コラム  財政・社会保障制度  2015.08.13

香川俊介さんを悼む

 前財務次官の香川俊介さんの訃報に接し、思い出を書き記しておきたい。わたしは通商産業省平成3年入省で香川さんとはほとんどまったく仕事でもプライベートでも御縁はなく、一ファンにすぎないが、以下のようないきさつがある。


 香川さんは昭和54年大蔵省入省、同期には桑原茂裕さん(日本銀行理事)、通産省の高鳥昭憲さん(故人)や高原一郎さん(元資源エネルギー庁長官)たちがいた。かれら数人の54年入省同期は大学時代からの親友ということで、頻繁に交流があった。わたしが高鳥さんの部下だった1998年~1999年ごろ、香川さんはしょっちゅう桜田通りを横断して通産省まで来て、高鳥さんの席の前にどっかと座っては天下国家や政策問題を論じていた。


 高鳥さんは2002年4月14日に病没されたが、長く続いた高鳥さんの療養中、香川さんは数日おきに見舞いに訪れていたと聞く。わたしが香川さんと親しく会話をしたのは高鳥さんの歿後だった。「高鳥の思い出話を聞かせてくれよ」と言われ、高鳥さんの馴染みの小料理屋にお連れした。財務官僚で「人懐っこい」という形容詞が似合う人はあまりいないと思うが、香川さんは、声色が暖かく、心を開いたまっすぐな人柄がにじみ出ていて人懐っこいという言葉がピッタリの印象だった。


 公的な場では無愛想な典型的な官僚に見えたが、高原さんたちと亡き友のことを話す香川さんは人情に厚い青年そのままであった。香川さん、高鳥さん、高原さんたちの間には、余人には立ち入ることのできない親密な友情の歴史があるのだと感じたものである。高鳥さんが亡くなってのち、香川さんや高原さんはそれぞれ多忙なスケジュールの合間に京都の高鳥家を訪れ、ご子息を亡くしたお母様に思い出話をしてお慰めしたこともあったと聞く。


 昨年、財務省発行の学術誌フィナンシャル・レビューにわたしの論文が掲載してもらえることになり、春に事前報告会が財務省であった。執筆者数人と財務省内の研究者や実務者による小さなセミナーのはずだったが、そこに当時主計局長だった香川さんが参加され、わたしの隣の席に座られた。じっと話を聞いて、頑張れよ、と小声でささやいて退席された。数年ぶりに近しくお話ができ胸が熱くなった。それがお会いした最後となった。


 香川さんのように周囲に対して並外れた強度で親愛の情を発揮できる人が、国の将来を思う気持ちは紛れもなく本物である。我が身は香川さんの足元にも及ばないが、ご遺志の一端なりとも引き継いでいきたい。