メディア掲載  外交・安全保障  2015.09.04

星雲状態の米大統領選

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年9月3日)に掲載

 今年のお盆はワシントンで過ごした。日本での関心は安倍晋三首相の戦後70年談話だったが、米国では既に来年秋の大統領選が始まっていた。筆者が最初に米大統領選を経験したのは留学生時代の1976年。あれから40年、候補者や政治資金ルールは変わっても基本は変わっていない。良くも悪くも米国大統領は東アジアだけでなく、世界中の地域情勢に多大な影響を与える。そこで今回は、気の早い米国人にならって、「鬼が笑う」来年の米大統領選挙について頭の整理をしておこう。


●共和党トランプの台頭

 ニューヨーク生まれの大富豪、80年代の好景気でブームに乗った不動産王だ。そういえば、1年前の娘の結婚式で泊まったハワイの高級ホテルもトランプだった。自己顕示欲が強く、過激な発言やパフォーマンスには批判も多い。他方、頭の回転は速く、最新の世論調査では共和党候補の中でダントツの28%の支持を得ている。


●民主党クリントンの失速

 一時は指名確実と思われた元国務長官が国務省時代の電子メール問題で失速の危機にひんしている。米国の諜報関連ルールは厳格で、機密指定情報のやりとりを通常メールで行うことは違法だ。政治家クリントンにも言い分はあろうが、報道では既にFBIも動いているという。世論調査でも彼女の支持率は短期間で約10ポイントも下落している。


●ワシントンへの憤怒

 トランプ氏だけではない。民主党でも超リベラルのサンダース上院議員が支持を集めている。内外メディアは民主共和両党内にワシントンの既成政治家に対する有権者の失望と怒りがあると解説する。だが、そうしたアンチ・エスタブリッシュメント感情自体は決して目新しくない。


●中年ブルーカラー白人

 興味深いのはそうした憤怒の源泉だ。米国では有色人種が多数派となりつつある。最大の「負け犬」は中老年ブルーカラー白人男性だ。トランプ氏の不法移民批判や排外主義的傾向を見ていると、この種のグループに対する配慮が垣間見える。しかし、今のトランプ支持増大が大統領本選挙での勝利に結び付くとは思えない。米国有権者の多くは投票日の1カ月前まで投票する候補者を決めないからだ。

 最後に、現時点での筆者の独断と偏見を記しておく。


●原理主義者は勝てない

 トランプ、サンダースなどに共通するのは妥協を排す純粋主義だ。しかし、それでは平均的有権者は付いてこない。これまでも出馬を検討した多くの原理主義者が途中で挫折している。


●割れた政党は負ける

 原理主義者が一定の支持を得続ければ第三党を作って出馬する。そうなれば政党は内部分裂し、本選挙では敗北する。典型例が92年のロス・ペロー候補の出馬とビル・クリントン候補の当選だろう。


●正副大統領候補の均衡

 米国は広い。非原理主義者の大統領候補だけで選挙は勝てない。全国的支持を獲得するには正副大統領候補の出身地や支持母体などの均衡を図ることが重要である。


●米国民の平衡感覚

 最後にモノを言うのは米国民の健全なバランス感覚だ。ウォーターゲート事件後のカーター候補、イラン革命後のレーガン候補、冷戦終了後のクリントン候補、アフガン・イラク戦争後のオバマ候補の当選はそれぞれ大統領選挙の中で政治を変えようとする米国民主主義の真骨頂だ。

 要するに大統領選はまだ星雲状態ということだ。筆者がワシントン在勤中の92年、多くの本命候補が失速する中で泡沫ほうまつと思われたビル・クリントン候補が急速に台頭した。当時民主党は団結し、逆に共和党はペロー旋風で分裂した。


 歴史は決して繰り返さないが、そこから教訓を学ぶことは可能である。