安倍晋三首相の戦後70年談話を出張先のワシントンで米国人の親友と熟読した。以下は彼との一問一答である。
●(西洋中心の)植民地支配への危機感が日本近代化の原動力となった。日露戦争は多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた。
●戦争違法化の潮流に日本も足並みをそろえたが、経済のブロック化で孤立感を深めた。日本は力の行使による解決を試み、国内の政治システムはその歯止めたりえなかった。
筆者「近代史に関するより冷静・客観的な記述だ。日本の保守派は評価するだろう」
友人「...(無言)」
●日本は次第に国際社会が築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り戦争への道を進んで行った。
●日本はいかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきだ。また、唯一の戦争被爆国として国際社会でその責任を果たしていく。
●70年間に及ぶ平和国家としての歩みに静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いていく。
友人「これは外国、特に中国に対するメッセージだな」
筆者「良く分かったな。日本の一般国民の最大公約数だが、一部保守派はこの部分を無視するかもしれない」
●国内外に斃れたすべての人々の命の前に深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに永劫の哀悼の誠を捧げる。
●わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた。その思いを実際の行動で示すためアジアの平和と繁栄のために力を尽くしてきた。
友人「要するに過去の談話は全て引き継ぐのだな」
筆者「然り。ちなみに1970年、西ドイツ(当時)首相はワルシャワのホロコースト追悼碑で跪き、頭を垂れ謝罪を表現した」
●あの戦争には何ら関わりのない子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないが、それでもなお、日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない。
友人「日本が『もう謝らない』ということか」
筆者「武士に二言はない。これは村山談話批判ではない。他方、過去20年間の日本のお詫びをいまだ受け入れない国があることも現実だ」
●20世紀の戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続ける。
友人「慰安婦だな」
筆者「間違いないだろう」
●事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別しなければならない。
友人「ここでいう『侵略』とは一般論ではないのか」
筆者「それは違う。『もう二度と』とあるから日本の過去について言及したものだ」
●(米英蘭豪などの)元捕虜の皆さんが長年にわたり日本を訪れ互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている。
筆者「和解努力はこれからも続いていく。これまで歴史問題で日本の国論は割れていた。保守派の安倍首相だからこそ国内のコンセンサス作りは可能だと私が言い続けてきた理由が分かっただろう」
友人「今回ようやく分かったよ。米中正常化だって、最右派ニクソンが訪中したから米国内保守派も受け入れた」
帰国便の中で邦字紙に目を通している。リベラル系は「村山談話継承には程遠い」と批判、逆に保守系は「安易な謝罪なく建設的」と評価した。これこそ今回の談話が国内政治的・外交的にバランスがとれていることの証明だと確信した。中韓の消極的反応は織り込み済みだが、欧米での評価は予想以上に高かった。安倍談話が日本国内のコンセンサス作りと中韓との真の和解プロセスの第一歩となってほしいものだ。