵攻から三十余年、ロシアが再び中東イスラム地域で本格的な戦争を開始したということだ。ロシアの第1の目的は当然、アサド政権の維持だ。建前上ロシアの攻撃対象は「イスラム国」だが、実際にはアサド政権以外の勢力はすべて空爆されている。ロシアは弱体化しかねないアサド政権の崩壊を絶対に認めないのだろう。しかし、ロシアの目的は他にもある。

 今回ロシアがシリアに配備したジェット戦闘機・攻撃ヘリの航続距離はシリア領内にとどまらない。今後ロシア軍がシリア南部・北東部にも展開すれば、ロシア空軍の作戦領域はトルコ南部、イラク北西部、レバノン、ヨルダン、イスラエルのほぼ全域にまで広がる可能性がある。気になるのがロシアとイランの事実上の連携だ。アサド政権維持という利益を共有する両国の連携は中東地域の地政学的地図を塗り替えるかもしれない。このように、ロシアの第2の目的は、シリアだけでなく、イラクやヨルダンを含む中東レバント地域全体でロシアが国際安全保障ゲームの主要プレーヤーとなることだろう。

 今回空爆を行ったロシア軍機はトルコ領空に再三侵入したといわれる。この事実はロシアが、米国だけでなく、NATO全体との対決も辞さないことを意味するのかもしれない。ロシアにとって今回のシリアでの軍事作戦は昨年のウクライナ・クリミア侵攻に続く、新たな対NATO挑戦だ。筆者が今回の対シリア軍事介入を、シリアや中東地域を超えた戦略的・地政学的ゲームチェンジャーと考える理由はここにある。

 ロシアの軍事介入によりアサド政権は当面存続するだろうが、シリア情勢は逆に一層不安定化する可能性がある。シリアの安定には国内多数派であるスンニ派が新政権の受け皿となることが必要だ。そのためには彼らがイスラム国やアルカーイダ系のヌスラ戦線など過激派と決別しなければならない。その意味で、ロシアの軍事介入はアサド政権を延命させ、シリア再統一プロセスを遅らせる効果しかないだろう。

 最も気になるのはこの事件がアジア方面、特に南シナ海に及ぼす悪影響だ。ロシアはオバマ政権の失策と米大統領選の隙を突いてシリアに軍事的拠点を確立し、中東地域での影響力を回復しようとしている。この動きを人民解放軍はいかに受け止めるだろうか。オバマ政権が続く限り、米国は本格的な軍事介入などできないとなれば、中国が南シナ海で造った人工島の軍事基地化は一層早まるかもしれない。今後数週間の米国の動きはシリアだけでなく、南シナ海の将来を決定的に左右するだろう。残念ながら、オバマ政権がロシアに対し断固たる行動をとる可能性は低い。されば冒頭のイスラエルの戦略家の指摘はやはり正しいのだろうか。